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第4話

気がつくとエルは市場の端に出ていた。

動物たちの鳴き声でやかましい。鶏、豚、羊に山羊。孔雀まで売っている。オークの肉屋が手慣れた様子で鶏をさばいていた。


大好きな干し草の匂いに包まれ、ようやくエルの気持ちは落ち着いてきた。たぶん、あの子は俺を憐れんでいるんだろう。貧しい物乞いから盗むような嫌な奴だと思ったに違いない。


(そうじゃないのに――)


繰り返し説得する声に、エルは振り返った。

「ですから言ってるじゃないですか。馬は扱ってないんですよ。ここに、そんな場所はありませんからね」


驚いたことに、困り果てた様子で家畜商が説明している相手は、さっきのエルフの若者だった。深刻そうな暗い目をしている。


しばらく押し問答を続けた末、ようやく若者は諦めたのか、肩を落として立ち去った。背中の大きく膨らんだ鞄が目につく。いったい何が入っているんだ? エルは若者のあとを、距離を置いて尾行し始めた。


小柄なエルは、雑踏では前が見通せない。だが、若者を追うのは容易たやすかった。背が高く、頭ひとつぶん抜けていたからだ。


エルは若者に近づき、背中の鞄に触れたかったが、それは難しかった。若者は立ち止まることもなく、あちこちの店を覗いては、二言三言ふたことみこと言葉を交わし、ふらりと歩き出してしまう。


こんなとき相棒がいればなあ。話しかけるか、ぶつかって、若者の気を引いてくれれば、手先の器用な俺が、一発で若者から擦るのに――。


物悲しいリュートの音が聞こえてきた。


若者が人だかりに吸い込まれ、姿が見えなくなった。エルが慌てて人ごみを押しのけると、ドワーフの傭兵が迷惑そうな顔をした。そこは空き地のような場所だった。人形が散乱し、派手な格好をした役者たちが、小さな舞台を組んでいる。


周りを見回したが、空き地を取り囲む子供や大人の中にも若者の姿はない。笑い声が聞こえ、舞台の後ろから役者と一緒に、若者が出てきた。


エルが驚いていると、舞台前でリュートを弾いていた男の子がベルを鳴らした。慌てて役者たちは裏に引っ込み、待っていた者たちが舞台に殺到し、エルも人波に巻き込まれた。


最前列では、目をきらきらさせた子供たちが膝を抱えて座り込んでいる。一緒に見るのは気恥ずかしい。振り返ったエルは、後ろにいる若者を発見し、静かに背後に忍び寄った。再びベルが鳴らされ、人形劇が始まった。


大人の背中に遮られ、エルに舞台は見えない。だが、農夫の兄と羊飼いの弟の物語だということは分かった。見上げると、若者は食い入るように前を見つめている。


綺麗な顔をしているけど、どこか悲しそうだ。何かに囚われているような、重い苦しみを抱えているような表情をしている。なんだろう?


(そんこと考えてる場合じゃなかった)

エルは周りを見回した。観客たちも舞台に見入っている。誰も自分のことなど気にしていない。これ以上ない絶好の機会だ。


若者の背中の鞄の紐を、エルは慎重に解いた。そっと手を滑り込ませ、中身を探る。最初に触れたのは古い書物だった。分厚くて革張りのようだ。少し迷ったが、本はそのままにして、さらに奥に手を伸ばした。


硬貨の冷たい感触――。

思わずエルの口元がほころぶ。

しかし、その時エルは気がついた。周囲が水を打ったように静まり返り、舞台からも一切の音が消えていることを。


(いったい、どうしたんだ?)

エルは鞄に腕を入れたまま、身動きが取れなくなった。


夏の日差しがエルを焦がす。汗が流れ落ち、背中の傷跡に沁みた。子供の頃、盗みで鞭打ちにあったときのものだ。あの時の痛み――。


舞台からの絶叫に、隣の娘が金切り声をあげた。


さっとエルは腕を引き上げ、息をのんだ。掌には三枚の金貨がある。

(やった!)

エルは息を吐き、気を静めた。とっととおさらばしよう。若者から離れようとしたところで、厳いかめしい老人の声が響いた。


「お前の弟はどこにいるのか」

「知りません、私は弟の番人なのですか」

「お前は呪われて、ここを離れなければならぬ。大地が、お前の手から弟の血を受けたからだ。もはや、耕しても大地は実を結ばぬ。お前は、永遠に放浪者となるであろう」


見上げると、若者は蒼白になっている。

(たかが人形劇だろう?)

不思議に思いながらエルは背を向け、舞台から離れようとした。


兄の台詞が追いかける。

「その罰は、この私には重すぎます」


※ ※ ※


息を切らして駆けつけると、まだ少女は同じ場所にいた。相変わらず目を閉じ、祈りの言葉を呟いている。


(これで、俺のことを分かってくれるだろう)


前に立ったエルは咳払いをすると、自慢げに手を突き出し、掌の金貨を見せた。目を丸くする少女。だが、その視線はエルにではなく、その背後に注がれていた。


エルは怪訝な顔をして振り返ろうとした。だが、それは叶わず、太い腕で背後から首を絞められ、がくんと気を失った。掌から三枚の金貨がこぼれ落ち、音を立てて地面に転がっていく。


「バルバドスさん!」少女が叫ぶ。


がっしりとしたドワーフが腕を解くと、エルの体がどさりと崩れ落ちた。金貨を拾い上げ、再びエルを肩に担ぎ上げる。ドワーフは少女に軽く手を振ると、市場の雑踏に消えていった。

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