#13 白蒼に焦がれて(4)
「──私、グラングとなら大丈夫な気がするから」
「……まあ、根拠のない自信も大事だって言うよな」
確かに状況はあまり良いものではないけれど、かと言って悲観的になりすぎるべきではない。事態を悲観して身動きが取れなくなるくらいならば、いっそ楽観的でいた方が良い結果を引き寄せることに繋がるかもしれない。
そう思っての返事だったのだが、エルは「なんで、ここでそういうこと言うかなー……」と露骨に機嫌を悪くした。
なにゆえ。同意したのに。
えー……「根拠のない自信」って言ったからか?
エルには一応の根拠があったから、根拠が無いと決め付けられたのが気に食わない的な?
「根拠ってほどのものはないけど、シンプルに空気は読んでほしかったな……あ、でも、まあ一種の符号っていうか? 根拠としては弱過ぎるけど、そのくらいならあるかも」
「符号?」
口にされた言葉の意味が分からず問う俺に、エルは「そんな大した話でもないんだけどね」と前置きして答える。
「知ってるかもしれないけど、私って、射撃の精確さには結構自信あるんだよ」
「ああ、それは知ってる。この前の大会のときは撃たれたし」
「そうだったね──で、グラングの武器は細剣だよね?」
「ん? 確かにそうだけど、それがどうし……ああ」
反射的に問い掛けて、しかし途中でエルの意図に気付く──確かにこれは「一種の符号」と呼んでいいかもしれない。
だが……それが何だと言うのか。
──細剣遣いと、射撃が正確な銃遣い。
その特徴だけ抜き出してみると、俺達のよく知っている「あの二人組」を想起させはするけれど。
呆れが顔に出てしまったんだろう。エルは俺の方を見つつ、ふにゃっとした苦笑いで言う。
「まあそりゃ、こんなの『だから何だ』って話でしかないよ? ただの偶然だし、これが事態の打開に繋がるわけでもないしね──でも折角だし、こう……あやかれないかな?」
「あやかるって……別にあの人達、神様とかじゃないし」
もっとも、『特別』な人間であることは間違いないけれど。
誰の目から見ても特別で、生まれ持った「格」が違う二人。
特別な人間との些細な共通項を自分達に見出して、少しでも自分が特別なんじゃないかと錯覚する──それはきっと不自然なことではない。
届かない星に手を伸ばすのは、悪いことじゃないし、おかしなことじゃない。
──だけど、痛いんだ。
手が届かないと知ってしまうことは。
自分が『特別』じゃないと知ってしまうことは。
自分が『普通』でしかないと思い知らされることは──
「ああもう……それだよ、私が文句言いたかったのは!」
「え、何!?」
エルが何の前触れもなく、突然怒り出した。らしくもなく、いきなり声を荒げた──と思ったら、次の瞬間には手にした魔法銃を振りかざして、銃身で殴り掛かってきた。
慌てて、細剣の刃で防ぐ。
恐い。怒ってることが、とか殴り掛かってきたことが、とかじゃなく、シンプルに急に怒り出したことが。
だが、そんな攻防(?)は一瞬で終結した。衝動的に手が出てしまっただけらしく、エルは「あ」と言って身を引いた。
……衝動的に殴り掛かられたって事実の方が、怖い。
実はエルって案外、大人しいってわけでもないのかな?
「あー……えっとね」
ついさっきの行動を誤魔化すように、顔を真っ赤にしたエルが、髪を指で弄びながら辿々しく言葉を紡ぎ始める。
ちなみに「彼女」は、エルが俺を殴ろうとした光景を見て少し溜飲が下がったのか、その場で何事かブツブツ呟いている。今のところ、動く気配はない。
少し聞き耳を立ててみる。
「ふふふ……お友達同士のケンカは止めるものだと教わりましたが、わたくしを裏切った恋人同士のケンカは……ふふふ……いいですよ。待ってますから、もっと見せてくださいね……ふふ」
聞くんじゃなかった。
まあ、今のエルは警戒も解けてそうだから、襲って来ないのは好都合なのかもしれないけれど……。
「本当は昨日、言うかどうか悩んでたんだけどね。あのときは結局言わなかったけど、こうなったらもう言っちゃうから──ねえ。先輩とか他の人のことを、『特別だから』『普通な自分とは違うから』って切り離すの、やめなよ」
「────」
言われた内容に、俺は、押し黙る。
「確かに先輩はすごい人ばっかりだよ。あの人達が『特別』なのは、疑いようもなく本当だし……あの人達と比べたら、私なんてちっぽけだなって、時々嫌になるときだってある」
俺は、そう言われて初めて気付いた。
──エルも、俺と同じ気持ちだったのだと。
「特別と普通の隔絶は現実として存在するし、どうしたって埋めようもない。そのくせ特別な人間には、自分が特別って自覚もなかったりして……すごく、切なくなる。
『普通は悪いことじゃない』ってよく聞くけど、実際のところはどうなんだろうね?
確かに普通は罪じゃないし、気に病むことでもない。特別であることが無条件で幸せとも限らない。
けど、普通ゆえの無力は? 特殊な力や誇れる物が無くて、それで無力感を抱くのは、良いことじゃないでしょ。
『特別じゃない人間なんていない。誰もが誰かの特別なんだ』って言葉もあるけどさ……あれは、正しいけど正しくないよね。
例えば家族や友達や恋人にとっては、あなたは替えの効かない特別な存在なんだよって?
いやいや。それは確かにそうかもだけど──誰から見ても特別な人間と、誰かから見れば特別な人間とは、違うでしょ。
『普遍的な特別』と『特別な特別』が同じなわけないじゃん。
……確かに、私から見れば、私は特別な存在だよ。グラングもそうでしょ? グラングから見れば、自分は特別でしょ?
違う? 特別な能力や特徴があるわけでもないし、『本物の特別』に劣等感を抱いてばかりな自分を、特別だなんて感じられるわけがないって?
んー……いや、そういう話じゃなくって。
というかその理屈じゃ、私も私のことを特別だなんて露ほども思えないしね。
あ、先に言っておくけど、これって別に、そんなポジティブな話じゃないからね?
『自分』は自分しかいないんだから愛せ、みたいな話じゃないから。私、ああいう偽善的なの大っ嫌いだし。
ところでなんだけど、自分が嫌いだって言ってる人に『自分を愛せ』って言って、何の助言になるの? 『パンが無いならパンを食べればいいじゃない』?
私が『自分は自分にとって特別』だって考える理由は、もっとずっとシンプルだよ──替えが効かないから。
これは間違っても『他に同じものがない唯一の存在だから』って意味じゃないから、そこだけは勘違いしないでね。
ほら。社会を、歯車仕掛けの大きな一つの機構に喩えることがあるじゃん? 人々が一つ一つの歯車で、だから壊れても替えが効く、みたいな感じの。
私、あれって正しいと思うんだよ。誰かの代わりはいくらでもいる──それは特別な人間でも、きっと同じ。どんなに大きかったり形が複雑だったりするパーツでも、必ず代替できるパーツは存在するっていうか? 特別な人間の代わりは、別の特別な人間がやるでしょって話。
私の居場所にしたって、誰か他の人が代わることは出来る。ひょっとしたら、その人の方がよっぽど上手く立ち回れるかもしれないくらい。
けれどその人がここで見る景色は、私がここで見ている景色と違うんだ──なんてロマンティックまがいなことも、ない。
同じ場所と立場じゃ、見える景色なんて誰でも大差ないよ。多少の違いはあるだろうけど、そんなの誤差の範疇だし。
でも、その人が見る光景はあくまでも『その人が』見た景色だから、『私が』見る景色ではないんだよねって──えいっ」
……えい?
エルが滔々と、その胸に秘めていたらしい彼女の哲学を語っていく間、俺はただ黙って耳を傾けていた。
責められているようでもあり、励まされているようでもある不思議な感覚の中、口を挟むこともできずに──と思っていたら、その独演は不意に途切れる。
どこか気の抜けた、「えいっ」という掛け声と共に。
そして耳朶を打つのは──聞き慣れた発砲音。
ライトグリーンの光エフェクトが閃き、鋭い弾丸が真っ直ぐに撃ち出される。向かう先は、当然のように「彼女」。
さっき見たときには「俺達が何の話をしているのかは分からないけど、女の方が機嫌悪そうに一方的に捲し立ててるから、きっとケンカでもしてるんだろう。いいぞもっとやれ」という態度だった。
しかしそれも長くは続かず、「流石にちょっとウンザリしてきたけど、自分を共通の敵にすることで二人が協力したりしたら嫌だから介入したくない」という葛藤を抱えた表情になっていった、彼女へと。
まさか会話の最中に不意打ちで弾丸が飛んで来るなんて展開は、少しも想定していなかったらしい。そりゃそうだ。
驚きに硬直する彼女は、咄嗟には回避行動が取れず──
「──危ないじゃないですかぁ! 急にそんなことしますか、普通に常識的に考えて!」
咄嗟には回避行動が取れないはずだと思ったのだが、しかし彼女は危なげなく──本人の慌てた態度からして、多少の危なげはあったのかもしれないけれど、傍目に見れば危なげなんて微塵も感じなかった──弾丸を回避していた。
それだけでも充分に、驚嘆に値する行動なのだが──問題なのは、その過程だった。
──弾丸が直撃しようかというギリギリのタイミングで、彼女の姿が消えたのだから。
消えた、と表現するしかない。視線を逸らしてもいない俺達の視界から、彼女は唐突に消失したのだ。
眩く光る弾丸が、刹那前まで彼女がいた座標を貫く。当然ながらそこに彼女は存在せず、ただ何も存在しない虚空を飛来していくだけ。
じゃあ、声はどこから響いた? 「普通とか常識的とか、あなたに言われたくはない」と思ってしまう台詞は、どこから?
答えは先程と同じ──エルの背後から、だ。
「なっ……!」
完全に不意打ちだった弾丸を回避された驚き、一瞬で姿を見失ってしまったことへの驚き、いとも容易く背後を取られたことへの驚き──間髪を入れず立て続けに巻き起こる想定外の事態に、今度は俺が咄嗟の反応を下せない。
──だが、ミーシャ・エルは違う。
「彼女」が直接的に繰り出す攻撃は、やはり稚拙だった。技術も特色も無い、よくある普通のキック。正面からの勝負で放たれたとしたら、見切って躱すのもカウンターアタックに転じるのも容易だと思う。
刹那の内に背後を取って、相手にとってまるっきり予想外の角度から放つからこそ意味を成している。そんな一撃だ。
つまり、その攻撃を予測してさえいれば、どうとでもできるというわけだ。
エルは一歩退くことで、彼女の蹴りを回避。そして、攻撃を外した形になる彼女は、これ以上なく無防備な体勢に。
──そこに、また新たな弾丸を一発叩き込む。いかに中距離用の銃だとは言っても、こうも至近距離では外しようがない。
もっとも、彼女からすれば、避ければいいだけの話だろう。
普通の人間ならば不可避の間合いでも、彼女にとっては別。
おそらく彼女は、瞬間的に転移する魔法を使っている。「侵入者」が帝国の人間ならば、魔法を使うのは自然の帰結だ。
彼女の超次元的な回避行動も、そんな魔法によるものだと考えれば得心がいく。出合い頭のときに背後への接近に気付けなかったのだって、最初からそこに転移してきたとすれば説明が付く。
だが、彼女は身じろぎするなど多少の抵抗こそ見せはしたものの、再び転移によって回避しようとはしなかった。
とはいえ、発砲から着弾までの極僅かな間隙では、やはり通常の手段で回避することなどできはしない。
──ライトグリーンの光を纏った弾丸が、彼女の胸を貫く。
彼女の身体が、さながら生気を吸い取られたようにぐったりと倒れ込んだ。魔法銃の弾丸に撃たれた作用で、意識を失ったのだろう。
俺は慌てて手を伸ばし、彼女の頭を受け止める。重力で無造作に地面に叩きつけられるまでには、辛うじて間に合った。
「……ふぅ。お疲れ様」
「……俺、特に何もしてないけどな」
彼女の意識が残っていないことを確認して、地面にそっと横たえる俺に、エルが銃を仕舞いながら声を掛けてくる。
まだ諸々に対しての驚きが冷めない俺は、そんな一言を返すので精一杯だった。
まあ実際、結局のところはエルが一人で戦って勝ったようなものだし。
どんな形だろうと、勝ちは勝ち。切羽詰まった状況ならば尚更──そんな単純に割り切っていいかどうか悩ましいけれど、しかし俺がそのおかげで助かったのも事実なわけで。
「ところで……ひょっとして、さっきまでの話は?」
「あ、あれ? 油断してもらえたらいいな、と思って。正攻法じゃ勝てるか分かんないときは、とりあえず搦め手だよね」
搦め手……いや、正攻法じゃないことは確かだけども。
でも、そのためだけに千文字も長ゼリフ続けますかね!?
エルさん、度胸あるとかそういう問題じゃなくない?
その度胸、彼女に対してなのか、状況に対してなのか、読者に対してなのか判断が付かないよ。
「ってことは、語ってた内容はもしかして……」
「んー、適当?」
やっぱり読者に対する度胸だ、コレ。間違いない。
ちょっと重要そうな話もしてるっぽい気がしてたのに……。
とはいえ、そんな不満が俺の顔に出ているのを見て取ったのか、エルもさすがに「悪いことをしちゃったかもな」という表情を見せる。
悪いとも言いにくいけれど、良いことじゃないのは確かだ。
「まあ、そうだね──特別な人間じゃなくても、特別な人間の振りくらいならしても良いんじゃない?」
しかし考え込んでいるような態度とは裏腹に、最終的に彼女が口にした言葉は、絶対にそんなに深くは考えてないだろうと思わざるをえない内容だった。
「……特別な人間の、振り?」
「まあ、言ってしまえばごっこ遊びみたいなものかな──さっき言ったみたいに、私達って要素だけなら先輩達と似てるし、それとか?」
「理屈も説明も、色々と雑だな……」
ひょっとして、それがテルミラ先輩の真似とでもいうつもりなのか? もしそうだとしたら、クオリティは微妙だ。今のエルも大概だけれど、本人はその五倍は雑だし面倒だから。
というか、さっきの話なら配役は逆では……でも、俺がテルミラ先輩を担当するのは普通に嫌だ。
「──要するに、『深く考えるな』ってことか?」
「特別か普通か」なんて、些細な問題でしかなくて。
悩んでみたところで、何も変わらないし動かない。
考えるだけ無駄──だったら、いっそ考えなければいい。
拘りも葛藤も全て、捨て去って忘れてしまえばいい。
あるがままを愛する必要も、受け止める必要さえもなく。
認めたくなければ、きっと認めなくてもよくて。
考えるな、感じるな──
自分は特別じゃないと嘆くよりも、
自分は無力で矮小だと嘆くよりも、
自分に何が出来るか分からなくても、
──それでも、足を止めずに歩みを進めるべきなのだと。
──無駄なことを考えて足を止めるべきではないのだと。
「──つまり、そういうことが言いたかったのか?」
エルの態度から、俺はそんなメッセージを読み取る。
やけに軽々しい態度は、もしかすると「あまり気負わず、肩の荷を降ろせ」と、そういう意味なのかもしれなくて──
「え? ……あ、ああ……えっと、うん。そうそう」
「…………」
違うのかよ……頑張って解読したつもりだったのに。
エルは「何言ってんだコイツ?」と戸惑ったような表情を隠そうともせずに、しかし台詞だけは俺への肯定を返す。こういうとき、そういう反応が一番つらいんだが。
どうやら俺の深読みだったらしく、普通に恥ずかしい。
というか、じゃあ何なんだよ本当に……いや、ある意味これ、テルミラ先輩の真似としては完成度が高いってことになるのかもしれないけれど。
「まあ、そうだね……考えても無駄だって思うなら、考えなくてもいいんじゃない?」
苦笑を浮かべつつ、やはり軽い口調でエルが言う。
俺はそんな彼女の態度に、呆れるしかない。何でもないことのようにそう言い放つエルを見ていると、まるで悩んでいる俺自身が馬鹿みたいに思えてくるのだから不思議だった。
俺は大きく溜息を溢して、素直な言葉で返した。
「──だから、色々と雑すぎるっての」
──どこまでも気安く交わす言葉に、少しだけ自分の悩みと心が軽くなっていることに気付きながら。
「白蒼に焦がれて」編は次回で完結です。
そして、他の週5連載を再開するので、またもや更新が止まりますよ〜! 『二度目の世界と紅月』も、ぜひよろしくお願いしまーす(開き直って宣伝)!