表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/24

吹奏楽部の七海葉月

友達と別れを告げて教室から廊下に出た椎奈は向かい側にある校舎を目指して歩いていく。

吹奏楽部の練習が行われる音楽室は北校舎の四階にあった。


椎奈はA組の教室にいまだ心を留めたまま歩く。



秋月悠理か。


その名はまるで黒魔術となり私を苦しめてるようだ。重しを付けた火の塊が心の奥底まで落ちていくように。


私はとにかく彼のことが嫌いだ。

目障りなのだ。



椎奈は指を折りながら悠理の嫌いな所を挙げていこうと思った。


まずは頭悪いところ。


無神経なところ。


なんかたまに鈍臭いところ。


何考えてるかまったくわからないところ。




頭悪いとこ…あ、これさっき言ったか。


容姿はうらぶれた野良犬みたいだし。


まだまだ


それはもうまだまだある



「他にもたくさんあるわ」





呪文のように繰り返し悪口を述べているとなんだか重しから解放されて浮上していくような感じがした。

身体も心も軽くなっていく。


やはり私は彼が嫌いなのだ。




心の眼差しがいま歩く場所へと追いついてきたときに階段が目の前に迫っておりとても驚いたが椎奈は気を取り直し小走りに上がっていく。手にする黒いケースがカタカタと鳴った。


北校舎は二年生と三年生の教室があり廊下や踊り場には俄然、上級生ばかりになってくる。


椎奈は将校に睨まれる捕虜兵のように目を伏せたまま四階まで上り音楽室へと入っていく。


教室の片隅で数人の1年生が固まって話しをしていたので椎奈は辺りを見渡しながら近づいていった。まだ上級生は誰も来てなかった。




「みんなおつかれー」




椎奈が挨拶をしながら歩み寄っていくと笑顔が返ってくる。


「あ、椎奈ちゃんお疲れー」



「うん。なんか暑いねここ」


一通りの挨拶を終えてから椎奈が自分の席に座ると1年B組の打楽器を担当する女子が近づいてきた。


その子は小学生のときからの友達だった。


ちょうど椎奈がクラリネットをケースから取り出したときだった。



「この前やったパートはどう?完璧にできそう?」


友達が聞いてくる。



「うーん、正直いうとまだ少し自信ないよ、なかなかねぇ、塾もあるし練習時間がね」


「椎奈ちゃん、塾は週に何日行ってるの?」



「毎日だよ、毎日22時まで。だからなかなか時間ないんだよね」



「え、毎日!すごいな。私は週2でうんざりしてるのに」   


そんな話しをしていると扉がゆっくりと開いて1人の女子が教室に入ってきた。


椎奈はそちらに顔を向けてすぐに強張らせた。


入ってきたのは小柄で髪の長い二年生の女性だった。

大きな瞳が印象的で綺麗な顔立ちをしているといっていいだろう。


だが。


1年生は一様に苦虫を噛み潰したような顔をした。

彼女は仕打ちに耐えながら今日もこの教室に来るのか。と思った。



もう来なければいいのに。

吹奏楽部を退部するべきだ。


ここにいる1年生全員の心情があった。


彼女の大きな瞳はいつも宿命的なまでに下を向いていた。床を見つめたままおぼつかない足取りで教室に入ってくる。


七海葉月には一種異様な陰々さがあった。椎奈はその闇から目を逸らす。


吹奏楽部の1年生全員が認識すること。それはここで壮絶なイジメが行われている。


上級生が寄ってたかって七海葉月に侮辱行為を繰り返す。まるでガス抜きの餌食だ。



誰かが聞いた話しではここ以外のクラスでも孤立しているらしかった。



何故なんだろう



椎奈は最初はとても疑問に思った。


何故こんな綺麗な人が排除対象になったのだろう。いったいきっかけはなんだったのだろう。



七海葉月は自分の席まで来ると椅子の具合を確かめるようにしてからゆっくりと座った。


椎奈の隣りの席だった。


腰をかけた葉月は小さな溜め息を漏らした。


生気を追い出すような呼吸だった。だが椎奈は思った、生きている人がする呼吸の音だと。



椎奈は眼鏡のブリッジに触れてから横目で隣りの席を見る。


葉月の長い黒髪は生気を失ったように艶が無くて顔色も悪く見えた。


「じゃあ行くね」


「うん」



友達はいそいそと離れていった。


椎奈はクラリネットをハンカチで拭きながら隣りにいる葉月が発する空気を辿った。






入部したばかりのころにはじめて目撃した葉月に対する惨い仕打ちは、むせ返るほどに気管を刺激した。


突然起きた暴力に椎奈は怒りを覚えたと同時に悲しみが全身を覆った。

そして正義感が沸々と体内を滾った。


二年生の女が通りすがりに椎奈の隣りに座る葉月の頭を後ろから思い切り叩いたのだ。


聞き慣れない音が耳をつんざいた。


突然の出来事に椎奈は状況を掴むのに数秒の時間を費やした。


なにも言わずに深く俯いたままの葉月の髪は強く叩かれた衝撃で乱れていた。



「ちょ、ちょっと先輩!何してるんですか!」


椎奈は椅子を後ろに倒す勢いで立ち上がっていた。


「はぁ?」



二年生は立ち止まり振り返ると椎奈を睨みつけた。そばかすに細い目が印象的な女だった。


「だ、だっていま先輩、叩きましたよね?」



「は?叩いた?私が?誰を?」



「ちょっと何言ってるの、だっていま」




椎奈が歩を進めようとしたそのとき誰かが椎奈の袖口に触れた。


「いいの…ありがとう…」



「え…だって先輩…」



見上げてくる葉月のはかなげな笑顔がとても痛々しかった。



「へー、あんたいい度胸してるね、じゃあいまからこいつの代わりになる?私達はそれでもいいよ、まああんたが代わりになっても葉月は変わらずイジメられると思うけど」



葉月を叩いた二年生は椎奈の目の前まで来て胸のまえで腕を組んだ。



「たぶんこいつの代わりは毎日辛いよ。おそらく死にたいくらいにだと思う。いいよ私らはあんたに替えても」



他の上級生はなにも言ってこない、ほくそ笑む者もいた。


上級生でも三年生は?


椎奈が三年生を探すと見て見ぬふりをしているのがわかった。


これは公然とした差別?


「あ…いや…あの」



一瞬にして全身に襲いかかる恐怖が言葉もしどろもどろにさせる。


弱い…


私はなんて弱いの…


椎奈は高鳴る鼓動とともに自分の弱さを思い知らされた。



「謝ってよ」


二年生が椎奈に詰め寄る。



「え?」



「ほら早く。私に謝って」



椎奈は言われるがままに頭を小さく下げた。




「は?え?あんた私を馬鹿にしてる?それともなにも知らないお嬢様なの?それが謝罪のつもり?笑わさないで。正座して謝るに決まってるでしょ、はいタイムリミットは5秒。しなかったら二年全員あんたの敵になるよ、5.4.3」


椎奈は言われるがまま床のうえに正座をする。悔しさで涙が出た。


「あはは、それが謝罪だよ。よしよし許してあげる。ねえ1年生しっかり聞いて。ここにいる七海葉月先輩は二年生皆んなから嫌われてるから、それをまた1年がつべこべ反論したり先生に言ったら承知しないからね。わかった?」



正座したままの椎奈を含めたここにいる1年生全員が目を背けた。


「ねえ葉月。あんた畜類なのになんでここにいるの?。早く消えてよ」



葉月の椅子を蹴っていく二年生。



葉月はずっと俯いたままだった。







それから椎奈は葉月を避け続けたのだ。


「あ、あの…水樹さん…」



おどおどした声が隣りから聞こえてくる。


え?私に話しかけてきた?


椎奈は葉月を見ずに小さく首を振って軽く会釈を返す仕草をした。



視界の隅で引っかかるように彼女のシルエットが映りこんでいた。


華奢で小柄な体型はいつ消えて無くなってもおかしくないほどに感じた。


「あの…」



葉月はなにか意を決したように話しかけてきた。

椎奈はそんな気がした。


椎奈が顔を向けると葉月は嬉しそうな顔をした。


そのとき上級生が教室に入ってくる。



椎奈は葉月から急いで顔を逸らしてクラリネットの練習を始めた。


葉月は摘み取られた花びらが可憐の主旨を変えるように再び下を向いた。



私はどこでも嫌な人の隣りばかりだ…




二年生の女が通りぎわに葉月の椅子を蹴っていく。毎日の出来事だった。葉月はそのまま後ろへ倒れそうになる。


椎奈はなにもしなかった。

なにもできなかった。


見ることすらしなかった。



「葉月ほんと邪魔」


葉月は何も言い返すことなく椅子を元の位置に戻して座りなおした。



椎奈は毎日行われるイジメを見るたびに思う。



この人が…

いったいどうして?


そしてこうも思った。


七海先輩は戦わないんですか?

この屈辱に。




@


数日後。



夏休み前の大掃除が昼休みの後に行われる日だった。




席の位置から決められた六人がグループを作りそれぞれ教室の外に出て決められた場所の掃除をする。


昼休みのすぐ後なので生徒たちからは大きな欠伸が連鎖反応のように出ては消えていった。



「よーし、リク行くか!こっからは煙草吸う暇なんてまったく与えないからな!」



「おいこら新汰。おまえ単なる馬鹿だろ?声でかすぎだろ」



須和新汰と結城理玖がいるグループは自転車置場へ向い、秋月悠理と水樹椎奈がいるグループは体育館裏の掃除へと向かうことになった。


体育館を目指して歩く六人は各々に掃除道具を手にしていた。下駄箱で上履きを靴に変えて校舎を出て東へと歩いていく。

悠理は片手にチリトリを持って靴の踵を踏みながら眠たそうな表情で一番後ろを歩いていく。


椎奈は苛立ちを隠せないまま振り返る。


秋月君はどうしてチリトリだけしか持ってないのよ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ