婚約者はいない4
カトリーヌの来訪を待ちながら執務をこなすクーンのもとへ、年若い従者の一人が慌てて駆け込んでくる。
「陛下!女王陛下がいらっしゃいました!」
「そうか、何処にいる?応接の間か?」
「ココ、よ」
従者の言葉によって移動しようと準備を始めたクーンの部屋に、女性の声が響く。
それはとても甘く、軽やかな鈴音のような、厳かな響きの教会の鐘のような、高慢で豪奢な装飾品の金属音のような。
聞く者によっては印象をガラリと変えてしまうその声は、まさに人の上に立つ声であるといえよう。
「お久しぶりクーン。早くついたからご挨拶に来たわ、嬉しいでしょう」
「久しぶり、元気だった?」
呆気に取られて微動だにしないクーンを意地悪く笑いながら、皆が今か今かと待っていたパール国女王とその王配は、悪戯が成功した子供のように心から楽しそうに微笑んだ。
「カトリーヌ…。君は来賓であり女王ということを理解しているのか?他国の執務室にホイホイ来るなんてありえないし、 大人しく応接の間で待っていればいいだろう。というか、どうやってここまでこれたんだ…」
「やだわクーン、そんなことどうでも良いの。よくて?貴方は今から、この部屋を出て、温室に行くの。そこでお茶をして来るのでしょう」
「いや、何言ってるんだ。そんな予定ないぞ。レイン、どういうことだ?」
「クーン、君は今から温室でお茶をする予定がある、リーヌはそう言ってるんだよ」
にっこりと麗しくも妖しさ満載の夫婦に、ため息しかでない。
幼馴染とはいえ国力の差は圧倒的。
幼い頃にコテンパンにされたからか、癖が強い二人と子供時代を過ごしたからか、腐れ縁ともよべるこの二人に未だにクーンは強く逆らえない。たぶん死んでもこのままだと思っている。
「はいはい、そうですね。私は今からお茶をしに行きますよ」
「温室で、ね」
「温室で、ですね」
「よろしくてよ。では私達は部屋へと下がりますわ。着いたばかりで疲れているの。そうそう貴方と私は明日久しぶりに顔を合わせるわね。その際、是の言葉しか聞きたくないの。おわかりかしら?それではごきげんよう」
クーンの了承に満足そうに微笑むと捨て台詞を残して女王と王配は執務室を去っていくが、執務室にはなんとも言えない奇妙な空気が流れる。とてもではないが、気持ちを切り替えてさぁ仕事という空気にはなれるわけない、官僚達や宰相もなんだかそわそわと落ち着かない。
「陛下、その……」
「仕方ない温室だったか。行けば良いんだろう。行けば」
「恐らくは…」
「ああ、顔合わせだろうな」
先ほどまで会っていたことを隠せと、明日の会合で是の言葉しか許さないと、今回の来訪には侍女ではない娘を同伴させるとわざわざ伝令があった理由を考えれば、そういうことなのだろう。
あまりにも急でこちらの気持ちや状況はお構いなしだが、あの傲慢不遜で仲間思いの女王様が連れてくる娘との見合いを断ることなど誰が出来るものか。それをあの女王様は理解した上で拒否は認めないが、その前に交流の場は設けてくれるという優しさを見せてくれる。
いや、その優しさはクーンにではなく件の娘になのであろう。
そんなことをつらつら考えながらも、執務室とそう離れてはいない温室へと来て見れば、明らかに人払いがされているが、警戒態勢は完璧という空気が漂っていた。
「陛下、かの方は中でお待ちです」
「ああ」
今まで女性と二人きりで会うなど、どれだけあったであろう。
お断りの空気漂うお見合いは山のように体験してきたが、成功前提であるお見合いという、今までとは異色の空間にクーンの心臓は破裂するのではないかと思う程に脈打ち始める。
緊張してきた。
そう実感すれば、手汗が滝ように湧いてくる。
この先に、自分の婚約者ひいては妻となる女性がいる。
そう理解すれば耳とはいわず首までもが熱を持つ。
成人を過ぎた男盛りの若き王は今、この瞬間、人生で初めて青春のスタートラインに立ったのだった。