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空間が萎縮するのがわかる

@


数日がたったある日のこと、仲間の1人が理玖の目の前で男子に喧嘩をふっかけていた。


理由は至って簡素なものだった。すれ違うときにこちらを2回見た、ただそれだけの理由で理玖の仲間は相手の肩を掴んでいた。



「おいおまえ、なにチラチラ俺ら見てんだ。おまえ1年の何組だ?」


「見てねえよ、うるせえ」





そう言い返した矢先に男子は理玖の仲間に頬骨をガツンと殴られた。



「やったな!」


赤く腫れ上がりだした頬を痛そうに押さえながら男子は殴った男を睨みつけた。



「お、いい度胸じゃねえか、リクどうする?いまから人気ない場所連れてこいつリンチするか?」


理玖は「やめとけ」


と言って立ち去っていく。


リンチなんてふざけんな、と理玖は思った。それに白旗を掲げる若しくは用意してる奴に興味などなかった。



その場に残った仲間二人は交互に男子の頭を平手で思い切り叩いては嘲笑しあった。



「意気込んで睨み返してきたくせに弱かったな」


理玖に追いついてきた仲間二人がハイタッチをしあう。理玖は無表情のままだった。



「あいつ見たことないから千里小出身だよな、何組だろうな」


「なんで?あんなザコ気になる?千里なんてザコばっかじゃん」



いやおまえらな千里小学校は雑魚ばかりではないだろと理玖は続く廊下の床を睨みつけながら思った。

千里出身は規格外の体格をした須羽新汰がいる。

そして。


足元のピンクのスリッパが高い音を出してバニラの香りが辺りに漂い続ける。


理玖は授業中に嫌でも視界に入り込む姿を思い出していた。




無意識なのか意識してるのか自分でもわからないのだが、授業中に左を向けば必ずあいつがいて。あいつは…秋月悠理はよく授業中でも窓の外を見ていた。梅雨寒の風に揺れ動く長い前髪と柔らかい目元を見ているとなんだか空間が萎縮するような錯覚を感じた。


チョークで黒板に書かれた文字や壁に貼られた無数のポスターや女子のスカートの裾も光るタイピンも男子の薄汚れてきた上履きも掠れあう声もこの教室にあるすべてのものがあいつの存在で萎縮するような錯覚。


あいつは…秋月悠理という男はいったい…なんなんだ。

言葉で説明できないものがある。




この俺が千里小出身の須和新汰と秋月悠理に振り回されてしまっているというのか。

新汰はおそらくカリスマ性があるのだろう。

秋月悠理は…

いや関係ない。



―この俺自身が最も尊敬するのは

1年後の自分自身だ―



目障りなものは破壊していくだけ。




その日の夕刻だった。


生徒たちが部活を終わらせてぞろぞろと帰り始めたころに起きた。


南門付近をいつもの仲間と3人で歩いていた理玖は仕組まれたように一斉に上級生等に周りを囲まれた。


足を止めた理玖は正面に立ち塞がる男に猛禽の瞳を向けた。彼の血走る二つの目は瞬時に臨戦態勢に入った証となった。



(こいつら三年生だな)



喧嘩をする相手が二年生だとなにかと厄介なことになるだろう。


二年生はとにかく荒れている、もしいま目の前に二年生を束ねるリーダーがいたとしたら待ち受けるのは阿鼻叫喚の世界だなと理玖は思った。


相手にしてはいけない人間はどの世界にもいるものだろう。


だが、三年生なら。



理玖の外側はマグマが滾るように熱く、

内側は穏やかな湖畔のように沈着に相手の分析にはいった。



「なんすか?ちょっと邪魔なんすけどね、道開けてくれませんか?三年の先輩方」


いまこの中学は二年生が圧倒的に荒れている、雁首が揃いすぎている。


1学年下の突き上げに怖気づく三年も多かった。勢力図は二年生の不良達が大半を占めているのではないか。


南門の周りは突発的に沸き起こる張り詰めた空気によって支配されはじめ、その場にいた生徒たちによって辺りは伝播していくようにざわめきだした。



「おまえら一年生の分際で少しばかり目立ちすぎじゃないかな。いまから三年生が相手してやるよ」



三年生の男等4人が薄気味悪い笑いを浮かべて理玖ら3人の前後に立ちはだかっていた。



「で?俺たちをどうしたい?」



「1年が。お前なんだその髪の色は?先輩らを舐めてんじゃねえぞ」



「ふん。で?どうする?いまからやる?この俺たちと」



理玖が凄むと男たちは明らかに狼狽の色を見せはじめた。理玖の眼力は瞬時に石に変えるほどに心の内部の奥底まで浸透させる威圧感があった。


「お、おまえさ、なに睨んでんだよ、ここじゃあれだからこっち来いよ」



腕を持たれて門の傍に誘導されるのを理玖は勢いよく振り払い自ら歩いていく。 


「リ…リク…いまならまだ逃げれるよ。一気に3人で逃げようよ」



仲間の一人が耳元で囁いた。



理玖は歩きながら考えていた。彼がいままでに経験したことから察するに行き着く場所には数人の奴らがまた待ち受けているのだろう。

逃げられない状態にして集団で私的制裁をくわえる。


確かに逃げるならいましかない。


だが。

仲間二人は自分を信じている。

この俺なら、結城理玖ならどうにかしてくれると、だからその気持ちを決して裏切ることはできない。



「大丈夫だ。俺がいる。いまから3人でとことん暴れてやろう」


いま逃げるか

いま逃げないか。


この二つを天秤にかけることはできない。大丈夫だ。俺にはいま仲間がいる。


なんとかなる。


理玖は門の外に広がる世界を一度だけ振り返って見た。車が行き交う道路があって二つの校舎がすぐ近くにある。


こちらは3人。

たとえ

相手が倍に膨れ上がっても8対3。なんとかなる。


勝算はある。


仲間がいる俺はいま孤独ではない。


「おまえらは俺のフォローしてくれ。後ろと横を守ってくれればなんとでもなる」



「うん。わかったよリク」



仲間二人が頷いた。



南門から壁伝いに歩かされて鬱蒼とする場所まで連れてこられた3人を待ち受けていたのは4人の男ともう一人後方に影がみえた。



想像通り。


8対3か。


あとその後ろの影は誰だ?



上空では鴉が鳴きながら西に飛んでいく。夕方のオレンジ色の情景は辺りをまやかしの世界へと導くようだった。



ここは死角の場所。南門付近からもこちらを窺うことはできなかった。

隣りにいる仲間二人が迫りくる危険を予測して顔を強張らせているのを理玖は如実に理解していた。



「大丈夫だ。奇襲でいく、そこから混戦にもっていくから」


理玖には決して似合わない笑顔を二人に向けた。



「なあ、こいつら?」



三年生の1人が顔を向けた後方の影の正体がわかった。数時間前に理玖の仲間に叩かれた1年生だった。



「はい!先輩。こいつらです」



そうか。と理玖は思った。


上級生を出してきたか。



8人の三年生は理玖ら3人を囲んで優越感に浸るように薄笑いを浮かべた。


あの茂みの向こうでこれからなにが行われようとしているのか。


理玖が連れていかれるのを目撃していた

生徒たちは関わりを避けるようにその方向から目を背けた。


教師ら大人に知らせにいったら必ず報復を受ける。不良たちのいざこざに巻き込まれるのは御免だ。


いつもならば南門で多くの生徒たちが足を止めて話し込んだりしているのだが今日は多くの生徒は小走りに門を潜って帰っていく。

方や

夕焼けに染まる運動場の片隅では長くなった影帽子を従えた学生服の男たちが睨み合いを続けていた。


同じ時代を生きる者たちの二つの異なった流れ。

まるでそれは分汲機の濁る水面に溜まる浮遊物と排出されていく砂利のように明確に分離されていた。



理玖に顔を近づけて睨む男とその目から決して逸らすことなく顎をあげる理玖。




「おまえ結城だろ。その髪の色…おまえは三年生のなかでも少し話題になってるよ、度胸あるじゃないか。だがな…あまり目立ちすぎるのも問題なんだよ。鉄槌が下されてしまうんだ。なあ結城さ、これからおまえ自身の教訓にしたらどうだろ」



目の前で凝視しながら話す男は言い終わると同時に理玖の胸倉を掴んだ。



「先輩の手…あまりに汚ねえ。いますぐ離せ」



理玖は胸倉を掴まれたままの状態で相手の顎を目指して飛び上がった。右膝が顎に当たる。



「やったな!」



三年生の男たちは一斉に理玖の身体へと殺到した。



獲物を鋭利な刃物で切り付けるような理玖の瞳はまるで咆哮するように血走った。



前から掴みかかる男に後ろを向くと見せかけてフェイントを入れた後ろ蹴りを放つ。理玖の右足のつま先が腹にめり込むと相手は悲鳴まじりの声をだした。



理玖は叫んだ。


「やってやる!8対3だ!打ちのめしてやるぞ!」


仲間からの返事はすぐにはなかった。


理玖は突然、横から頬を殴られてよろめく。


「後ろと横を頼む!援護してくれ」


仲間の返事が聞こえない。きっと皆が無我夢中だからだ。理玖は必死に体勢を整えて状況を判断するために周りを見渡した。



「う…嘘だろ…」



仲間二人の姿が理玖の視界から消え失せていた。



「いまだ!やれ!押さえ込め!」



脚をすくわれて地面に転がった理玖は覆い被さってくる男たちの隙間を縫うように猛禽の瞳を外部に向けた。



理玖は愕然とした。


視界の片隅に逃げていく仲間二人がまるで映像のように脳内に入り込んできた。


小さくなっていく二つの背中は頼りない真夏の糸遊のようにゆらゆらと揺らいでみえた。


一度も振り返ることもなく一目散に逃げていく仲間。



そうか…


と理玖はいった。



結局、偽りは偽りを生むだけか…



理玖の瞳から一滴の赤い涙がこぼれ落ちた。



「やれやれ!とことん痛めつけてやれ!」




襲う痛みは永遠に続くかと思った。腹を蹴られ顔を殴られる。代わる代わる男達は笑いながら理玖を制裁していく。



「友達逃げちゃったね、かわいそうな奴」



思い切り振りかぶって理玖の鼻頭を殴った男が笑うと辺りの男たちも腹を抱えるように指を理玖に向けて笑いだした。



@



「もういい。おまえさ、悪いけどなんかすげえ汚ねえし。謝れ」



殴り疲れたように男がそういうと地面を這う理玖の頭を蹴りあげた。



理玖はまだ諦めていなかった。無言のまま顔を上げ睨みつけながら口元を流れる血を袖で拭い立ちあがろうとする。



「おいおい、まだこいつやる気かよ。子鹿ちゃん。立って。ほら、ほら」


膝が震えいうことを効かず立ち上がれないでいると手をたたき盛り上がる周りの群れ。


「もう結城。諦めろや、いまから土下座して謝れ」



理玖の胸倉を引っ張り立たせようとする男に、嘲笑をしたまま何度も理玖の顔に唾を吐きつける者に、拳についた理玖の血を汚らわしそうに顔をしかめている者。



「可哀想にな。親友にも裏切られちゃって。なぁ結城。もうここは土下座して終わりにしようぜ。ああ、ちょっと待て。やっぱ土下座だけじゃ駄目だな、よし、土下座して俺たちみんなの靴を舐めろ」



あははそれ傑作だ。





笑いが風に流されていく。



「なに…?」



理玖は我に返ったように瞬きを繰り返した。


俺が土下座?





これは屈辱だろ…あまりに屈辱だ



「おい!早く土下座しろよ、それから俺たちの靴を順番に舌を出してぺろぺろと舐めていけ。早くしないとまたボコるぞ」



戦意喪失したように消沈の表情を浮かべた理玖は頭を数回叩かれ押さえられゆっくり正座しようとするがすべての力を出し切るように高く跳ね上がった。


「全員殺す!」


理玖が大声を張り上げ先頭にいた男にタックルをする。


「こいつ!まだやる気か!」


8対1。絶望的な喧嘩だ。

いや喧嘩などではない。たんなるリンチだった。


すぐに形勢は逆転する。


太った男に頭を殴られた衝撃でよろけたところを他の男に大腿部を蹴られて転ぶように地面に倒れこんだ。そして無理矢理に土下座の形にさせられ1人が理玖の頭を踏み付けた。


また周りは一斉に笑いだす。


「おーいみんな。見てみろよ。こんなところにきったねえタワシが落ちてるぞ」


理玖の両腕は二人に押さえ込まれ代わる代わるにタワシと言われ頭を踏まれて唾を吐かれていく。

理玖の額には土の硬さと冷たさだけが伝わってくる。


身体の震えがとまらない…


俺はまた孤独になるのだろう。


きっとそれが一番怖いのかもしれない。




「よし結城君が決めてくれ。いまから8人の靴を舐めるか、ズボンとパンツ没収されるか。どっちかだ」


理玖はもう戦意を完全に喪失していた。



「すい…ません…」


「は?聞こえないよ」



「すいません…脱がすのだけは辞めてくれ」



「声が小さいんだよ!」



こめかみ部分を蹴られたが痛みはさほど感じなかった。防衛本能を示すように麻酔のように身体から痛みが消えつつあった。




理玖の頭はガクッと垂れた。



「服脱がすのだけは…やめてください…

な…舐めます、皆んなの靴を舐めるから」




笑いのなか誰かが理玖の口のなかに靴を押し込んできた。そしてまた同じくして誰かがズボンのベルトを引っ張っていく。




「残念だな。時間切れなんだよ。おまえは全員の靴をペロペロ舐めて、フルチンでお家に帰えるってわけ」



理玖は全身の力が抜けていくのがわかった。

口のなかに大きな異物が入り込みズボンが脱がされていく。




その時だった。



遠いどこかで自分の名前を呼びながらこちらに向かってくる音が聞こえてきた。



理玖は入り始めた闇のなかで確かにその音を聞いた。先にあるなにかを必死に手探りした。



誰だ?

俺の名を呼ぶ奴は…いったい誰だ




「結城!大丈夫か」


誰かが自分を抱き起こす。理玖はその柔らかく温かい息を頬に感じた。

温もりに反応するかのように薄目を開ける。


理玖の目にその男が映り込んだ。


「おまえ…どうして…」



抱き寄せるように理玖の上体を起こしたのは秋月悠理だった。



「先輩。僕の友達だから。もうこれくらいで勘弁してくれませんか?」


悠理の声が理玖の耳のずっとずっと奥まで響いていった。



友達…




その言葉がすとんと理玖の心を落とした。理玖はとめどなく溢れる涙を止める術がわからなかった。


「どうも先輩らはわかってくれそうにないな、結城君ちょっと待ってて」


悠理はそういうと理玖の血が滲む額を優しく指先で撫でた。


―もう大丈夫だから―


そう伝わる優しい触り方だった。



悠理は立ち上がった。



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