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第9話

城壁に囲まれたイグマスの旧市街。その中央にある小高い丘に、伯爵家の屋敷が建っている。八階建ての石造りの屋敷を、数百年にわたって市民たちは〈塔〉と呼び、仰ぎ見てきた。


丘の北側をバルバドスとエルはよじ登った。〈酔っぱらいの梯子〉と呼ばれる急な石段は、外で飲み明かした若い騎士がこっそり屋敷に戻るための秘密の抜け道である。


エルを馬房に連れていくと、バルバドスはすぐに姿を消した。


「騙したな!」

エルが叫ぶと、イオアンは平然と答えた。

「騙してなどいない」


薄暗い馬房。ふたりはブケラを目の前にして言い争っている。


「冗談じゃない。ルベルマグナの血をひいてたら、こんなちっちゃいわけないだろ。それとも、まだ仔馬なのかよ」

「四歳にはなってると思うが」

「じゃあ、おかしいだろ。魔の馬(スレイプニル)ってのは象みたいにでかいんだから」

「象は言いすぎだろう。巨大なのは事実だが」

「見ろ、あの貧相な馬体を!」

「痩せているだけだ。昔は食べすぎで、ぽっちゃりしてたんだがな」

「それに不格好な脚! 丸太かよ」

「母親が山育ちだったらしい」


低く鼻を鳴らす音。振り向くと、暗がりでブケラの瞳が光っていた。まるで、お前の話は聞いているぞと脅かされているようだったが、エルはその印象を振り払った。


(ただの死にかけた馬じゃないか)


「とにかく約束が違う。帰らせてもらうぜ。ルベルマグナの子供が見れるっていうから、険しい崖も登ってきたんだ」


「それを保証したのは、お前たち〈首なし騎士団〉だぞ」


馬房から出ようとしたエルが足を止めた。

「どういうことだよ」


「三年前の雪の朝だ。髑髏の仮面を被り、黒装束に身を包んだ男が、ブケラを連れて屋敷に現れた。ルベルマグナの子供だと言い張ってな」


「嘘をつくな!」

とエルが叫んだ。

「俺たちはそんなことはしない!」


「なぜだ。私が聞いた話では……」

「領主はお得意様だぜ! 偽物を掴ませたりなんか……」


「まあ聞け」

とイオアンはエルを宥めた。

「門番も信じなかった。サトゥルナリア祭で飲みすぎたんだろうと思ってな。だが伯爵様は、ブケラを見るなり即決した。大金を手にした男はすぐに消えたらしい」


「誰も止めなかったのかよ。見りゃ分かんじゃん。あいつが魔の馬なんかじゃないって」

「止めたが、押し切られた」

「馬鹿じゃないの」


「仕方ない」

イオアンは肩をすくめた。

「実際にルベルマグナを見たことがあるのは、伯爵様だけなんだから」


「先代の公爵が討ち死にしたのは、かなり昔だろ」


「その前から伯爵様は、ルベルマグナを知っていたんだ。いつも公爵様のお側にいたからな。帝国中でいちばん詳しいと言っても過言じゃない」


「相当なじじいだな。で、この屋敷の伯爵って誰よ?」


イオアンが一瞬黙り込んだ。

「知らないで来たのか?」


「あのドワーフのおっさんは教えないし、屋敷の裏から忍び込んだから見当もつかない。隠してないで早く教えろよ」


「お前は知らないほうが……」

と言いかけて、イオアンは溜息をついた。

「……オウグウス様だ」


「オウグウス……」

エルが目をみはった。

「あのオウグウス・セウか! くそっ、失敗した!」


地面に膝をつき、拳を打ちつけて悔しがるエルの顔を、

「どうしたんだ?」

と不思議そうにイオアンが覗き込んだ。


「不覚だった……」

エルは歯ぎしりをして顔を上げた。

「まさかセウ家の屋敷だったとは! だったら牢獄塔で拷問されてたほうが、まだマシだったぜ……」


「大袈裟だな。せっかく私が……」

と首を振るイオアンに、立ち上がったエルが詰め寄った。

「じゃあ、あんたもセウ家の人間か?」


「そ、そうだが、それが?」

「ここで何してんだよ」

「何って……」


エルの手が短剣に伸びた。


「馬鹿なことはよせ!」

とイオアンが声を張り上げた。

「〈塔〉には、セウ家の精鋭がいる。私が騒いだら、お前なんか一瞬で終わりだからな!」


エルは馬房の外を見やり、短剣から手を離した。

「で、あんたは何者なんだよ」


「私はその……」

イオアンは目を逸らした。

「……アルケタ様の家庭教師だ」


「え、アルケタのか? セウ家の跡継ぎの?」

「そう、あのアルケタだ」


「ふーん」

とエルは、イオアンを値踏みするように眺めた。

「アルケタの家庭教師ってことは、相当美味しいんだろうな。伯爵家から金もたんまりもらってるだろうし」


「毎日が楽しくて仕方ありません……というわけでもない」


エルがアッと声をあげた。

「それで本を持ってたわけか!」

「本?」

「鞄に入れてただろ?」

「あれは……教えるための歴史書だ。そんなことより早く診てくれ」

「やだね」

「私を嫌いになってもいい。だが、馬に罪はないだろう」

「……」

「ほら、あんなに痩せ細って。可哀想だと思わないのか? ずっと餌も食べていないんだぞ」

「いつから」

「もう、三カ月になる」

「嘘をつくなよ、ふつう死ぬぞ」

「不思議なんだ。私にも分からない。馬丁たちも気味悪がって近寄らない」

「変なものを食わせてない?」

「いや、餌は他の軍馬と同じだ。久しく遠乗りもしてないから、外のものは口にしてないはず……」

「じゃあ、分かんねえな」


「そんな結論を急がず、ちゃんと診てくれ、ほら!」

イオアンは、エルを前へ押しやった。

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