【第5号】芦屋ブランド専用の法律!?(「芦屋国際文化住宅都市建設法」ほか)
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芦屋国際文化住宅都市建設法
(昭和26年法律第8号)
施行:昭和26年(1951)3月3日
状態:現行法(今も有効)
主な内容:兵庫県芦屋市の国際文化住宅都市化
関連法令:都市計画法など
※住民投票を経て成立
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関西で高級住宅地といえば、まず兵庫県芦屋市が挙がるだろう。
そんな「芦屋ブランド」も、実は法律で決まっている……といえば、皆さんは驚くだろうか?
◇
芦屋市は地方自治体の1つである。
そして、地方自治にはこんな原則がある。
「地元のことは、そこの人たちで決める」
この原則に従えば、
「芦屋のことは、芦屋の人たちで決める」
となるはずだ。
ところが、この「芦屋国際文化住宅都市建設法」は法律である。
法律は日本政府(国)が決めるものだ。つまり……
「芦屋のことを、なぜか国が決めてる !? 」
ということになる。
どうしてそんな、不思議なことになっているのか? 芦屋の歴史をざっくり辿りながら、見ていこう。
◇
現代の芦屋市からは想像できないだろうが、そもそも“芦屋”とは粗末な建物のことであった。
いや、当時の庶民目線では「これが普通」だったのだが、貴族がそう書き残している。
そして、私たち現代人が見ても、
「わ、こんな建物使ってたの……?」
となるのが、本来の“芦屋”だったらしい。
ともかく、それは明治半ば頃までの芦屋市も例外ではなかった。
当時「精道村」と呼ばれたこの地もまた、ありふれた農村・漁村の1つだったそうだ。
◇
しかし、芦屋は他所と違い、2つの大都市:大阪と神戸の間(阪神間)にあった。
「東洋一の港町をここに!」
という国策の下で、急速に発展していく神戸。
対する大阪も近代化を進め、“大大阪”“東洋のマンチェスター”(※1)などといわれるほどの大都市に成長する。
※1 英国中部の大都市
商工業都市として有名だった
その結果、どちらも
「人が多すぎるわ、空気は悪いわ……」
という、住みにくい街と化していた。
このため、大阪の富裕層を中心に、“快適な郊外”に引っ越したり、別荘を建てたりする人々が現れる。
そんな中、明治38年(1905)に阪神電車が開業する。
芦屋の2つ西隣の「住吉村」(※2)から開発が始まり、高台に西洋風の住宅・別荘が相次いで建てられた。
これが芦屋など、周辺地域にも広がっていく。
※2 現:神戸市東灘区の一部
おめでとう!
芦屋 は 憧れ に 進化 した !!
大正9年(1920)には阪急電車の神戸線も開通する。競い合う阪神・阪急を中心に、芦屋や阪神間の宅地開発はさらに進んだ。
やがてそこには富裕層だけでなく、中産階級や芸術家も移り住むようになった。
しかし、昭和期に入ると、その流れに水を差すような災害が続く。
昭和9年(1934)の室戸台風と、同13年の阪神大水害。これらによる大雨・洪水・土砂崩れが、阪神間の宅地にも打撃を与えた。
そして極めつけは、同20年に相次いだ米軍の空爆である。
第2次世界大戦末期。東京・大阪をはじめとする日本の都市部は、相次いで空爆されていた。
軍関連の工場が、みるみる焼かれていく。
残念ながら、どう見ても日本の負け……という状況で、
「もう降伏すべきだ!」
「嫌だ! 本土決戦だ !! 」
などと、日本のお偉方はグダグダ揉めていた。
それを見た米軍は、
「ふぅん、まだ戦るんだ……じゃあ皆殺しにしてやるぜ !! 」
とでも言わんばかりに、空爆を続けた。
工場を焼き尽くすと、ご丁寧に都心部や住宅地まで焼いていった。
どっちもクズである。F**K OFF!
特に昭和20年8月6日未明の「阪神大空襲」では、芦屋の住宅地も空爆を受け、100名以上が亡くなったという。(※3)
※3 また、「芦屋のひまわり」と呼ばれるV.ゴッホの絵画作品が、この空襲で焼失したとされる
ほどなく戦争は終わり、全国各地で「焼け跡からの復興」が課題になった。
だが、被害が大きすぎた。芦屋をはじめ、1自治体の力だけでは、復興なんて厳しい……。
そこで出てくるのが国、というわけだ。
◇
終戦の翌年、「特別都市計画法」という法律ができた。戦争中の空爆などで被災した都市(略して“戦災都市”)に対して、
「土地の整理しやすくするから、早く復興してね」
という内容である。
芦屋をはじめ、全国で115の都市が対象になり、
「ィヨッシャア〜! やったるでぇ〜 !! 」
「どうせやるなら、百年後を見据えてド派手に……」
などと、大規模な復興計画をぶち上げていった。
これを見た国は、昭和24年に「戦災復興都市計画の再検討に関する基本方針」という文書を出す。
「ヤバい……財政ヤバいから、もっと小さくまとめて!」
と。
対する戦災都市側は、地元の国会議員を通して、国に釘を刺そうとした。
「分かったから、“ぼくらの理想の街づくり”、手伝ってくださいよ?」
それが、まとめて“特別都市建設法”と呼ばれる、16の法律である。「芦屋国際文化住宅都市建設法」も、その1つだ。
その他、比較的有名なものが、
・広島平和記念都市建設法(広島県広島市、昭和24年〜)
・長崎国際文化都市建設法(長崎県長崎市、昭和24年〜)
・首都建設法(東京都、昭和25〜31年)
の3つであろう。
さらに、たとえば近畿地方には、
・旧軍港市転換法(京都府舞鶴市ほか、昭和25年〜)
・神戸国際港都建設法(兵庫県神戸市、昭和25年〜)
・奈良国際文化観光都市建設法(奈良県奈良市、昭和25年〜)
・京都国際文化観光都市建設法(京都府京都市、昭和25年〜)
の4つが適用されている。
これら16の法律は、要約すると、
・戦災都市は、理想の街づくり(※4)を頑張りなさい
・国や関係諸機関(※5)は、理想の街づくりにできるだけ協力しなさい
といった内容である。
※4 たとえば芦屋なら“国際文化住宅都市化”、東京なら“首都に相応しい都市開発”、といったところか
※5 主に都道府県や周辺市町村を指しているようだ
また、いずれも国会で成立してから、住民投票でも賛成多数を得て、施行された法律である。
つまりこれは“国が決めて、地元も納得した法律”ということであり、
「国が決めたんだから、ちゃんと守ってくださいよ?」
という話なのだ。
◇
16あった“特別都市建設法”。今も15の法律が生き残っている。
「地元のことを、なぜか国が決めている」
のは、国の押しつけとは限らない。
この場合は、むしろ地元の熱意の賜物といえるのではないか。
しかし一方、115ある戦災都市の中には、かなりの温度差があったようだ。
16の法律の対象は、全国でわずか18の市と東京都だけであった。大阪や名古屋をはじめ、制定されなかった地域が殆どだ。
また、住民投票の投票率が約4割〜9割と、対象地域の中にも温度差があった。
そしてこの“特別都市建設法”ブームは、約2年で終わった。
住民投票の手間と費用を嫌がってか、その後「法律制定→住民投票」という動きは見られない。
なんなら、住民投票が必要と思われる内容でも、その部分を
「中身は政令で決めます(※6)。だから住民投票は不要です」
などといって避けた法律もある。
それに対する地元の反発も、あまり見られない。
※6 これを政令委任という
「地域振興」
とか何とか、簡単に言うけれど。
地元の熱意は今、どこにあるんでしょうね……?
いやはや、政治は遠くなりにけり――――
以上で〆となります。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました〜!
……とか言って、次回が生えてくるかもしれません。その時はまたよろしくお願いします m(_ _)m
【追記】一部加筆/修正しました
(2025/11/29)
――今回取り上げた(?)法律――
※首都建設法については、本エッセイの「【第1号】〜」を参照してください
特別都市計画法
(昭和21年法律第19号)
施行:昭和21年(1946)9月11日
状態:無効(昭和30年に廃止)
主な内容:戦災都市の復興について
関連法令:都市計画法
広島平和記念都市建設法
(昭和24年法律第219号)
施行:昭和24年(1949)8月6日
状態:現行法(今も有効)
主な内容:広島県広島市の平和記念都市化
関連法令:都市計画法、長崎国際文化都市建設法など
※住民投票を経て成立
長崎国際文化都市建設法
(昭和24年法律第220号)
施行:1949年8月9日
状態:現行法
主な内容:長崎県長崎市の国際文化都市化
関連法令:都市計画法、広島平和記念都市建設法など
※住民投票を経て成立
旧軍港市転換法
(昭和25年法律第220号)
施行:昭和25年(1950)6月28日
状態:現行法
主な内容:旧軍港4市(※)の平和産業・港湾都市化
※神奈川県横須賀市、京都府舞鶴市、広島県呉市、長崎県佐世保市
関連法令:都市計画法など
備考:4市すべての住民投票を経て成立
神戸国際港都建設法
(昭和25年法律第249号)
施行:昭和25年(1950)10月21日
状態:現行法
主な内容:兵庫県神戸市の国際港湾都市化
関連法令:都市計画法、横浜国際港都建設法など
※住民投票を経て成立
奈良国際文化観光都市建設法
(昭和25年法律第250号)
施行:1950年10月21日
状態:現行法
主な内容:奈良県奈良市の国際文化観光都市化
関連法令:都市計画法、京都国際文化観光都市建設法など
※住民投票を経て成立
京都国際文化観光都市建設法
(昭和25年法律第251号)
施行:1950年10月22日
状態:現行法
主な内容:京都府京都市の国際文化観光都市化
関連法令:都市計画法、奈良国際文化観光都市建設法など
※住民投票を経て成立




