【連載版始めました!】妹に婚約者を奪われた伯爵令嬢、実は敵国のスパイだったことに誰も気づかない ~婚約破棄に追放は計画通り! さぁ国に帰ってのんびり暮らしましょう~
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「アリスティア、君を僕の婚約者候補から除名することが決まったよ」
「……え?」
それは突然のことだった。
いつものように早起きして、誰よりも早く宮廷に入り、溜まった仕事に取り掛かろうと手を伸ばした。
その手を止める様に、扉をノックする音が聞こえて振り返り、声をかける前に彼は姿を見せた。
セイレスト王国第一王子、ルガルド・セイレーン様。
次期国王になることがほぼ決定している次代の権力者だ。
この国では才ある者を多く残すために、貴族だけが複数人の妻を持つことが許されている。
王子である彼にも、複数人の婚約者候補がいた。
そのうちの一人が私、ミレーヌ伯爵家の長女として生まれたアリスティア・ミレーヌだった。
だけど今、私はその地位を剥奪されようとしている。
困惑する私に、ルガルド王子は言う。
「新しい婚約者候補はすでにいる。父上への報告も済ませておいた。もう君は、僕の婚約者ではなくなっている」
「お、お待ちください殿下! ど、どうしてそのようなことに……」
「理解ができないかな?」
そう言って、殿下は私を馬鹿にするような笑みを浮かべる。
理解できない表情を見せる私に、彼はため息をこぼしながら首を振る。
「まったく、これだから君はダメなんだ」
「……」
「わからないのかい? 仮にも僕の婚約者を三年もしていたというのに、僕の考えがわからないのかな?」
「……申し訳ございません」
私は謝る以外にできなかった。
彼が何を考えているのかなんて、私にはわからない。
だって、婚約者候補の一人になってから、私と殿下が交わした言葉の数は少なすぎる。
他にもいる婚約者に比べて、私は常に後回しにされていた。
放置されていたと言ってもいい。
いいや、むしろ私よりも彼女のほうが、ずっと殿下と交流が深いかもしれない。
「わからないようだからハッキリ言ってあげようか。仮にも元婚約者だから、あまり傷つけたくはなかったのだけどね」
「……」
ニヤニヤする殿下を見て、私は感じ取る。
本当は言いたくて仕方がないのだろう。
彼は表情を崩さぬまま口にする。
「たくさんあるんだ。元より、君との婚約は僕が望んだことじゃない。君の父親、ミレーヌ伯爵家当主がどうしてもというから、仕方がなくしてあげたんだよ」
そんなことは知っている。
私が殿下の婚約者に選ばれた理由は、お父様がそうなるように仕向けたからだ。
当然、私も望んでいない。
お父様にとって私は娘ではなく、自身の地位を確立するために都合がいい道具でしかない。
私はお父様に……いいや、ミレーヌ家の人間に嫌われている。
理由はハッキリとわかる。
私を生んでくれた母親が……他国のスパイだったからだ。
この国では貴族のみ、一夫多妻が認められている。
私の父も、三人の女性を妻にしていた。
そのうちの一人、平民で街の踊り子だった女性にお父様は惚れこみ、自らの妻とした。
お父様と平民の踊り子の間に生まれた子供……それが私だ。
貴族の血に、平民の血が混ざることは、貴族たちの中でもあまり快く思われない。
それを理解した上で、お父様はお母様を娶った。
きっと、それだけ惚れこんでいたのだろうと思う。
だけど、全ては計画されたものだった。
お母様は、当時敵対していた国から送られてきたスパイで、王国の内情を調べ上げる任務を担っていたらしい。
それがお父様に露見し、激怒したお父様によって追放された。
真実は定かではないけど、殺されてしまったのだと、ミレーヌ家の中では噂されている。
それが発覚して以来、お父様は私のことを目の敵にするようになった。
信じていた人に裏切られた直後だったから、少し同情する。
けれど、子供の私には関係ない。
お母様が何者でも、私が何をしたわけじゃない。
体罰を受けたり、食事を残飯にされたり、厳しさを通り越した教育を受けさせられた。
それでも私は、お父様のことを信じていた。
少なくともお母様がいなくなる直前まで、お父様は私に優しかった。
いつかきっと、優しいお父様に戻ってくれる。
私がいい子にしていれば、もっとお父様の役に立てるようになれば……と。
「正直最初は乗り気じゃなかったのだけどね。でも君は、最年少で宮廷魔法使いになるという一つの偉業を成し遂げた。その時に少しだけ興味が湧いたんだ」
そう、今の私は宮廷魔法使いだ。
五年程前、私がまだ十四歳だった頃に試験を受けて、最年少で合格した。
当時はそれなりに話題になった。
ミレーヌ家から若き天才魔法使いが誕生した、と。
私やミレーヌ家に対する世間の評価が上がった。
だけど、そんなことは私にはどうでもいいことだった。
私が望んだのは、お父様に認めてもらうことだけだったから。
優しいお父様に戻ってほしい。
その一心で、唯一自信があった魔法の勉強を独学でして、なんとか宮廷入りを果たした。
宮廷は、この国で最も優れた魔法使いたちが集まる場所だと言われている。
そんな場所の一員になれれば、お父様もきっと喜んでくれる。
ちょうどこの頃、以前から話にあがっていた殿下との婚約の件が進んだ。
お父様は私にこう言った。
ふっ、こんな下らない女との娘でも、多少は役に立つんだな。
目も合わせず、馬鹿にするように。
私は思った。
まだ足りないんだ、と。
お父様に認めてもらうには、宮廷入りだけでは不十分だと悟った。
だから頑張った。
毎日毎日、定められた仕事量の倍はこなし、夜遅くまで研究に励んで、王国に役立つ魔導具や新しい魔法を開発した。
国中に認められる功績を残せば、当主であるお父様も鼻が高い。
そうすれば今度こそ認めてくれると信じて……。
「でも興味はすぐに消えたよ。だって君といてもまったく楽しくない。魅力のカケラもないんだよ。女性としての魅力がね」
これまでの道のりを思い返していた私に、殿下は冷たく鋭い言葉を言い放つ。
つまらない女……そう言われてしまった。
でも、私は否定できそうにない。
「確かに君は凄い。魔法使いとして、この国によく貢献してくれていた。そこは認めてあげるよ。よっく頑張ったね」
パチパチパチと拍手の音が研究室に響く。
言葉では褒めていても、その態度や表情は馬鹿にしている。
本心からの賞賛ではないことくらい私にもわかってしまった。
殿下は続ける。
「けどそれは、宮廷魔法使いとして当たり前の仕事をこなしているだけだ。僕の婚約者は、いずれ僕の妻になる人物だ。それが仕事しかできない……それ以外に何の価値もない女性であってはならない。そんな女性なら召使いのほうがピッタリだ。そうは思わないかな?」
「……」
「何も言えないかい? だから君はつまらないんだよ。僕はずっと退屈だった。君みたいな愛想もなくて、仕事以外に友人もいなさそうな可哀想な女なんて、見ているだけで不愉快だ」
ひどい言われようだ。
私も、今の自分に魅力があるのかと問われたら、首を傾げる。
私は自分に自信が持てない。
だとしても、ここまでハッキリと罵倒されるなんて思っていなかったから、心に深くナイフが刺さったような痛みを感じた。
殿下は心に刺さったナイフをさらに抉る。
「だから今は晴れやかな気分だよ。君との婚約を解消できて、もっと相応しい女性と婚約を結べたのだからね」
「相応しい……女性……」
「君にも紹介してあげよう。君にとっても、無関係な人物じゃないからね」
「……」
この時点で私は、新しい婚約者が誰なのか予想がついていた。
私と殿下の婚約は、お父様がミレーヌ伯爵家のために交渉した結果得られたものだ。
それを簡単に手放すようなことを、お父様がするはずがない。
とことん私を利用して、王族との関係を途切れさせないようにするはずだ。
それなのに、こうも容易く話が進み、私が知らないところで決着しているということは……相手は一人しかいない。
「入ってきなさい」
「はい。失礼いたします」
ガチャリ、と扉が開く。
案の定だ。
私は目を疑うこともなく、小さなため息と一緒に肩の力が抜ける。
「紹介、は必要ないだろう? 僕より君のほうが知っているはずだ」
そう、知っている。
私は彼女のことをよく知っている。
なぜなら彼女は……。
「システィーナ……」
「こんにちは、アリスティアお姉様」
システィーナ・ミレーヌ。
私より二つ下の妹で、お父様と現在の正妻との間に生まれた娘。
彼女はニコリと微笑む。
私から婚約者を奪っていながら、清々しい笑顔を見せる。
「彼女が僕の新しい婚約者だよ。もちろん、父上も同意してくれている」
「ごめんなさいお姉様、まさかこんなことになってしまうなんて……思っておりませんでした」
「……」
わかりやすい嘘だ。
表情が悔いていない。
むしろ、私から奪い取ったことを喜んでいるようにも見える。
昔からそうだった。
システィーナは私を見下している。
お父様に溺愛され、ミレーヌ家でも優遇されて育った彼女は、私とは対極だ。
明るく、女の子らしく、可愛らしい容姿や振る舞いは男性を魅了する。
殿下も彼女の肩に腕を回し、さぞ気に入っている様子を見せる。
「システィーナは実にいい。君と違って魅力に溢れている。やはり僕の婚約者はこういう女性ではなくては困るね」
「いえ殿下、私なんてまだまだです。もっと殿下に相応しい女性になれるように努力いたします」
「その向上心も素敵だ。まったく、同じ家の人間でどうしてこうも差が生まれるのだろうか?」
「それは仕方がありません。私とお姉様は……お母様が違います」
「ああ、そうだったね。裏切り者の娘か」
私のお母様のことを、殿下やシスティーナも知っている。
二人だけじゃない。
貴族の中では有名な話だ。
ミレーヌ家は他国のスパイに騙されていた。
この事実が広まってしまったことも、お父様が私を嫌う原因となった。
月日が経過し、話題として弱くなった今でも、私の存在はミレーヌ家にとって病のようなものだ。
自分でもそうだと理解しているから、少しでも払拭できるように努力してきた。
どうやらまだ、足りなかったらしい。
悲しいけど仕方がない。
そう思うのと同じくらい、今はホッとしている。
殿下の婚約者候補として、変に気を遣ったり、意識する必要がなくなる。
私にとってこの関係は重りでしかなかったから。
「……わかりました。殿下、御期待に沿えず申し訳ありませんでした」
「ああ、期待外れだったよ」
「システィーナ、私が不甲斐なくてごめんなさい」
「謝らないでください、お姉様。お姉様の代わりに、私がしっかり務めを果たして見せます」
私は二人に向かって頭を下げた。
どうして自分が謝っているのか、正直疑問はあるけど。
私はゆっくりと顔を挙げる。
「申し訳ありません。そろそろ仕事を再開したいと思います」
「ああ、その必要はない」
「え?」
「話はもう一つある。システィーナは君に代わって僕の婚約者になった。君が担っていたものは全て、彼女が引き継ぐことになる」
引き継ぐ?
何を言っているのかわからない私は困惑する。
そんな私に向かって、殿下は言い放つ。
「本日付で、システィーナ・ミレーヌを新たな宮廷魔法使いに任命する」
「――! 待って下さい殿下! 宮廷の規定で、同家で同じ役職に就けるのは一つのみと決まっているはずです!」
「さすがにそのことは知っているか」
宮廷には様々な役職があり、そのほとんどが貴族出身の者ばかり。
由緒正しき宮廷で働く者は、それに見合った地位の者、もしくは才能あふれる者でなくてはならない。
平民が入れる一般試験も設けられているけど、かなり厳しい審査があり、宮廷入りできる者は一握りだ。
貴族であれど、誰でもなれるわけじゃない。
同じ役職には同じ家名の者が二人以上就くことができないという規定もある。
つまり、私が宮廷魔法使いの地位にいる限り、ミレーヌ家の人間は宮廷魔法使いにはなれない。
そのはずだった。
「私がその役に就いている以上、いくら殿下のお言葉であっても」
「心配は無用だ。規定にはちゃんと則っている。要するに君が邪魔なんだ」
「邪魔……」
「そう、邪魔だ。だから君を除名すればいい」
あっさりと、衝撃的なことを口にする。
私は目を丸くした。
「除……名?」
「彼女の就任に伴い、本日付で君から宮廷魔法使いの地位を剥奪する。その旨が書かれている。よく読んでおくといい」
殿下は私に一枚の紙を手渡す。
震えながら手に取り、中身を見て驚愕する。
国王陛下の直筆で、今しがた殿下が口にした内容が書かれていた。
絶望する私に、更なる絶望が押し寄せる。
「これだけじゃない。システィーナ、君から伝えるんだ」
「殿下……」
「わかっている。辛いだろうけどこれで最後だ」
「はい」
最後、という言葉が引っかかる。
システィーナは少しだけ悲しそうな顔……それも作った表情を見せる。
彼女も何か紙を持っていた。
その紙を、ゆっくりと私に手渡す。
「これは……?」
「お父様からお姉様に……内容は、見ればわかります」
彼女は目を逸らした。
私は書類に目を向け、そこに書かれていた内容に言葉を失う。
「そんな……」
簡潔に一言でまとめる。
お父様から私に告げられた言葉は、私をミレーヌ家から永久追放するという内容だった。
「どうして……こんな!」
「賢明な判断だよ。役割すら失った君はミレーヌ家にとっても不要な存在だ。僕だって迷わず切り捨てる。聡明な当主様でよかったね」
私の手元には二枚の通告書が握られている。
一つは宮廷、もう一つはミレーヌ家。
私はこの日、二つの居場所から追放されてしまった。
「わかるかい? 君の居場所はこの城に……いいや、この国のどこにもなくなってしまったんだよ」
「……そん……な……」
殿下は意地悪な笑みを浮かべ、私のことを見下す。
手から力が抜けて、ひらひらと通告書が床に舞って落ちる。
私は努力してきた。
お父様に認めてもらうために必死で。
毎日休まず働いて、国にも貢献してきた。
王都の暮らしを支える魔導具を一新したのは私だ。
その魔導具に魔力を供給する装置も、私が改良して効率化させた。
王国の兵や魔法使いが用いる魔法も、私が新しく開発した魔法式を採用している。
今、この国で使われている魔法技術のほとんどは、私が作り上げたものだ。
身を削り、ここまでして……。
「私がしてきたことは……なんだったの?」
私は膝から崩れ落ちる。
そんな私に歩み寄り、肩にぽんと手を乗せて、殿下は耳元で囁く。
「大丈夫。君が作り上げたもの、この国に残したものは全て彼女が引き継いでくれる。彼女も君に劣らず優秀だからね?」
私はシスティーナに視線を向ける。
彼女は私を見下ろしていた。
見下していた。
ほくそ笑むように、馬鹿にしていた。
「だからね? 安心していなくなってくれていいんだよ? 裏切り者の娘なんて、この国には必要ないんだから」
「――っ、うぅ……」
私は必死に我慢する。
こぼれ落ちそうになる涙をこらえて、勢いよく立ち上がる。
そのまま逃げる様に、私は研究室を飛び出した。
「おやおや、壊れちゃったかな?」
「仕方ありませんわ。そういう運命だったのです。お姉様は」
扉を開けて廊下を走る。
二人が最後に何を言っていたのか、私には聞こえなかった。
ここに私の居場所はない。
宮廷を飛び出し、王城の敷地を抜けて、王都の街まで駆け出した。
いつもなら屋敷に帰る。
だけど、今は帰る場所すら失ってしまった。
とぼとぼと王都を歩く。
家も、職も、これまで積み上げてきた功績も、全て失ってしまった。
私はミレーヌ家の人間ではなくなった。
宮廷からも追放された私は、これからどこへ行こうが、何をしようが関係ない。
「――ふぅ」
計画通りだ、全て。
「やっと終わったわ」
私は冷たい溜息をこぼし、振り返って遠くの王城に視線を向ける。
「スパイの娘は必要ない……ね。その通りでビックリしたわ」
私は不敵に笑みを浮かべる。
彼らは気づいていない。
私がただ、絶望のままに追放されたと思っている。
本当は全て知っていて、こうなること予測していたのに。
カエルの子はカエル、という言葉があるらしい。
子は親に似るという意味合いだ。
まったくその通りだから笑えない。
私の母親はスパイだった。
だから私も――
「気づかなかったみたいね。誰も……私がスパイだってことに」
お陰で難なくこの国から脱出できる。
私は人気のない道を通り、自分で作った通信魔導具を起動させる。
イヤリングに偽装して作られた魔導具から声が聞こえる。
「――アリスか」
「はい。予定通り、これから王都を出発します。明日の夕刻にはそちらに到着予定です」
「そうか。ご苦労だった。くれぐれも気を付けて帰ってきてくれ。待っている」
「はい」
通信を終了し、私は空を見上げる。
旅立ちにはもってこいな、雲一つない青空だ。
毎日仕事ばかりで空を見上げる余裕すらなかったから、こうして外の空気を目いっぱいに吸い込めるのも新鮮で、気分がいい。
「はぁ……さぁ、帰ろう」
私の居場所はここじゃない。
本当のいるべき場所に向けて、私は足を進める。
◇◇◇
セイレスト王国は大陸きっての巨大国家である。
その周囲には隣接する同盟国家が八つ存在している。
二十年前に起こった戦争の果てに、セイレスト王国と同盟を結び、その庇護下に入った国々の中で、唯一同盟を結ばなかった国がある。
レイニグラン王国。
二十年前の戦争の最大の被害者であり、領土のほとんどを失ってしまった古き元大国。
周辺国家八つの同時侵略を受け、領土の大半を失い、国を支えていた鉱山資源をほぼ全て失ってしまった。
その八つの国々をセイレスト王国が沈静化し、同盟という形で納めたことで戦争は終わった。
レイニグラン王国は、セイレスト王国に救われた。
と、セイレスト王国で広まっている歴史ではそう語られている。
だけど、実際は違う。
レイニグラン王国を侵略した八つの国家は、最初からセイレスト王国の傀儡だった。
全ては仕組まれたことだった。
その事実にレイニグラン王国が気づいたのは、全てが奪われた後だったという。
そして――
今ではこの、王都だけが唯一残された。
国の規模に対して王都が広く綺麗なのは、元々大国だったが故。
しかし国民の大半はセイレスト王国や同盟八か国に逃げてしまい、王都と呼ぶには賑わいが足りない。
私は少し寂しい王都を抜けて、王城へと入る。
門を守る騎士にも止められない。
私が身に着けている魔導具の効果で、彼らは私に気づけない。
唯一気づけるのは、対となる魔導具の所持者のみ。
世界でその魔導具を持っているのは、一人だけだ。
「お帰りなさい、アリス」
廊下で声をかけられて、振り返る。
そこに彼はいた。
銀色の髪と青い瞳をきらめかせ、さわやかに優しい笑みを浮かべて。
「ただいま戻りました。レオル殿下」
声は通信魔導具で何度も聞いていた。
だけどこうして、直接顔を合わせて話すのは何年ぶりだろうか。
感動と同時に、様々な思いがこみ上げてくる。
「部屋へ行こう。ゆっくり話がしたい」
「はい。私もです」
◇◇◇
彼との出会いは偶然だった。
いいや、今は運命だとすら思っている。
私が十歳の頃、一人で王都の図書館に通い、魔法の勉強をしていた時、彼はやってきた。
「魔法の勉強してるのか?」
「え、あ、はい」
「凄いな! まだ子供なのにこんな難しい本が読めるんだ!」
何気ない一言だったけど、私は嬉しかった。
周囲から罵倒される毎日を送っていた私にとって、彼の言葉は光そのものだった。
聞けば彼は父親のお仕事の付き添いで王都に訪れているらしい。
一か月ほど滞在していて、彼は毎日のように図書館に訪れ、私と一緒にお話をしてくれた。
「私……大きくなったら宮廷に入るの」
「宮廷か! アリスならなれるよ! だって天才だからな!」
「天才……?」
「凄いやつってこと! 俺も負けてられないな!」
彼がレイニグラン王国の王子だと知ったのは、彼が国へ帰る前日のことだった。
驚いたし、なんて恐れ多いことをしていたんだと思った。
けれど彼は笑って、友達として接してくれた。
それが何より嬉しくて、この繋がりを失いたくないと思った。
そして最後の日……。
「これ、使ってほしい」
「イヤリング?」
「遠くにいても、お話ができる魔導具……作ってみたの」
「アリスが! 凄い! 貰っていいの?」
私はこくりと頷いた。
すると彼はすごく喜んでくれた。
「ありがとう! これで離れていても、また話ができるな」
「う、うん!」
彼も同じ気持ちでいてくれたらしい。
私と一緒にお話をして、彼も楽しいと思ってくれていたんだ。
それから月日は流れ――
◇◇◇
私たちは成人となり、こうしてレイニグラン王国の王城で向かい合っている。
「懐かしいな。君と出会って、もう九年か」
「そうですね」
「堅苦しくする必要はないぞ? ここには俺たちしかいないんだ。いつも通りでいい」
「――ええ」
私たちは今でも友人だ。
離れていても、身分の違いはあっても、それは変わらなかった。
レオル殿下……ううん、レオル君は優しい。
同じ王子でも、ここまで差があるのかと思えるくらい優しくて、聖人みたいな人だ。
彼と友人になれた幸運を、私は心から感謝している。
そして、見捨てられるだけだった私に、手を差し伸べてくれたことも。
「改めて、ありがとう。お陰で帰る場所を失わずに済んだわ」
「礼を言うのはこっちだ。いや、謝罪すべきだろうな。君には辛い役目を与えてしまった。すまない」
「謝らないで! これは……私が望んだことよ」
「アリス……」
レオル君が気に病むことじゃない。
むしろ感謝している。
もし彼が私をスパイに誘ってくれなかったら、今頃路頭に迷っていただろう。
「三年前……お父様が、私を追放する計画を立てていると知った日から、あの家にも宮廷にも未練はなくなったわ」
頑張ればお父様も認めてくれる。
そう思っていた私は、三年前に死んだ。
お父様は私を、本気で道具としてしか見ていなかった。
私が宮廷入りした時から、いずれシスティーナにその座を継がせ、私を家から追い出す計画を立てていたんだ。
偶然にもそれを知った私は絶望して、レオル君に相談した。
その時に初めて、セイレスト王国とレイニグラン王国の関係性と真実を知った。
私がスパイになったのもその時だ。
「今日までしっかり準備してきた。私が作り上げた魔導具、魔法も浸透している。彼らは気づいていないでしょうけど、今も私の掌の上よ」
三年前にスパイになった日から、私の生きる意味は変わった。
お父様も、宮廷も、王国も関係ない。
私の唯一、手を差し伸べてくれたレオル君の期待に応えたい。
そして、役目を終えたその先で――
安らかに、のんびり暮らしたい。
私の願いはそれだけだ。
レオル君は、私のささやかな願いを守ると誓ってくれた。
何度も裏切られてきた私だけど、彼だけは一度も私に嘘をつかなかった。
だから最後に、彼だけは信じようと思う。
「セイレスト王国に奪われた資源も、人も、これから取り戻して見せるわ」
「ああ、そのために俺も準備を進めてきた。必ず取り戻してみせる。君にもまだまだ手伝ってもらわないといけないが……」
「もちろん協力するわ。そのために戻って来たんだから」
「ありがとう。アリス……」
感謝の言葉を口にしたレオル君は、いつになく優しい表情を見せる。
じっと私の瞳を見つめ、柔らかく溶けそうな声で言う。
「今日まで本当に、よく頑張ってくれたね。君がいてくれてよかったよ」
「――!」
ずるい、と思った。
労いの言葉をかけてくれる人は、あの国には一人もいなかった。
私がどれだけ頑張っても、褒めてもらえない、認めてもらえない。
認めてほしかった人には、見向きもされていなかった。
そんな私に、心からの感謝をくれる。
私がいてくれてよかったと、まっすぐに目を見つめながら言ってくれる。
「ここはもう俺の国だ。この部屋にも俺たちしかいない。だからもう、その涙を我慢しなくていいんだぞ?」
「……」
「腹が立ったら怒ればいいし、悲しい時は泣けばいいんだ。俺は情けないなんて思わない。俺の前でくらい弱さを見せてくれ」
「……っ、うぅ……」
ここまで言われて、涙を堪えるなんて無理だ。
私の瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
「私……頑張ったのに……」
「ああ、よく知ってる」
子供みたいに涙を流す私を、レオル君がそっと抱き寄せてくれた。
彼の胸の中は温かく、落ち着く。
ずっと我慢してきた。
スパイになると決めた日、それよりずっと前からだ。
辛くても、苦しくても、涙は出さない。
もっと努力すれば認めてくれる。
甘い考えだとわかってからも、私は耐え続けていた。
意味のない努力にも、心無い言葉にも。
ようやく解放された。
そして、私はいろんなものを失った。
だからこそ、この手に残ったものを失わないために……。
「私……もっと頑張るから」
「俺も一緒に戦う。見せてやろう、あいつらに。君を切り捨てたことが間違いだったと教えてやるんだ」
「――ええ、必ず」
ここから始まる。
私の、私たちの物語は。
裏切られっぱなしの人生に、大きな裏切りの花火を咲かせてみせましょう。
◇◇◇
アリスティアを追放したことにより、後任として妹であるシスティーナ・ミレーヌが着任した。
彼女は姉が宮廷入りを果たした直後から、当主の命令で魔法の修練を積んでいる。
そしてたった二年足らずで基礎的な技術を身に着け、魔法使いとして平均的な実力を手に入れた。
彼女には魔法使いとしての才能があった。
それ故に、当主である父はアリスティアを追い出す計画を進めたのだ。
彼女に働かせ、様々な功績を生み出し、その全てをシスティーナに引き継がせる。
そうすれば功績だけが残り、不要な汚点は排除できる。
ミレーヌ家にとって、父親にとって、スパイとの間に生まれた子供など汚点以外の何者でもなかった。
いくらアリスティアが努力しようと、すでに父親の心に愛はない。
利用価値があったから、これまで追い出さずにいただけのことだった。
システィーナ自身も、姉のことを見下していた。
自分より劣っている存在が、姉としていることを快く思っていなかった。
宮廷入りしたことへの対抗意識もあっただろう。
無能な姉を利用し、追い出すことに何の躊躇もなかった。
婚約者であるルガルドも、ミレーヌ家の事情は知っている。
平民との子供と婚約するなど、彼にとってもメリットは少なかった。
が、ここでミレーヌ家当主の話を聞く。
いずれアリスティアは消え、システィーナが全てを手に入れる計画を。
だから彼も計画に賛同した。
平民の子供とは言え、アリスティアが王国にもたらした影響はそれなりに大きい。
ただ失うだけではもったいない。
ならば働かせるだけ働かせて、成果は最後に奪ってしまおう、と。
そして三年後の現在、ついに計画は実行された。
念願は叶い、システィーナは全てを手に入れ、そのシスティーナとルガルドは甘い時間を過ごす。
――はずだった。
「こ、こんな量を一人で……間違っていませんか?」
「いえ、これで全てです。前任者が担当していた業務がこちらになります」
さっそく問題が発生する。
姉に代わって請け負う仕事量が、システィーナの想像を超えていた。
「い、いきなりこの量は……」
「それは困ります。前任者の業務を完全に引き継ぐ。そういう契約で、特別に宮廷入りを許されたはずです。殿下もそのおつもりで、あなたを任命したと思いますが?」
「……」
宮廷魔法使いの室長の言葉に、彼女は言い返せない。
本来は既定の試験を受けることでのみ得られる宮廷付きの称号。
今回は特例により、前任者の不在を埋める形でシスティーナは着任した。
これを国王陛下、ルガルドも同意している。
つまり、彼女には与えられた仕事をこなす責任がある。
この……通常の五倍はある仕事量を。
「そんな……」
これもアリスティアの計画のうちだった。
システィーナの自由を奪うほどの仕事を残して去ることも。
全ては計画され、計算されていた。
だが、まだ序の口。
本番はここから。
彼女たちは知らない。
本当に裏切られていたのはどちらなのか。
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