#1 白蒼の舞踏
──全身の力を余すところなく乗せた、大きな振りから放たれる一撃。
大剣が空気を切る音が間近で聴こえて、刹那に生まれた突風を顔に浴びる。
その渾身の剣戟を、身捌きでさっと右に避けた。
動作の勢いで長い金髪が舞い踊り、毛先の三ミリほどが持っていかれる。だが、他には特に大した被害も危なげもなく回避に成功した。
その次の刹那、数瞬前まで私がいた座標が猛烈な勢いで穿たれ、固い土面が大きく凹む。正面からまともに喰らっていれば、致命傷で済まなかったかもしれない威力だ。
一撃そのものは躱せても、地面と空気を伝って届く衝撃と風までは避けられない。
舞う砂粒に、私は思わず眼を閉じてしまった。
極限の戦場では、刹那の油断が生死を分かつと言うのに──だから、その瞬間を狙われた。
男の十メートルほど背後から、魔法銃に特有の発砲エフェクトが世界を淡く照らす。その色は、引き金を引く彼女の魔力を反映した、鮮やかなライトグリーン。
私が眼を瞑った刹那を見逃すことなく、すぐさま弾丸が放たれた。
まだ眼を開けられていないので視界に捉えたわけではないが、撒き散らされているであろうスパークを目にせずとも、空気の変化で否応なく理解させられる。
その迷いのない狙撃に、或いは最初からそれが目的だったのかもしれない、と思った。
だとしたら、羨ましいほどに素晴らしい連携だ。
私が男の剣を避けることを念頭に入れて、その回避先に銃弾を放つ。周到な一撃に、今から回避は間に合わない。
それを可能とする相棒への信頼と技量には、素直に感服だ。
もしも私が一人だったなら、呆気なく撃ち抜かれていたかもしれない──
──だけど、私は一人じゃない。
だから、回避はしない。
ライトグリーンの光に包まれた銃弾は、加速しながら距離を詰めてくる。その「危機」への対処は、つまり私の命運は、全て『彼』に委ねる。
──そして私は、私が為すべきことをする。
銃遣いの少女の相手は『彼』の担当。
私は、大剣遣いの少年の対処に動く。
先程の一撃で地表を抉った男が、息を切らすことさえなく、再び大剣を両手で構え直す。魔法剣の刃を包むバイオレットの妖しい輝きが、彼の集中が途切れず続いている証左だった。
彼は強い。
そのことは、ここまでの剣戟でも理解している積もりだった。一つ一つの所作や剣技は豪快ながらも、流水のように滑らかで無駄がなく洗練されているし、それを為しうる体力も鍛錬の成果なのだと思えば、見上げたものだ。
だが、その認識では甘かったようだと自省し、今一度評価を改める。ギアを一つ上げて、敬意を払って私の全力を以て応えよう。
彼の剣技の威力の秘訣は、全身の力を余すことなく使って繰り出すこと。
しかしそれ故に挙動が大きくなり、構えてから攻撃までのタイムラグが長い。もっとも、鍛錬の成果だろう、実際は一瞬ほどの違いでしかない。
だが、その刹那が隙となるのが戦場だ。
大剣が振り下ろされるより速く、私は彼に一息に接近して間合いを埋めると、そう決断を下す。
緊迫感に胸の高鳴りを自覚すると、右手に握る細剣が纏うホワイトの光が強く応えてくれた気がした。
ライトグリーンの弾丸は、もう着弾まで数刹那のところに迫っている。その狙いは正確無比で、私の心臓へと一直線に飛来してきていた。
今はこの場に観衆がいないが、もしいたなら、その全員が同じ未来を幻視して疑わなかっただろう。
──弾丸が私の胸を鋭く貫く未来を。
──けれど、私は止まらない。
──そんな未来は、訪れない。
その光景が世界に広がる前に、ライトグリーンの弾丸が弾かれたからだ。微かな音の後に軌道が逸れて、目標から外れていく。
スカイブルーに彩られた弾丸が真横から翔んできていたことには、きっと相手の二人も既に気付いていた。
戦場の緊張感は、人間の感覚を普段以上に研ぎ澄まさせるからだ。
──だが、その後の光景までは予測できるものではなかっただろう。既に何度も目にしたことのある私ですら、驚嘆せずにはいられないのだから。
迫り来る弾丸に、弾丸をぶつけて対処する。
言葉にしてしまえば単純だが、その困難さ、必要とされる集中力や技量は説明するまでもない。
ときに音速を超える小さな弾丸に、同じく小さな弾丸を、精確に狙って放つ。
通常の思考回路を持っていれば、思い付きさえしない滅茶苦茶な解法。
そんな馬鹿げた神業を成功させた凄腕の狙撃手は他でもない『彼』。跳弾の方向まで計算に入れてやがる周到さだ。生意気な。
その超絶技巧には素直に感心するしかない──なのに、どこか呆れてしまうのは何故なのだろう。
けれど、その技を初めて目の当たりにした彼女からすれば、現状、驚愕以外の感慨は無いようで。
ある程度の自負があったのだろう、渾身の弾丸を容易く撃ち墜とされた彼女の反応は劇的だった。
眼を見開いて、慌てて『彼』を見やり──そして訪れるのは、より大きな驚き。
超絶技巧をやってのけた『彼』が立っていた地点は、ざっと三十メートルは離れた場所。
そして極め付けは『彼』の構える魔法銃の型式。明らかに短距離用のそれは、いっそブラフを疑うほど。
しかしその疑念は、いまだ銃身を包んでいる光の残滓が否定する。
彼女の心境は察するに余りある。口から漏れる掠れた吐息は言葉にすらなっておらず、衝撃に硬直する身体は、華奢なのに鉛のように重たそうだ。
硬直する少女に対して、しかし『彼』の反応はシンプルだ。
感情の読み取れない表情で、彼女に銃口を向ける。照準を合わせて、狙いは眉間。
──銃声と共に、蒼の光が世界の一部を染めた。
「はぁっ!」
間合いを詰めて接近戦に持ち込めば、彼の大剣は扱いづらくなる。
鋭い気合を吐いて繰り出した突きは、この間合いと速度ではもはや不可避。驚愕から立ち帰った男は瞬時に判断して、素早く防御の姿勢を取った。
高速の突撃を放つ細剣が、瞬時に場所を移した紫紺の剣の腹に弾かれる。
──構わない。一発で崩せるような相手だとは、最初から思っていない。
だから、続けて二発目、角度を少し変えて突撃を叩き込む。
だが男は動じることなく、剣の位置を再び最低限動かすだけで防ぐ。
その技量に内心で敬服しながら、しかし繰り出す剣技に鈍りは見せない。すぐさま三発目を、四発目を続ける。ただそれだけだ。
剣と剣がぶつかりあう小気味良い音色が、幾度も場内に響き渡る。隙間無く繰り出す突撃の弾幕に、男は現状、反撃に転じられず防戦一方だ。
だがそれは、私の有利を意味しない。
彼は全ての突撃を弾きながら、虎視眈々と、連撃の終焉、隙が生まれる瞬間を待っている。
互いに刹那さえ集中の途切れない、極限の緊張。
──しかし、それはそう長く続かない。
十九回、快音が続いて。
二十発目の突撃で、響く音が変わった。
大剣が根本から砕けて、折れる音。
刃は衝撃で飛んでいき、男の手元には柄だけが残る。
「──ぐっ!」
武器を失った男が、呻き声を漏らす。
何が起こったのか、まだ理解は追い付いておらず──だがその瞳は、勝利への執着まで失ってはいない。
思考の外の、咄嗟の判断だろう。無惨に残された柄を投げ棄てて、両腕で防御体勢をとる。
追い込まれての悪足掻きとしては最適解だ。
──だが私の連撃は、まだ終わっていない。
二十一、二十二、二十三。
呼吸さえ停まった世界で、白の光は途切れることなく剣撃を重ねる。
二発までは何とか堪えた腕の防御も終には崩れ去り、二十三発目の突撃が男の胸に深く刺さった。
──勝負あり。
確認して、すっと剣を引き抜く。
意識を失った男の身体が、重力に従ってその場に崩れ落ちる。それを支えて、楽な姿勢で地面に寝かせてやった。
辺りを見渡して、光を失った大剣を探す。あまり遠くまでは飛んでいなかったらしく、すぐに見付かった。
回収して、眠る男の傍らへと運ぶ。思ったより重いが、運べないほどでもなかった。
「──さてと。あっちはどうかな?」
「──分かりきったことを訊くな」
刃と柄の両方をなんとか運び終えてから、もう一つの戦いの顛末を見ようと振り返った私に、刺々しく容赦のない声が掛かった。
ついむっとなって、悪態で『彼』に応える。
「ディルが負けてた場合は、私とあの子の一騎討ちなわけでしょ? それはそれで楽しそうだし、どうせなら空気を読んで負けてくれればよかったのになって思ってさ。ディルって空気読めないよね」
「成程な。仮にテルミラが刺されてたら、俺とあの大剣遣いの勝負になってたわけだ。お前こそ、空気を読んで負けた方が良かったんじゃないか?」
悪態をつけば、悪態を返してくる。
交わされる言葉にはいずれも冗談の気配がなく、そのまま互いに譲ることのない睨み合いが始まった。
──テルミラ・イドとディルグ・アンスラントの関係は、いつだってこうだ。まだ出逢って数日なのに、本当に先が思いやられる。
闘いを終えた相棒が本来為すべきなのは、健闘を称え合うことじゃないのか? と、たまには思ったりもする。
だが、これはどうしようもない。
戦いの中では躊躇なく自分の命を預けられる。彼が持つ圧倒的な技量も認めている。
そういう意味では信頼しているし、信頼されているとも思う──だけど「絆」と呼ぶには、相性と仲が悪過ぎた。
炎か稲妻でも見えそうな、一触即発の雰囲気が二人の間に落ちる。戦いの後だというのに、空気はさっきよりも殺伐としている気がする。
「それにしても、馬鹿みたいな戦い方よね」
「自分のことか? 間合いを詰めて連撃して、その全てが突き。馬鹿な自覚はあったんだな」
「あら? あなたのことを言ったのだけれど、気付かなかった?」
「侮辱するな。あれはれっきとした技術だ」
「そもそもの発想が馬鹿なのよ」
「馬鹿な発想でも、それを実現するのは技術だろ」
「馬鹿な発想なのは認めるのね。そして、その理屈なら私の戦術だって立派な技術よ」
「お前も、馬鹿な発想なのは認めるんだな」
思わず溢れるのは、溜息と自嘲的な笑み。
「馬鹿と馬鹿の二重奏なんて、誰に届くのかしらね」
「昨日は『欠陥品と欠陥品』って言ってたろ? 少しマシになってるんじゃないか?」
「かもね。ただ、どちらにしてもはっきりと言っておきたいことがあるわ」
「奇遇だな。俺もだ」
「──ディルと一緒の肩書とか、」
「──テルミラと同じ扱いとか、」
「「なんか納得いかない」」
二人してそっぽを向き、会話が終了する。
こんな奴でも一応は相棒なのだから、仲良くしておいた方が良いのは分かってる。
だが、それは私から言い出すことじゃない。この失礼な男から歩み寄ってくれば考えてやらないこともないが、私から言い出すのは負けた気になる。
土曜日の夜中十二時前ということもあって貸切状態だった「第五修練場」は静かで、沈黙はやけに重たく感じる。
そもそも、この場にいる四人の内、半分は意識がないままだから──っと。
「あ、あの……」
そうしているうちに、眠っていた一人である少女が目を覚ました。沈黙に耐えかねてか、おずおずと上げた声は実に気まずそう。
ちらっと時計を見た感じだと、倒れてからおよそ五分といったところか。
──ミーシャ・エル。ライトグリーンの魔力を持った中距離用銃遣いで、まだ起きそうにない大剣遣い、マルア・ゲーレの相棒。
ちなみに、魔法剣や魔法銃の攻撃を食らったところで命に別状はない。
そもそも「競技」の安全性を確保するために用いられている道具なのだから、当然と言えば当然だ。
ただ、全くの無傷というわけでもなくて、電気ショックみたいな衝撃で気絶することになる。ちょっとしたスタンガンと思えば分かりやすいかな。
体質や魔力耐性といった個人差も大きいので一概には言えないが、通常のダメージなら、大体は五分くらいで目を覚ます。
ついでに言うと、二発だと十五分、三発だと三十分くらいは起きない。勢いでやってしまったことは何度もある。やられたことも。
まあ、ゲーレさんもあと少しで起きるだろう。
起きなかったら、その時に考える。謝罪の言葉を。
修練場でたまたま遭遇して、練習試合を挑まれたから引き受けた──言ってしまえばそれだけの関係だが、そんな相手ともこんな風に楽しめるのだからこの競技は止められない。
「にしても強かったなあ。油断したら負けちゃいそうだったし。二人とも、まだ一年生なんだよね?」
私とディルは二年生だが、一年前の私なら勝てていたかどうか怪しい。勝てたとしても、確実に苦戦を強いられてはいただろう。
「ゲーレさんの、自分の体格や特性を全部活かした豪快な剣技は、完成して隙が無い感じだったし」
「そうだな。エルの射撃の腕も良かった。無駄撃ちしない的確さと、急所をピンポイントで狙う精確さは圧巻だった」
追従するのは構わないんだが、こいつは私以外のことはちゃんと褒めるんだな。って私もか。
「あう……あんまり褒められ慣れてないので、かなり照れますね。えっと、ありがとうございます。きっとマルアも、聞いたら喜びますよ」
恥じらいに頬を朱に染めて、彼女は微笑む。
その姿がとても魅力的で、中世の名画のような神秘を感じた。女同士なのに変な気を起こしそうなんて言うと、リラとクロに何を言われるか分かんないけど。
だが、エルさんの表情が少しだけ曇る。本人に聴こえないようにだろう、小声でぼそぼそと呟いた。
「ただ射撃の精確さについては、アンスラント先輩に褒められると……あの技を見せられた後なので、すごく複雑です」
私には聴こえてたけどね。そして、内心で大きく頷いてたけどね。
うん。そうだよね、本当あいつムカつくよね(そんなことは言ってない)。
当のディルはというと、聴こえてなかったみたいで呑気に「何?」と首を傾げていた。
いや、聴こえていてこの反応かもしれない。そういう奴だ。
なんて思ってたら、エルさんが「あ、でもでも」と私の方に向き直って続ける。
ディルだけ褒めるのは悪いと思って、私も褒めるとか? そんな気を回さなくてもいいのにね。
「イド先輩の剣技だって、充分以上に凄いものでしたよ……二十三連の突撃、しかも剣の一点だけを突き続けて砕くなんて、他の誰にも出来ませんよ。意識が飛ぶ前に、それだけ見えました」
「──へぇ、あの距離で分かるんだ」
卑屈な予想に反して、意外とちゃんとした分析だった。悪いこと思っちゃったね。
とは言え、気付かれたとは思わなかったなあ。
「他の誰にも出来ないんじゃなくて、誰もやろうと思わないんだよ。そんな馬鹿みたいなこと」
ディルが余計な口を挟む。本当に失礼な奴だ。
「そのまま返すわ、狙撃馬鹿。たとえ他の誰に言われても、あなたにだけは言われたくないのよ」
「むしろ俺だから言うんだよ、突撃馬鹿」
私はむっとなって、失礼な男の足を無言のままに強く踏み付けた。
*
──すっかり人口に膾炙し、我らがヴィルファ皇国においては今や国技ともなったその競技には、至極単純な三つの規則しか存在しない。
一つ──男女二人一組のチームとすること。
二つ──一方は剣を、他方は銃を用いること。
三つ──磨いた己の技術で戦い抜くこと。
固く強い絆と信頼で結ばれた二人組が紡ぎ出す、激しい熱を宿しながらも美しく輝く、世界に高らかに響き渡る旋律。
二重奏でありながらも重厚な、聴衆を刹那の内に魅了する協奏曲。
一体どこの誰が呼び始めたのか、その名は『デュエッティング・オルター』。
──私たちは戦う。
己の中に存在する正義と、鍛え抜いた確かな技巧を、そして何より、相棒を信じて。
第一章から物語を進めて、やがてプロローグに時系列が戻って来る、という構成は正直とても書きやすいのですが、前作もその手法は使ったので、マンネリ化を避ける方法を考えねば。
そんな訳でプロローグでした。次回から第一章です。
※バトル物詐欺に気を付けよう! 第一話に騙されちゃだめだ!