【第1号】24時間表記って、実は違法!?(「改暦ノ布告」ほか)
前 回 4 か 月 前
……いや~、お待たせしました!
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改暦ノ布告
(明治5年太政官布告第337号)
公布:明治5年(1872)11月9日
状態:政令扱い(今も有効)
主な内容:太陰暦から太陽暦への改暦について
関連法令:閏年ニ関スル件
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毎年6月10日は「時の記念日」だそうだ。
今から1000年以上前、天智天皇の命令で「時報」が始まった日だから……だとか。
ホンマか工藤?
まぁ、時報といっても、現代(21世紀)のそれとは全然違う。
電話や電波どころか、“時計の針”という概念があったかどうかさえ、怪しい――――それが、7世紀の日本だ。
当然、
「ピッ、ピッ、ピッ、ポーン! ……○時ちょうどをお知らせします」
なんて音声案内が、あるはずもなく。
「ゴォーン……」
という、お寺の鐘の音が、その代わりになっていたらしい。
しかもそれを、お寺からお寺へ伝言ゲームみたいに中継していたから、たとえば
「東京と京都で、小一時間ズレてる…… !! 」
みたいな状態が当たり前、だったそうだ。
※7世紀の日本には、東京も京都もありません。ご注意ください
◇
そんな感じで、長~い間「時間にルーズ」だった日本人。
だがそれを、問題視する人たちが現れる。明治新政府のお役人たちだ。
「24時間表記って、 違 法 じ ゃ ね ? 」
という話の、原因を作った人たち――――ともいう。
※「24時間表記を使ったから逮捕」なんて、バカな話はありません。ご安心ください
(2025年5月現在)
◇
彼らが生きた19世紀後半の日本は、欧米の強国から「遅れた国」と見なされていた。
独立国でいられただけマシ……とはいえ、“国まるごとナメられて、理不尽な目に遭わされる”というのは、気分が悪いものだ。
だから彼ら役人たちは、ガンガン
「違う、僕らは立派な文明国だ! だから対等に扱え !! 」
と、アピールしまくる必要があった。
そのために、欧米諸国に合わせて、様々な物事が変えられていった。
そして、それらを広めるための新しい法律や命令も生まれた。
その1つが今回の主人公(?)、
「改暦ノ布告」
である。
「日付とか時刻とかも、欧米に合わせて変えます!」
というのが、この命令の狙いである。
◇
ところがこの「改暦ノ布告」、あちこちで粗が目立つ出来映えだった。
少なくとも、私たち後世の人間には、
「流石に焦りすぎじゃね……?」
と思えるくらいには。
まず、この布告では
「それまでの太陰暦を廃止して、欧米と同じ太陽暦を採用する」
と決められている。
その結果、明治5年(1872)の大晦日は「12月2日」となった。
次の日は「明治6年1月1日」。日付だけ見れば、ほぼ1か月が吹っ飛んだ形である。
しかもこれ、改暦の約1か月前になって、急に出された命令であった。
なんでも、明治政府の財政がヤバかったので、お役人さんの給料を1か月分、ケチろうとしたんだとか。
偉いさん達はそれでよかったのかもしれない。が、庶民は違った。
現代風にいえば、「年末商戦を潰された」。景気が悪化したのは、いうまでもないだろう。
しかも、明治6年の暦がもう出てたのに、だ。
業者たちは大急ぎで、暦を作り直す羽目になったという。
ウ……嘘やろ !?
こ、こんなことが……こんなことが許されてええんか !??
◇
また、4年に1度の閏年についても、欠陥があった。
厳密にいえば、今の閏年は「完全な4年に1度」ではない。
400年のうち3回は平年(2月29日のない、普通の年)に戻せ、と決められているのだ。
なぜか? そうしないと、じわじわ季節がズレていく……と、計算で分かったからだ。
ところがこの「改暦ノ布告」、その辺の話もすっぽ抜けていた。
20年以上後になって、慌てて
「閏年ニ関スル件」(明治31年勅令第90号)
という命令を作って、間に合わせたほどだ。
◆
余談だが、この「閏年ニ関スル件」がまた酷い。
どうせ欧米諸国に合わせるんだから、西暦で書けばいい…………のに、わざわざ「皇紀」という、独自の暦法を持ち出した命令である。
お蔭様でまわりくどくて、計算も大変な勝れもの!
しかもこれ、現役で~す()
……何考えてンだよ、間抜け野郎ども!
◇
そして、この「改暦ノ布告」最大の欠陥が、“24時間表記を無視した”点だ。
※お待たせしました。やっと本題です※
現代日本に生きる私たちにとって、
「1日=24時間」
というのは、常識といっていいだろう。
だが、昔は違った。
1日を24等分ではなく、12分割するのが一般的だった。
そしてそこに、たとえば十二支を当てはめて、
「子の刻、丑の刻、寅の刻……」
などと数えていたらしい。
余談だが、
「丑三つ時」
「正午」
などの言い方は、その名残である。
そこで、「改暦ノ布告」には欧米式の「時刻表」が添付されている。
……のだが、これが地味~に問題なのだ。
その「時刻表」から冒頭、真ん中あたり、最後をそれぞれ見てみると……
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午前 零時 即午後
十二時 子刻
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(中略)
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(午前)十二時 午刻
午後 一時 午半刻
―――――
(中略)
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(午後)十二時 子刻
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となっている。
最初の「午前零時」と最後の「(午後)十二時」が重複している。
一方、真ん中の「(午前)十二時」と対応する“午後零時”はない。
中途半端やなァ~……
そしてお察しの通り、“24時間表記”については何も書かれていない。
それって、「24時間表記は違法」ってコト…… !?
◇
いやいや、ご安心ください。
たしかに違法かもしれませんが、「じゃあ逮捕」という話にはまずなりません。
※2025年5月現在
なんなら、明治初期から数十年の間、頑なに“24時間表記”を使い続けた政府機関があります。
あの「時刻表」を無視し続けた、剛の者。その正体は……
旧 日 本 軍 、といいます。
……はい、そうです。午後1時のことを
「一三〇〇」
とか言ってた、あの人たちです。
――――やはり暴力…… !!
暴力はすべてを解決する…… !!()
お読みいただき、ありがとうございます m(_ _)m
次回更新は未定です。あしからずご了承ください……
【太政官布告/勅令って何?】
本文中で説明し忘れてたので、ちょっと補足します。
勅令は天皇の命令です。 ※敬称略
対する太政官布告は、明治初期の「太政官」というお役所が出した命令です。
ただし、あくまで形式が違う、というだけのお話です。庶民目線だと、
「どっちも天皇さんの命令やんけ!」
というね……
※「国民主権」な現代日本と違い、当時は「天皇主権」でした
――【おまけ】今回取り上げた法令――
閏年ニ関スル件
(明治31年勅令第90号)
公布:明治31年(1898)5月11日
状態:政令扱い(今も有効)
主な内容:置閏法(閏年の入れ方)の修正について
関連法令:改暦ノ布告