理玖って笑わない人だったのにね
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国語の授業が終わると椎奈は悠理を一瞥してから席を立ち上がると、滲み出る不機嫌さを全身で表しながら大股で小学生時代からの友達がいる席へと真っ直ぐ向かっていった。
「忙しいところごめん、ちょっとだけ話し聞いてほしいな」
椎奈が後ろから友達の背中に抱き着いて「しくしく私辛い」と言って泣く真似をはじめた。
「お、椎奈おつかれー、六限終了。え?どうした?なにが辛かったの、さてはまた秋月君となにかあったな」
最近はよく秋月悠理の話題を椎奈が持ってくる、まあいつも否定的なことばかりなんだけどねと友達は思う。
椎奈は友達に優しく頭をヨシヨシされるなか
さきほどあった出来事の要点をまとめながら早口に話していった。
「もうあいつはねほんと最悪なの。授業中に寝てるか外見てるかどっちかだなんて、まるでせっかく動物園に行っても園内にいる鳩を見つけて、ほらあの鳩は頭良すぎだぜとか言ってずーと観察してたり、明日は雨かなぁって真ん前に象がいるのにぽけーて飛行機雲見続けてるのと同じようなものよ。学校の授業をなんだと思ってるの!私決めました。早速、来週にでも席替えしてもらうことにする、明日にでも先生に直談判するわ。早期脱落者の隣りだと私の成績は確実に落ちていくと思われますが先生は責任をもてるのでしょうか?ってね」
「あらあら」
友達は笑って肩をすくめた。
学級委員長としての水樹椎奈の発言力はかなり強くしかも偽りない秀才だ。来週には間違いなく席替えになるなと友達はふんだ。
椎奈の父親は医師で診療所を開業していた。この街の東側、つまり千覚寺小学区内ではわりと有名な水樹内科医院だ。椎奈には兄がいて中学生のときは神童と言われていた。椎奈の友達は思う、秋月悠理に対するひどい言動はきっと椎奈は人は見下すためにも存在していると両親から教えこまれた部分があるではないかと。
椎奈はよく秋月悠理を馬鹿だ無能だ底辺だ扱いするがやはりそれはとっても失礼だろうと思う。
椎奈の根はとても良い人だ、正義感溢れ基本的にとても優しい人。だだ、とにかくひと言の刺激する毒を吐くことが多く、それが彼女にとってのマイナス要因になっているのも確かだ。
このクラスはとても統率がとれていると椎奈の友達は身に染みて感じたりする。
いまの1年A組は男女共に千覚寺小も千里小も関係なく皆が仲良い。
素直に言ってしまえば1人の男子生徒の存在がとても大きかった。
須和新汰。
人数が少ない千里小学出身というハンデも楽々に乗り越えいまではこのクラスのリーダーとしてまさに君臨している。彼はリーダーシップの力というより人を惹きつける力、すなわち神から与えられた能力のようなものがあるのだと皆が思い感じていた。
水樹椎奈も利口で真面目な性格が学級委員長によく似合っている。
椎奈の友達はこのクラスの一員でよかったと心底思うのだ。
友達はいま椎奈から話題に出た男子のことがつい見たくなり振り返った。窓際の一番後ろの席に秋月悠理がいて隣りには須和新汰がいた。二人は校庭を見下ろしながらなにか楽しげに話していた。不思議なものでどんな会話をしているのか聞きたくなってしまうのは陽に照らされた二人の横顔があまりに柔らかく見えるからだろうか。
「ねぇ椎奈。来週に席替えして秋月君と離れちゃったら案外寂しいかもよ」
椎奈は友達の手をぎゅっと掴む。
「あり得ないの絶対に。秋月君は私の一番嫌いなタイプなんです、来週必ず席替えしてもらいます」
周りの生徒たちは部活動に行く用意を始めていた。
「そっかそっかタイプじゃないのか、でもね秋月君は他のクラスの女子からも人気あるらしいよ、走るのかなり速いみたいだし、まあ見た目も正直良いしね」
椎奈が毛嫌いする秋月悠理の話しは何故かいつも盛り上がったりもする。
「え?足が速いだなんて当たり前よだって陸上部だもん、それに小学生じゃないんだよ足が速いからモテますっていうのはかなり無理あるなぁ」
椎奈は唇をすぼめた。
友達は、「あ、そうそうと」次の話題をふる。
「噂になってるんだけど、我らリク君が三年生と揉めちゃって1人で喧嘩してたんだけど、あとから須和君と秋月君が助けに駆けつけたらしいよ。リク君がしばらく学校休んでたのはそれで怪我しちゃったみたい。まあすべては真実かはわからない噂話だけどね」
「やだそれかっこよくもなんでもない、ただの野蛮。暴力反対。もしほんとにあった話しなら、やっぱり秋月君は最低な男だな。はっはーん、だからいつもなんか動物臭いんだ。それに秋月君の外見がいい?嘘でしょ。あ、なんかあいつ、わんこのアレに似てる、あの犬種」
椎奈は急に楽しそうに口を手で押さえた。
「こらこら。それ以上はもうダメだよ、悪口になっちゃうからね、楽しくないよ」
友達に言われた椎奈は「ま、ちょっと言いすぎたな」
といった。
「あとはやっぱりリク君だよね、生粋の刃は小学生時代から変わらない。でも」
椎奈は友達の会話を途中で遮る。
「私はリク君が大人になったときがあまりに心配で」
「おいなにが心配なんだ?」
椎奈はその声に驚愕してもっていた鞄を床に落としてしまった。振り返るとなんと理玖が目の前にいるではないか。彼のバニラの香りが遅れて鼻腔に降りそそいでくる。
「な、なんにも言ってません」
「ふん」
すぐに立ち去ろうとした理玖だったが、なにかを思い出したかのようにこちらを見つめて口を開いた。
椎奈は気付いている、理玖は小学生のころから洞察力がある。だからここに理玖が来たことは最初はとても驚いたが、やはりなにか自分の異変に引っかかってくれたのかと思うととても嬉しかった。
「おまえさ、さっきの話しなんたけど、吹奏楽部の」
じわりと身体を寄せてくる。
「なんかあるんじゃないのか?」
「え?」
目の前にいる理玖の心の中までも見透かしてくるような鋭い二つの瞳は椎奈を無言で詮索しているようだった。
「おまえに動揺みたいなの感じたからな。ま、なんか悩み事あるなら俺に言え。もし殴って欲しい奴がいたらとことんやってやるよ」
じゃあな。と立ち去る理玖の背中を椎奈は見続けた。
友達はさっきの話しの続きだけど、と前置きを述べてから
「でも、椎奈も知ってるよね最近の女子の1番の話題は断トツで最近のリク君はすごく変わったよね。だよ。千覚寺小卒業生女子はとくに知ってるから、あの人ってほんといつも鋭い切先を抱いてまったく笑顔見せない人だったから。もしリク君の笑顔を見てしまったら明日絶対おっきな地震来るからとか言われてたな。それが最近はよく笑顔見せてくれるんだからファンも増えちゃうよね、さてさて、いったい彼になにがあったんだろうね」
椎奈は友達にする返事も忘れ理玖の後ろ姿を見送っていた。