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結城理玖の洞察力

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ホームルームが終わって生徒たちが部活に行く時間になると友達が小走りで椎奈の席に近づいてきた。ちょうど隣の席では悠理が席から立ち上がったところだった。

椎奈は悠理の一挙一同を見届けるように視線を送っていた。だが友達がその間に割り込んできてしまったので椎奈の視界から悠理が忽然と消えてしまった形になった。


「椎奈聞いたよー、さっきの掃除の時間に車に轢かれた猫を助けるため学校を抜け出したんでしょ? 五時間目の授業が終わったときにはクラスの皆んながその話しで持ちきりだったんだよ。授業中に私はこの教室の窓際の一番後ろ辺りを何度も何度も見たの。ああ誰もいない。あそこはただ日光が寂しく当たっているだけだなって、とにかく空っぽな感じがしてすごく不安な気持ちになった。だって秋月君と椎奈が揃って消えちゃってるんだよ。いったいなに?なにがあったの?ってそしたら猫ちゃんの話を聞いてね。私はさぁなんかすごく感動しちゃったよ。それでそれで?猫ちゃんはどうなったの?助かった?」



すぐ後ろの席での会話が筒抜けに聞こえてきたのだろう、前の席で頬杖をついていた田中は勢いよく振り返って椎奈を見つめた。だが田中にしてみれば先程見た椎奈の白い下着のほうがあまりにインパクトがありすぎて猫の生死がどうなったなどはどうでも良くなっていた。田中は椎奈の胸元と足首を見つめる。


椎奈は笑顔で首を大きく縦に振った。


「大丈夫だったよ!でも獣医の先生がもうちょっと遅かったらやばかったって言ってた」



「やだ。なにそれかっこよすぎだよ。秋月君て普段はとってもクールなのに」



喜ぶ椎奈を見て友達は


「そういえば席替えの事は先生に言うの?秋月君の隣りは嫌なんだよね?」


と聞いた。


「考えたんだけど席替えはやっぱりしないことにする。だってせっかくみんながこの席に落ち着いてきたんだよ。だから1年間ずっとこのままでもいいかなぁって明日先生にそっちを提案しようと思ってる」


「あれれ?椎奈。もしかして」



「何よ」


「なんでもないよ。でも秋月君を少しは見直しちゃったのかな?」


椎奈は眼鏡のブリッジに指を持っていった。


「べ、べつに…秋月君なんて」


「なんて?秋月君なんてその後は?」


すでに友達の言葉は椎奈に聞こえてはいなかった。


悠理の気配が椎奈から遠ざかっていく。椎奈はもう一度だけ悠理の顔が見たくなった。いま悠理に話す内容すら何も思い浮かばなかったが、ただあの人を見たいと思った。この後に始まる部活と帰宅してからの塾を乗り越えまた明日にならないと会えないのだからもう一回だけ声を聞きたいと思った。だってもうこんなに息苦しいのだから。

椎奈の背中で小さな酸素ボンベが小刻みに揺れているようだった。


秋月君!


秋月君!


名前を心で何度も何度も叫びながら、廊下に出るとすぐにただならぬ気配を感じた。それは殺気といってもよかった。



結城理玖が扉の横で腕を組んで壁にもたれかかっていた。背後の小さい壁には彼が醸し出す冷酷さを膨張させるように、廊下を走るなと書かれたポスターが貼ってあった。理玖の切先を抱くような目線は廊下に踊り出た椎奈を一瞬のうちに捉えていた。椎奈は石になるのを避けるかのようにすぐに目を逸らした。

教室からは須和新汰の豪快に笑う声が廊下まで流れてきた。机の周りに男子数人を囲ませて何やら激しい動きを見せては大声で笑っていた。一体何がそんなに可笑しいのだろうか。そんななか理玖は唐突に口を開いた。



「お前悠理に恋でもしたか」



不意だ。


いつも不意がつきまとう人だと思った。


椎奈は小学校六年生の時に起きた出来事が瞬時に脳裏に浮かび上がったがそれはあまり思い出したくない過去だった。椎奈は一瞬言葉に詰まりながら、


「え…私が?」

と聞き返した。


理玖の顔にはわずかな薄笑いが浮かんだ。



「まぁそんな事はどうでもいいんだ。お前が何を好きになろうと誰に惚れようと俺には全く関係のない話だ」



わかってるわよじゃあそんな怖い目をして聞かないでよ。  



と石にされないように顔をそらしながら心の中で悪態をついた。理玖は椎奈から視線をゆっくりと外していき顔を左へと向けて行く。その遥か先にあるのは悠理の背中だった。



「よかったな」



「え?」


椎奈は聞き返した。



「猫助かってよかったな」



六時間目の授業中に教室のなかに慌てて入ってきた悠理と椎奈。きっとそのとき理玖は鋭い眼光のまま何かを考えていたのだろう。  


椎奈は理玖のことが怖い。どうしてもこの人には勝てないと思い知らされてきた。それは並外れた眼光の凄まじさとそして並外れた洞察力だ。それは理玖のステータスとも言えた。


椎奈は小学六年生での経験をまた今ここで思い出していた。夕刻時間に小学校からの帰り道を一人で歩いていた椎奈は理玖とすれ違った。

そしてすれ違い様に一言だけ言われた。


「お前道変えろ」



その言葉の意味が椎奈にはわからなかった。首を傾げながらもその道を再び歩き始めた。少し歩くと道の脇に一台の車が停車していた。車の横を通り過ぎようとしたときに理玖の言葉の意味を知ることになった。

  


「ねぇねぇお嬢ちゃん。ちょっとおじさんに道教えて欲しいんだけどさぁ」


「あ、はい」


車の運転席に座る中年の男は近づいてきた椎奈の手首を突然強く引っ張った。


「ほら見てよ」


男のズボンは下げられたままで

下腹部から何かが出ていた。


「ねぇお嬢ちゃんすごくかわいいね。おじさんの見てよ。ほら、すごく興奮しておっきくなっちゃってる」


男の激しい息遣いが聞こえ痣ができるほどに手首を強く掴まれる。


「お嬢ちゃんおじさんの触ってごらん」


そう男が言ったときだった。果たして自分の悲鳴が先だったのか、顔面を殴られた男の悲鳴が先だったのか、椎奈が瞳を開けたときには理玖が無表情のままに、男の顔面を殴りつけていた。鼻頭が潰された男の悲鳴を乗せながら走り去って行く車が角を曲がっていくまで睨みつけていた理玖は椎奈に顔を向けて行った。


「だからさっき忠告しただろ」



それ以来だった。彼に対して尊敬と畏怖の念を抱いたのは。とても恐ろしい人でそしてとても強い人だ。


今、理玖を間近に感じている椎奈はいつものように自分の首周りに触れたくなる。マフラーが欲しい、この真夏でさえもマフラーを巻きたくなるのだ。理玖の猛禽類のような鋭い瞳は冬を連想させてくる。冷気が首筋の奥までをゆっくり撫で付けていくのだ。


「どうした?部活だろ、早く行けよ」



この場に立ち止まったままでいる椎奈に理玖は腕組みをしたまま顎を廊下の先に向けた。


「うん…」


理玖との過去が映像とともに流れたときに、椎奈は理玖にどうしてもいま聞きたくなったことがあった。そもそもこれを誰かに相談するならばまずは理玖に話してみたいと考えていたことでもあった。それに今日の悠理との出来事で椎奈は1歩も2歩も成長した。戦うことを悠理が教えてくれた自ら道を切り開くのだと。私は見て見ぬふりをしてはいけない。悠理に誓い、助かった猫のライトに誓ったのだ。私は強くなるためにいま理玖に聞きたい。

 


そして彼が示す道標が欲しい。



「あの…私…結城君に聞きたいことがあるの」



「なんだ?」



理玖の厳しい目線は再び椎奈に向けられた。


「その……」



「なんだよ。早く言えよ、珍しく会話の流れが悪いぞお前」



椎奈は深呼吸をしてから理玖を見ようとするがやはり怖くなって目を逸らしてしまう。その先にはA組の教室での新汰の笑顔があった。


「虐められてるの…」


椎奈は小さな声で話しはじめた。



「吹奏楽部の先輩が虐められていてそれが…なんていうかあまりに酷いの。虐めのレベルを超えていて私には殺そうとしてるように見える。結城君…私どうしたらいい?」



「虐めか。何年生だ?三年じゃないな、さては二年生だろ」


「うん。二年生でクラスは確かC組だったと思う」


理玖の表情が変わった。一層に厳しさが増したように見えた。



「名前は七海葉月先輩で、部活のなかだけじゃなくてクラスでも虐めがあるみたい。私、何かできないかな…このクラスは須和君がしっかりしているからそういうの全然ないけど、普通はどのクラスにもあるのかもしれない…だけど七海先輩へのいじめはあまりに酷すぎて。あ…こんなこと結城君に相談しても困っちゃうよね」



「よりによってC組か」



「何かあるの?C組に」



理玖は椎奈の言葉に返答をしないままズボンのポケットから何かをまさぐり出そうとした。  



「ちょ、ちょっと結城君、何取り出すわけ。タバコなの?」


「ち、うるせーよ。相談してきたのお前の方だ」



「それとこれとは関係ないよ。やめてよ。ここでタバコはお願い」



「なわけないだろ。馬鹿かお前は」



理玖は小さなチョコレートをつまみ上げていた。



「わかったよ。暇な時にでも調べといてやるよ。2年C組の女だな。名前もう一回言え」



「七海葉月先輩だよ」



「もうすぐ夏休みだ。その女は惨めな夏になりそうだな。お前もう行けよ部活。まだそこに突っ立ってるなら尻蹴るぞ」


理玖はピンク色のスリッパで床をきゅっと鳴らした。椎奈は慌てて教室のなかへと駆け出して行った。



二年C組か……


理玖はチョコレートを舐めながらある1人の男を思い浮かべていた。

名前は佐野。 



荒れまくる二年生の不良を束ねる佐野がいるクラスか。









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