私の最期 前編
あの日からもう1ヶ月が経っていた。
会社へは長期の休みを頼んでいたが、そろそろ戻らないと自主退社しろと部長に言われるんだろうな…とわかっていた。
「はぁ…これからどうしよう。」
人を殺してしまったという事実が私を思っている以上に追い詰めていた。
最初の一週間は食事もほとんど喉を通らず5キロ痩せた。部屋を真っ暗にして寝ようとするとあの女の死に顔が浮かぶから、いつでも部屋は明るくしていないといられなくなった。
あの首が逆に曲がった姿。
思い出すだけで寒気がする。
あの日からなるべく人と会わないように家をほとんど出ずに過ごしている。どうしても必要になった時のみ、夜中にコンビニや24時間営業のスーパーへ行くくらいだ。配達も考えたが他人に家を知られる恐怖で利用出来なかった。
そしてよくわからない恐怖に駆られて入浴が出来なくなくなった。
あの日感じた何かは違和感程度だったが、それは確実に何者かの気配、鋭い視線だと気づいた。
気づいてしまってからはそれが日に日に強くなり、ジワリジワリと追い詰められている感覚がつきまとった。
鏡は全て隠して窓も常にカーテンをして電気をつけテレビはつけっぱなし。画面が暗くなると慌てて目を逸らした。
常に頭の後ろで誰がが見ている気がするのだ。
顔が映るものは全て処分したので料理も出来ない。
まぁ、そもそも食欲もそんなにないので死なない程度に水分と栄養を摂っていただけだった。
臭いや汚れが気になり、どうしても入らないとならない限界まで来ると短時間でシャワーだけ入るのだが、目を閉じれない。目を閉じたが最後、何故だか死ぬ気がしていた。
馬鹿馬鹿しいと言われるのはわかっている。
だが、すぐそばまで迫っている死の気配を感じるのだ。
……何かがいる。
見えないけど確実に何かが。
少しずつ少しずつ近づいているのがわかる。
その日も会社へ連絡するかどうしようかと迷ったが、行動に移せずベッドの隅で膝を抱えて座りボーッとしていた。
ピンポーン
突然鳴ったインターホンに体をピクリと震わせる。
(誰?会社の誰かかな…?でも連絡来てない…。)
……ピンポーン
再びチャイムが鳴る。
このまま玄関前で騒がれても困ると思い、重たい体をズルズルと引きずるかのようにゆっくりと玄関へ向かう。頼むからこのまま諦めて帰って欲しいと願う。
今度はトントンとノック音がして男性の優しい声がする。
「石山さん?石山明日香さんいらっしゃいますか?…警察です。少しお話を聞かせてください。」
「えっ!……なんで警察!?もしかしてバレたの?」
驚いて大きく「えっ!」と声が出たが、慌てて口元を手で塞ぎ、その後は小さな声で呟いた。扉を開けようと近づいた足が止まる。
「石山さん?いらっしゃいませんか?あなたを保護しに伺いました。」
「……保護?どういう事?」
迷った挙句、チェーンをかけたままそっと隙間から覗くように扉を開けた。
「あぁ!良かった…無事でしたか。」
若い刑事を連れた年配の男性刑事が私の顔を見てホッとした顔をした。
「何の用ですか?体調が悪いんですけど…。」
あからさまに嫌そうな顔をして帰ってくれと願った。
「チェーンをはずして少しお話させてもらえませんか?あなたの今後に関わる大事な話なんです。」
年配の刑事は穏やかに微笑んでそう言った。
「急にすみません。もし心配でしたら女性の刑事もお呼びしますし。…ね?」
続けて若い刑事が申し訳なさそうに続けた。
話を聞かない事には何も判断出来ないと思い、仕方なく入ってもらった。あまり広い部屋ではないのでそのまま二人でお願いする事にした。
「……どうぞ。こんな格好ですみません。」
私は部屋着のままと言うわけにも行かないので簡単にパーカーとジーンズに着替えてリビングに通した。
「いえいえ。突然お伺いしてしまいこちらこそ申し訳ありません。」
小山田と名乗る年配の刑事はゆっくりと床に座りながら言った。若い刑事も「大山です。突然すみません。」と名乗り小山田の隣に座った。
「……それでお話と言うのは?」
努めて冷静な顔をしているが心臓はバクバクだった。
(バレたのかもしれない。どうしよう?普通の顔してなきゃ……ボロが出たら捕まる。)
「…石山さん。今、困っていませんか?」
小山田が一呼吸置いて静かに聞いた。
「……え?困ってるって何がですか?」
予想外の質問に思考が停止する。
大山が続けた。
「実は先日亡くなったあなたの同僚で友人でもある陣内沙莉さんの事件について我々は調べています。」
あの女だ。私が殺したはずのあの女の話だ。
「さ、沙莉ちゃんの事件ですか。」
顔をしかめて話す私の様子に小山田は
「思い出すのはお辛いでしょう。すみません。ですが我々も仕事ですので少しだけお付き合いください。」
「……。」
私は様々な事が頭を巡り、無言になる。
「ひとまずお辛いとは思いますが、お話させていただきますね。」
大山が前置きして話をし始めた。
沙莉の事件に不可解な点が見つかった事。
亡くなった時の遺体の損傷について、あの首の曲がり方は人間の力ではとても無理だという事。
そして、彼女は亡くなったのが私と大家さんが見つける一時間前だという事。
(…え?あの時死んでなかったの?確実に殺したと思ってた。)
私は考え込みながら話を聞く。
「いくつかあなたにお聞きしたい事があるのですが。」
「…はい。」
話は聞いているのだが、頭での理解が追いつかなくて全然意味がわからない。考えるのになんだか疲れてしまっていた。
(なにこれ?何が起きてるの?)
「まず、長谷川太一さんをご存知ですか?」
太一くんの事を聞かれてドキリとする。
(あぁ、もう嫌だ。こんなの無理だよ。とっくに限界だったみたい。もうこのまま全て話してしまおう。早く楽になりたい。今ならサラッと自供してしまいそう。)
そんな事を考えながらも一呼吸置いて落ち着いて言う。
「……はい。元婚約者です。」
「彼が亡くなった事は?」
「知っています。彼のお母さんから聞きました。……そのお母さんが自殺した事も。」
(辛い。なんでまた思い出さなきゃならないんだろう?もう嫌だ。)
話していて辛すぎて下を向く。そのまま太一くんの顔とお母さんの顔を思い浮かべた。今の自分の情けなさと二人への申し訳なさ、そして自分が思う以上に精神的に追い込まれていたようで、そんなつもりはなかったのに涙が溢れてジーンズにポタリポタリと零れる。
「では、沙莉さんが太一さんを監禁していた事もご存知ですか?」
「……えっ!?監禁?」
あの女が元彼と揉めた時にそういう事をしていたと探偵から聞いていたが、まさか太一くんにもしていたなんて。慌てて顔を上げて溢れた涙を拭った。
私の驚いた様子に小山田は顎を撫でた。
「その様子だと本当に何もご存知なかったんですね。」
「……はい。私は突然喫茶店に呼び出されて『ヤバい女に捕まった。巻き込みたくないから別れて欲しい。』と一方的に振られました。その後は会えませんでした。」
「そうだったんですね。お辛い事をお聞きしてすみません。あともう少しお付き合いください。」
大山が再び申し訳なさそうに話を続けた。
実は沙莉は以前にも監禁騒動で捕まり、近所でもかなりの要注意人物だとマークされていたらしい。
一度だけ太一くんを探して欲しいと泣きながら交番に駆け込んだ事があったらしいのだが、適当になだめて家に帰したそうだ。
その一ヶ月後に太一くんが遺体で見つかったそうだ。沙莉にバレないように引っ越したようで私の知らない住所だった。
「…実はその時のご遺体も沙莉さんのように首が変形していたんです。」
「……え。……そ、そんな。」
お母さんからも損傷が激しくて見せてもらえなかったと聞いていた。そういえばその時に「首が」って言ってた気がする。
「それともう一点。太一さんのお母さんも亡くなって自殺だったとおっしゃいましたね。」
「…はい。」
「それはどなたからお聞きになったんですか?」
「近所に住んでたお母さんのアパートの大家さんに。」
お母さんが住んでいたのは古い小さなアパートで、大家さんもすぐ近くに住んでいた。私が太一くんとアパートへ遊びに行った時に、たまたまお茶をしに来ていた大家さんと何度か会ったことがあったのだ。『私の可愛い娘よ』と言って紹介してくれたのがすごく嬉しかったのを覚えている。
お母さんは太一くんとの二人家族で、親戚の人とも過去に色々あったみたいだった。なので付き合いも全くなく『私の家族はあなた達二人だけよ。』と私と太一くんによく言っていた。
大家さんはその日、いつもならきちんと時間通りにゴミ捨てに来るお母さんが来ないので体調でも悪いのかしらと様子を見に行ったそうだ。
「息子さんを亡くしたばかりだったでしょう?心配だったからね。」と大家さんは話してくれた。
でも、ハッキリ遺体は見なかったようだ。
玄関を開けてのれん越しにぶら下がっている大きな何かを見つけて、怖くなって中には入れずすぐに警察と救急に連絡したそうだ。
警察は「自殺でした。ご遺体は見ない方がいい。」と言われ「仲は良かったけど私に出来ることはないと思って後のことはお任せした。」とも話していた。
それを全て小山田と大山に伝える。
「やはりそうでしたか。こちらが聞いていた話と合致します。ショックかもしれませんが……お母さんもご遺体に損傷があり、同じ状態でした。」
「ただ、他の二人と違うのは入浴中ではなかったという点です。ですが浴室の掃除中だったのか掃除道具が散らばり体はびしょ濡れでした。」
大山は落ち着いた声で私に伝える。
もしかしてと話を聞いていて思ったが、まさかそんな事が起こるなんて信じられなかった。
(……え?じ、じゃあ私が殺したと思ってた沙莉は死んでなくて、私は殺人してないって事?でも、このまま黙っている訳には……)
私が考え込んで下を向いていると小山田が言う。
「石山さん。ここからが本題です。」
「え?…どういう事ですか。」
【…あなた最近誰かに見られていませんか?】
小山田の声は静かに落ち着いた声だが、先程までと違い力強く圧を感じる話し方だった。
「えっ!ど、どうしてそれを?」
私は動揺を隠せずに言った。
大山が続ける。
「亡くなった3人に共通するのが入浴中に誰かに見られている気がする事だったんです。3人それぞれが周りの人にそれとなく相談したり、愚痴をこぼしたり、日記に書いたりしていました。」
「その後、入浴中だけでなく常に誰かに見られている気がして外に出られなくなったり、あなたのように鏡や映るものを隠したり捨てたりしていたようです。」
「そんな………。じ、じゃあ次は私の番って事ですか?」
「…………いえ、それはわかりません。なのであなたを保護するべきだと判断して伺いました。ここまで長々と説明にお付き合いくださってありがとうございます。」
小山田はそう言いながら軽く会釈をした。
「我々は強制出来ません。石山さんにどうするのかを今ここで決めていただきたい。これを逃すと次がいつになるのか正直わかりません。」
小山田は再び私の顔を見てそう言うと更に目を見て言った。
「この保護措置は念の為ですが絶対に必要であると私は思っています。ここに一人でいるよりもはるかに安心していただける。それに…石山さんはまだお話したい事がおありのようだ。」
ニッコリ笑ったが目が笑っていない。
きっとこの人にはお見通しだ。
「……わかりました。ここにいても部屋の隅でただ怯えるだけでしたから。よろしくお願いします。」
私は覚悟を決め、全て話すつもりで軽く荷物をまとめて二人とともに車に乗り込んだ。




