#8 星が堕ちた日
「──姉様。お姉ちゃん、意識が戻ったみたい」
目を覚ましたときに私の視界に飛び込んできたのは、澄み渡る青空と心配そうな妹の顔だった。
徐々に覚醒していく意識の中で、自分が仰向けで寝かされていることに気付く。
後頭部の柔らかくて気持ちいい感触から、寝かされているのは地面に直接ではなく、フェアリラの膝の上だと分かった。
……いや、それにしても顔が近くない? 一歩間違えたら唇が当たりそうな距離なんだけど。
それが狙いか。
「……悪かったな、テルミラ」
すぐ近くから、また違う声が届く。疑いようもなく姉様の声だったが、謝罪を口にするその声は、まるで別人みたいな響きを持っていた。普段の格好いい感じじゃなく、しおらしい感じ。
その態度に、なんだか妙なおかしささえ感じてしまう。そんな状況じゃないことは確かだから、笑わないように頑張ったけど。
「姉様。お姉ちゃんも目覚めたばかりだから、まだ色々と混乱してると思う──ねえ、何があったか、ちゃんと思い出せる?」
「……えっと」
「待って。そもそも、リラのこと分かる? 忘れちゃったりしてない? 覚えてる?」
「流石にそれは覚えてるって、リラ」
「じゃあ、リラとお姉ちゃんが将来を誓いあった仲だってことはどう?」
「うん、最初から無い記憶は思い出せないかな」
捏造しないで。
と言うか、シリアスとギャグの線引きはしっかりしてよね。
言いながら、海を潜るような感覚で、ゆっくりと眠りに落ちる前の記憶を手繰り寄せていく。
確か、姉様との稽古の最中だったはずだ。
そこで一体何が起こって、こうなったのか──
「思い出した。二人が、私を止めてくれたんだね」
──魔法銃が突然に反応しなくなって、私は我を忘れて錯乱状態に陥った。とにかく一心不乱に力を込めて、なんとか銃に魔力を注ごうとしていたけれど、愛銃は頑としてそれを受け付けず。
焦りに焦ってどんどんと冷静さを失っていった私は、自分の周りに起きていた大きな変化に気付くことすら出来なくなっていたのだ。
──自分を包む周囲の全てに、煌めいた白い靄が掛かっていたことに。
それは、「魔力飽和」と呼ばれる現象。
銃によって弾かれた私の魔力は、私の体内に戻っては来ない。ならばどこに行くのかと言うと、そのまま全て大気に流れていくのだ。
だが、方向性を与えられていない魔力は、何も起きない限りはその場に漂い続ける。
その結果、飽和した魔力がまるで靄のように世界を淡く染めていく現象。
空気中の魔力濃度が一定値よりも高くなると、そこにいる人の体に悪影響を及ぼしかねない。
そうで無くとも魔力は生命力と似た部分があるから、魔力を使い切ることは、自分の身体を痛めつけることに繋がってしまう。
私がもしもあのまま、僅かな魔力を無為に使いきってしまえば、命を落としまではしなくても、確実に大きな後遺症は残っていただろう。
そうなってしまわないように、二人は制止した。
けれども私が止まらなかったから──やむなく、最終手段を選んだ。
──魔法銃で撃って気絶させて、強制的に魔力消費を止めさせる方法を。
「姉様が謝ることなんてないよ。むしろ謝らなきゃなのは、私のほう」
言いながら、私は身を起こす。
リラが気遣わしげな視線を向けてきたけれど、体感的にはたぶん問題ないはずだ。こういうときは、自分の根拠のない直感を目一杯信じる。
それに、いつまでも妹の膝を借りるのも良くないしね。流石にリラの膝に負担が掛かり過ぎる。
起き上がって周りを見渡してみれば、太陽はまだ高くに陣取っていて、背景の空も青く澄んでいた。
どうやら、私が気を失ってからまだそんなに時間が経ってはいないらしい。丸一日以上寝てたなら、室内か病院に運び込まれてるだろうし。
……そんなに時間が経っていない?
どうにも腑に落ちなくて、私はまだ地面に膝から下を付けたままの妹に(介抱されていた私が言うべきではないだろうが、折角のドレスが土で汚れて台無しだった)疑問符を投げる。
「リラ、私が起きるまでに何分くらい掛かった?」
「んーと……測ってたわけじゃないから正確には分かんないけど、たぶん六分くらいかな? とにかく短くもなく長くもなく、普通って感じ」
「アタシもちゃんとは分かんねーけど、体感的にはそのくらいだったはずだ」
「そっか。だったら、確かに普段通りだね」
「あと三分経っても起きなかったら、取り敢えずリラのキスを試そうと思ってたんだけどね。眠り姫作戦、みたいな感じで」
「別に駄目とは言わないけどさ……で、リラは何で座ったままなの?」
「え? ああ、少し足が痺れて。もう結構マシにはなってきたから、そろそろ立つけど」
だから立たなかったんだ。たった六分とはいえ、自分より大きい相手の頭を乗せ続けてたらそんなことにもなるか。納得。
まあ私のせいなので、立ち上がる助けとして手と肩を貸してやった。
──差し出した掌に頬擦りされた。どうやら立つ気はなくなってしまったらしい。
ちなみに、当時だからこの程度で済んでいる。
今のリラなら、手の甲にキスくらいのことは躊躇なくするだろう。クロは掌を舐めると思う。
いちいち突っ込むのも面倒くさいので諦めて、すべすべの肌が当たっている右手のことは意識の外に置きながら考えると──
「──単なる体調不良か、せいぜい魔力回路の異常とかだろうと思ってたが、どうやらそんな単純な話でもねーみたいだな」
姉様も私と同様の結論に達したらしく、悩ましげに溢した。
うん。仮にそうだったら、意識が戻るまでに普段より時間が掛かるし。
──ならば『あれ』は何故?
他にあり得る可能性と言ったら、
「銃の故障とか?」
「それについては、お前が気を失ってる間に色々と試したよ。アタシやフェアリラが魔力を込めたときにはちゃんと作動した。念のために内部機構も確認してみたが、フェアリラいわく問題ないってさ」
「んー。となると、他は……」
うん。思い付きをそのまま言ってはみたものの、私がぱっと思い付くような仮説なんて、既に姉様たちが考えてそうだな。
ていうか、分解と点検はリラの担当だったんだ。この口振りだと、たぶん姉様は関与すらしてない。
まあ正しい判断というか、適任だけどね。姉様はペンを面白半分で分解した後、戻し方が分からなくなって捨てるタイプの人種だから。
「時間を置けば普通に元通りってことも、案外ありえたりするかもしれないけど……」
「銃に魔力を注げるか、欲を言えば今からでもお姉ちゃんに試してほしいくらいなんだけど。それで上手くいけば、原因が分からないって不安は残っちゃうにしても、取り敢えずは安心できるし」
「──ただ、今のテルミラに残ってる魔力の量を考えたらリスクが高い、か」
利口な姉妹を持つと、こういうときに話が早くて助かるね。
最終的な解答は見付けられなくとも、建設的な議論は着実に進んでいくのだから。
まあ、そもそもこんな事態にならなかったら、それが一番理想なんだけどね。
「まずは試す、それで駄目なら解決策を練る、その為に色々と調べてみる──ってのが今後の方針だろうけど、今はできることもないか。となると、全ては明日になってからって感じ?」
失った(無駄にした? 何のことかな)魔力が回復するまでに、この感じだとざっと半日は掛かりそうだし。つまり完全復活は夜中になる。
万全の状態で挑むなら、それ以降ってことになるんだけど……だったら日を改めるべきだろう。夜中に試すのは色々と問題がありそうだし。
ちなみに、人間の体内の魔力が回復するスピードは、その人が保有できる魔力の最大量におおよそ比例する。
つまり、多くの魔力を持てる人は回復が早いし、持てる魔力が少ない人は回復も遅い。
私の魔力の総量はかなり少ない部類に入るが、残念なことにその回復にも時間がかかるのだ。
どうにかできる問題でもないから諦めてるけど、言ってて悲しくなってくる。
「だろうな。アタシも、現状じゃあそれが最善だと思う。葛藤がねーと言えば嘘になるけどよ」
「うん、リラもお姉ちゃんたちに賛成。すっごく心配だからやきもきするのも確かだけど、でも焦っても、それで問題が起きちゃ意味ないもんね」
──そして、その翌日。
私たちは揃って、そんな甘い想像を打ち破られることになる。
*
「成程の。事情は大方分かったわい。
ワシの貴重な休日の朝っぱらから伝令が寄越されて叩き起こされた理由が、の。今日は家でゆっくり過ごすつもりじゃったのに、台無しじゃわい。
昔の教え子の頼みを無下にするのもどうかと思って話を聞いてやったわけじゃが、通常こんなことはあり得んからな。事前にアポくらい取れ。
学生の頃は冷静で面白味のない奴じゃと思っておったが、あやつも娘子の危機となれば焦りおるか。
じゃからと言って、そんなことでワシの機嫌が直るわけもないがの。
この年になっても独り身のワシにとっては、あやつが三人もの娘子の父親になっておるというだけで腹立たしいわ。
……いや、ワシも流石に、そこについて今更どうこうとか思っておらんよ? 死に際を誰かに看取られることさえなく、ひっそりと死にたいくらいじゃ。
なんじゃその表情は。強がりだと思うたか?
頷くな。生意気な娘子じゃの。
急に愛銃を使えなくなって戸惑ってる、とか聞いておったのになんじゃい。割と平気か、ヌシ。
それとも虚勢、空元気という奴か? 妹御や姉御の心配を不必要に煽らんように。
じゃとしたら健気じゃの。そして聡い。
悲しいことに、と言うべきなんじゃろうがな。
うむ。愚痴はこの程度にしておいて、とっとと本題に入るとするかの。
とは言っても、いきなり核心に切り込んでも理解し難いじゃろうから、まずは前提の確認からになるんじゃが。予備知識という奴じゃな。
じゃから、その程度なら知っとると思うことも中にはあるじゃろう。じゃが、取り敢えずは聞け。
魔鉱石は知っておるじゃろう?
その名の通り、鉱石の一種じゃ。洞窟とかで取れる、ヴィルファの名産じゃの。名産って言葉を鉱物に言っていいのかは知らんが。
それを加工して作ったのが、魔法剣の刃であり、魔法銃の弾丸じゃ。
昔は魔法の触媒にしておったなんて話もあるにはあるが、今ではそんなこともないの。魔法の体系自体が、歴史の中ですっかり風化してもうたから。
ともあれ、その魔鉱石の持つ特性が競技には最適じゃった。
『世界から半歩ずれている』とか言う奴じゃな。
この表現は俗っぽいが、実際、ワシのような専門家からしても言い得て妙なんじゃよ。
つーか、最初に言い出したのってワシじゃよ?
なんじゃ、自画自賛じゃと? ヌシ、かなりムカつく素直さじゃのう。
しかし、自分で褒められる出来でなければ、他人から褒められることなどあるまいて。
『世界から半歩ずれている』というのは、要は『半分だけ世界に干渉せん』ということじゃ。
これでも分かりにくいかの?
言ってしまうと、人間は魔鉱石に直接触ることはできんが、触れている感覚だけは確かにある、といった感じじゃ。
これでも分かりにくいと言われるとどうしようもないんじゃが、まあ大丈夫じゃろう。
しかし、そんなものをどうやって加工するのかという話になってしまう。触れられないなら、叩いて伸ばすことも形を整えることもできんしな。
──魔力を注がれたとき、魔鉱石は『世界に歩み寄る』。
これもワシが考えた表現なんじゃが。
ヴィルファに魔力構造学の学者がワシしかいないせいでな。若い連中は、みんな魔力実用学に行きおるし。ワシが隠居したらどうなるんじゃろう。
『世界に歩み寄る』というのは、さっきまでの話が分かっておれば、さほど難しいことでもない。
世界に干渉する割合が増えるんじゃよ。
魔力を込めておけば、触ることも加工することもできるというわけじゃ。単純じゃろ?
魔法剣や魔法銃で怪我をしないのは『歩み寄る』割合を調節しておるから。衝撃が走るのは、そういう風に加工しておるからじゃ。
ここまでは分かったかの?
では次じゃ。
さっきからずっと十把一絡げに『魔鉱石』と言っておるが、当然そんな一元的なものではない。
魔鉱石にも色んな種類がある。人間に色んな奴がおるのと一緒での。
魔鉱石の個性とは、結局は魔力構造じゃ。
人間においても、それは同じじゃ。ひとりひとり魔力構造は異なっておる。指紋みたいなもんじゃ。
そして魔法剣と魔法銃では、使われておる鉱石の種類が異なる。理由は加工しやすさじゃな。
なら、どうなるか分かるか?
勿論、剣も銃も、細かい魔力構造に関係なくある程度は誰でも使えるように作られておる。オーダーメイド限定とか、面倒なだけじゃからの。
しかし、その例外もあるわけじゃ。
剣を使えない。銃を使えない。
そんなことも、魔力構造によってはあり得る。
ようやく話が見えてきたかの?
では最後の話じゃ。
人間の魔力構造というのは、基本的には生涯を通じて変わらんものじゃ。基本的にはな。
例外もある。突発性の魔力構造変化というのも、例は多くないが、ないわけじゃない。
その結果、剣が、銃が、使えなくなることも。
専門家の間では『剣神の拒絶』『銃身の拒絶』なんて言われる症例じゃ。
──待たせたの。ようやく結論じゃ。
話を聞いた限り、ヌシはそれじゃろうな。
そして、ヌシが最も気になるのは、やはりその治療法──厳密には病気ではないが──じゃろうな。
究極、この事態に陥った理由が分からずとも、解決さえできればそれで良いなんて思っておったのではないか?
ああいや、責めようと思っとるわけでもない。それが普通のことじゃろうしな。
ただ先に言っておくが、今からワシは、ヌシにとっては少々残酷なことを言うぞ。
──これは治せん。
そもそも体内の魔力構造は、人為的に変えることのできんものじゃ。なぜ突発的に変化するのか、その理由すら掴めておらん状態なんじゃよ。
そんな状態で、治す方法など分かるわけもない。
再び突発的に戻るのを期待するしか、ない。
あるかも分からん可能性に縋るしか──ない」
*
「お姉ちゃん……」
「……何よ、その暗い顔。そんなに心配しなくても大丈夫だって。こんなことで簡単に心折れるほど可愛い性格してないの、知ってるでしょ?」
「……お姉ちゃん」
「大体、銃が使えないから何? 別に困ることもないでしょ? 魔力構造が変わった結果、代わりに剣は使えるようになってるみたいだしさ。私、細剣とかちょっと憧れてたんだよね」
「お姉ちゃん……無理、しなくていいんだよ?」
「──何言ってんの。無理なんてしてないってば」
「……嘘だよ、分かるもん」
「何が──」
「──お姉ちゃん。声、震えてる」
「──」
「お姉ちゃんの痛みが分かるなんて、そんなこと軽はずみに言えるわけないけど──でも、お姉ちゃんが苦しんでるってことは分かるよ」
「──」
「──だから、お姉ちゃんが無理してることも」
「無理、なんて……」
「いつも通りに、何でもないことみたいに振る舞ってるけど……それって、姉様やリラに心配かけないためでしょ?」
「……そんな、こと」
「──しつこい、テルミラ」
「……姉様」
「アタシも、今はフェアリラと同じ思いだよ……テルミラ、正直に言ってお前、かなり嘘が下手だ」
「──」
「泣きたいなら泣け。苦しいなら苦しいって、素直に吐き出せ。楽になれるとは言わねえが、少なくとも溜め込んで誤魔化してるよりは遥かにマシだ」
「……でも、」
「それに、泣きたいの我慢して笑ってる奴を見てる方が、アタシたちも辛いしムカつくんだよ」
「泣いても、何も、」
「変わらねえよ? 状況は何も変わらねえ──また銃使える可能性もほぼないって話だし、まだ戦いたいなら、さっきお前が言ったように諦めて剣に転向するしかねえだろうよ」
「だったら、」
「今は泣いて──だから、泣き止んだら前を向け」
「──」
「前を向いて、馬鹿みたいに走れば良い。アタシらはそれを見て『ああ、いつもの馬鹿が帰ってきた』って笑ってやる」
過去編はこれにて終了です。次回からは、また高校生(高等学院生)たちがわちゃわちゃします。
今後の展開の兼ね合いで、今回の後半は地の文なしの会話オンリーになりましたが、それはそれ、だったらいいな。
中盤の長台詞の人、今後出てくることはあるのかなあ。少年君と違って、彼は名前すら考えてないんだけど……僕はキャラの名前を考えるのが苦手(好きだけど苦手)なので。
タイトルは「これで行こう」って当初から決めてたんですが、書いてから『馬鹿』と迷いました。姉様め。
作者の手から離れて動くキャラが多すぎます。