第1話 怪しげな客
途中まで pixiv に投稿していましたが、pixiv をいろいろ整理し、今後の投稿をこちらのサイトに変更しました。
霧雨の湯。
自然が作り出した岩に囲まれた温泉池を、そのまま露天風呂とした温泉旅館。
創業は1702年。
歴史は古いが、建物は小規模で、部屋数は僅か6つ。
初代支配人のいいつけで、周囲の自然を壊さぬよう、不要な増築はしない習わしを今でも守っている。
山奥にあり、県道からは細い一本道で交通も不便。
しかし、親の代から通っている常連客が多く、季節に関わらず常に予約で埋まっており、隠れた人気温泉宿である。
小規模な旅館のため、従業員は少なく、ほぼ家族経営に近い。
支配人と女将は、初代からその子と嫁が引き継いでいる。
現支配人の源一郎は16代目。
その息子である健一郎は、順当にいけば17代目を継ぐこととなる。
健一郎は、現在、番頭見習い。
別名、雑用係ともいう。
客室の掃除、布団干し、風呂場の掃除、料理人の手伝い、中居の手伝い、経理の手伝い・・。
なんでもやる。
昨日、18歳の誕生日を迎えた。
大学へは進学せず、旅館の跡取りを目指し、ひたすら経験を積む毎日。
今日は珍しく団体客があり(とは言っても常連客のご親戚一同様だが)、担当する中居の手伝いを命ぜられた。
夕食後の膳を厨房に運び終わると、次は露天風呂の掃除。
「霧雨の湯」では、露天風呂は一つしかないため、部屋ごとに利用時間が区切られている。
前の客が終わると、次の客が使う前に、簡単な清掃を行う。
桶の整頓、タオルの交換、忘れもののチェック・・などなど。
いつものように、健一郎が露天風呂の掃除に入ろうとすると、露天風呂の奥に人影が見えた。
普段なら暗がりで見えない場所だが、今日は満月。
うっすらと月の光に照らされた人影・・。
前の部屋のお客様が残っているのか?
こういう場合は・・と。
まずはお客様の性別を確認して、男性客ならご利用時間をお伝えし、女性客なら中居を呼んで・・。
その人影は、湯を囲う岩の上に座っていた。
白っぽい着物を着ている。
女性のお客様・・?
だが、様子がおかしい。
よく見ると、頭には獣の耳がついており、腰のあたりから尻尾のようなものが見え隠れしている。
こんなお客いたかな?(いや、いるわけがない)
ひょっとして、コスプレ写真でも撮っているのか?
露天風呂で撮影をされても困るのだが・・。
(最近では、たまにいらっしゃるのだ。)
健一郎が怪訝そうに見ていると、相手もじっとこちらを見つめ返した。
着物を着ているなら、中居を呼ばなくてもいいだろう・・。
「お客様。」
健一郎が声を掛ける。
すでに目が合っているにもかかわらず、なぜか一瞬、驚いた顔をした。
「恐れ入ります。ご利用時間が終わりましたので、次のお客様にお譲りいただきたく・・。」
女性は、じっとこちらを見たまま答えた。
「健一郎・・。 わしが見えるのか?」
自分の名前を呼ばれ、今度は健一郎が驚いた。
中居にでも聞いたのだろうか。
「気にせんでよい。他の客には、わしの姿は見えぬ。」
ああ・・きっと面倒な人だ・・。
酔っているのだろうか。
「あの・・。他のお客様のご迷惑になりますので・・。」
「他の者には見えんといっておるじゃろ。」
「わしを信用できんのか。」
「そう言われましても・・。」
ある程度までは忠告をさせていただき、それでも聞いていただけない場合は・・やむを得ない。
「申し訳ありませんが・・。」
「お聞きいただけない場合は、ご退場をお願いすることになります。」
「力づくでか?」
「できれば、避けたいのですが・・。」
「わしの土地に、あとから来て宿を立てたのは、おぬし達であろう。」
またわけのわからないことを・・。
「当館は江戸時代・・ 約300年ほど前からここで営業しております。」
「わしがこの地に住み着いたのは、2000年前じゃ。」
どうしよう、この人・・。
受け答えからすると、酔ってはいないようだが、かといってまともとも思えず。
えーと、お客様のトラブルの時は、まずお名前をお伺いし、部屋を確認して・・。
「失礼ですが、お名前を・・・。」
女は、しばらく健一郎の顔を見つめてから答えた。
「銀子・・。」
銀子? そんな名前、宿帳にあっただろうか?
「健一郎。 おぬし、昨日で18になったのじゃな。」
「え? あ、はい。」
「そうか・・。」
突然、女性のからだがふわりと宙に浮いた。
え!?
自分の目を疑う健一郎。
その姿はさらに空高く舞い上がり、満月の高さまで登ると、溶けるように消えていった。
唖然とする健一郎。
酔っているのは自分か? いや、酒など飲んでいない。
疲れて居眠りでもしたのか・・。
女性客がおしゃべりをしながら廊下を歩いてきた。
その声に、健一郎は我に返った。
健一郎は露天風呂の外へ出ると、速足で厨房へ戻っていった。
「遅いぞ。」
父親の源一郎から注意を受ける。
「ごめん。変な客がいて・・。」
「変な客?」
「あ、いや・・。 居眠りをして、変な客の夢を見たらしい。」
「なんだそりゃ?」
「今夜は団体客で、みんな大忙しなんだ。お前も気張れよ。」
「ごめん。もう大丈夫。」
その後、健一郎は仕事に集中し、銀子のことはしばらく忘れた。
- 第2話に続く -