私の都合。
今回、かなり残酷な描写や怖いシーンがあります。
苦手な方はお気をつけくださいませ。
(くそっ!まさかあの女が私の事情を知っていたなんて。マズいマズいマズい!!)
あの日……
あの女が先に帰ったのを確認してから、準備を整え家へ向かった。この前こっそり作った合鍵で部屋へ侵入する予定だ。
時刻は午後23時過ぎ。
あの女の住むアパートは、大きな道路から離れた場所にあり近くに公園がある静かな場所だ。
一階に住んでいるので昼間なら通りからは丸見えになるが、この時間になれば人通りはほとんどなく誰かに見られる心配もなかった。
幸いにも女の部屋は角部屋で、今は隣と上の住人はいない。これもあらかじめ調べてあった。
部屋の様子を伺う為に裏へ回ってみる。
居間の電気は消えていたが奥がうっすらと明るい。
やはり留守ではなさそうだ。
物音を立てぬように静かに表へ戻り、作った合鍵をノブに差し込む。なるべく音が出ないように静かに回した。
…ガチャリ。と小さく音を立てて鍵が空いた。
静かに扉を開く。
キィッと小さな音を立てたので心臓がキュッとなる。
フゥッと息を吐いて自分の体が通るギリギリでスルリと中へと入った。
慎重に扉を閉めて靴を脱ぎ、部屋へ上がる。
部屋の中は外から見た通り薄暗かった。
そして風呂場からシャーッと水の流れる音がしていた。
小さく鼻歌らしき音も聞こえている。
(やっぱり風呂に入ってたか。)
毎日女の生活リズムについて観察していたのだが、今夜もやはり寝る前に入浴しているようだった。
女はいつも長く美しい自分の髪を自慢していた。
(あの自慢の髪をめちゃくちゃにしてやりたい。)
ずっとそう思ってきた。
そもそも私に長い髪は似合わない…と思っていた。
女を見つけたあの日から私の髪はずっとショートカットだ。何かあった時に証拠が残るのは困るし、何より長い髪は邪魔だったから。
何かにつけて自慢の髪をなびかせて、自分が女であるというアピールをするのがとにかく癪に障ったのだ。
(殺した後でアンタのご自慢の髪の毛も切り刻んでやる…!)
ひたっ…ひたっ…
玄関から音を立てぬように少しずつ風呂場へ近づいていく。
シャーッと水の流れる音がキュッという蛇口を閉める音と共に止まる。
(出てくる…!?マズい!このままじゃ鉢合わせだ。)
息を潜めて見えない相手の動きを探ろうと耳を澄ませた。
チャポンッ…バシャバシャッ……
「ふぅ〜。」
ピチョン…ピチョン…
(湯船に浸かったのか…?)
ひたっ…ひたっ…ひたっ…
また静かに風呂場へと近づく。
急に声が響いた…!
「先輩?来てるんでしょ〜?私、知ってますからね〜!」
突然声をかけられ心臓が跳ねる!
(はっ!?な、なんで私がここに居るって知ってるの!?)
「明日香先輩〜?そこにいますよね〜?」
心臓の音で何がなんだかわからなくなっていた。
(えっ!?いやいやいや!なんで知ってんの!?意味わかんない!)
「あれぇ?気のせいだったのかなぁ?だって、私に復讐するつもりなら絶対今日でしょ〜?」
(なんで今日ってわかったんだ!?も、もしかして…!)
「明日香先輩〜?いないんですか〜?」
(くそっ!まさかあの女が私の事情を知っていたなんて。マズいマズいマズい!!)
「…だってぇ!今日は太一くんの命日だもんね?ふふふっ。知ってますよぉ〜?」
(なんで!?なんでこの女が太一の名前を口にしてるんだよっ!?)
怒りで握っていた拳が震えた。
ワナワナ震えるってこういう事か…。
今の私の顔はきっと鬼の形相というやつだろう。
もう冷静ではいられなかった。
目の前が赤く染まりあの女を殺す事以外は頭になかった…。
ドカッ…バターンッ!!
風呂場のドアを足で蹴破り、そのまま女の髪を掴んだ。
「きゃあっ!!何すんのよ!?」
「…うるせぇっ!こうすんだよっ!!」
掴んだ頭を浴槽の中のお湯へと沈める。
必死に抵抗する女…
必死に沈めようと押し込む私…
激しい水音と暴れる音が風呂場に響く。
バタバタッ…
ガタッ…ガタンッ…
ガシャンッ…
バシャッ…バシャッ…
「…や、やめっ……!!」
「うるさい!黙れっ!!死ねっ!!早く死ねっ!!」
……
どれだけの時間が経ったのだろう…?
少しずつ少しずつ女は抵抗しなくなっていき、ある瞬間を境に頭を上げなくなった。
「……死んだ。あはっ…あはははははははっ!!死んだよっ!!死んだ…………私が…殺した。」
押さえつけていた頭から手を離して、フラフラと壁に寄りかかる。
…ズルズルと壁伝いに座り込んだ。
「ははっ。殺したよ…太一。仇…取ったよ?」
無我夢中で力を込めていたから今になって手がブルブルと震えている。
恐怖からなのか…
単に疲れたからなのか…
震える手を抑えながら、フゥッフゥッと息を吐いた。
呼吸を整えて何度もシュミレーションした片付けを思い出す…。
(冷静になれ…!冷静に!)
ふと女が本当に死んだのか気になって浴槽を覗いた。
女は浴槽内でご自慢の髪を漂わせながら、ふよふよと浮き沈みを繰り返していた。
…もう女の髪をめちゃくちゃに切る気にはならなかった。
自殺に見せかけようと思っていたが、勢いでやってしまったのでどうにも誤魔化しようがなかった。
(こうなったらストーカーのせいにしよう…。)
このまま散らかったままでいいだろう。
下手に片付けて争った後がなくなるのは困る。
手袋は部屋に侵入する時からしていたから指紋が残っているという事はない。
それにこの部屋には何度か遊びに来た事があるから私の髪の毛が落ちていたって何も不思議はない。
一度冷静になると次から次へと対処する事が浮かんでくる。…絶対に捕まってたまるか!
その時。
頭の後ろに気配…というか、視線を感じた。
バッ!!
風呂場の天井を見上げる。
(な、何もいない…?絶対に何かに見られてると思ったのに…。)
不思議に思い首を傾げたが、見ていても何も起こらない。
気のせいだったのだろう…と片付けに戻った。
予定とは異なったが、一応準備してきた物で何とか取り繕った。証拠は残っていないと思う。
後は、鍵を処分して誰にも見られずに家まで帰る。
着替えはあらかじめ近くの公園の茂みの中に隠してきた。
この時間に公園に誰かが来る事はほぼ無い。
急いで公園へ向かい、着替えを済ませて何食わぬ顔で家まで帰りついた…はずだ。
普通の顔をして鍵を開けて、いつも通りに部屋へ入る。
…バタン。ガチャッ。
鍵をかけた瞬間、緊張の糸が切れたのか玄関にそのまま座り込んだ。
「…殺した。これで私は人殺しだ。やってしまった…。」
(いや。これで良かったんだ。)と思い直す。
その夜は一睡も出来ずにベッドの上で膝を抱えて過ごした。
白白と夜が明けていく。
カーテンの隙間から外を覗くと、今日も良い天気になるのだろう…青空が見えた。
なんて重たい気分なんだろうか…。
太一の仇を取ったら、きっと爽やかに朝を迎えるんだとばかり思っていた。
どうしてだろう…さらに心の暗さや重さが増した。
人の命を奪うというのはこういう事なのか。
心と同じく重たい体を引きずるようにしてベッドから下りて身支度を整える。…今日が勝負だ。
「しっかりしろ。捕まる訳にいかないんだから…!」
バシッと両頬を叩いて気合いを入れた。
電車を待つホームではボーッと一点を見つめていた。
頭が冴えないのは眠れなかったからだけではない。
ただ、毎日を続けてきた習慣は体に染み付いているようで特別に意識せずともいつも通りに出勤出来た。
「…おはようございます。」
ボソリと言ってデスクに座る。
「おはよう。」
「おはようございます!」
周りの明るく挨拶する声を聞きながら、どんどん沈んでいく心と表情を何とか隠す。
就業時間になり、部長に呼ばれる。
(…来た。)
「あ、おはよう。あの子来てないけどどうしたか聞いてるか?」
部長の口調はいつもより優しい気がする。
気のせいなのに全てがいつもと違って聞こえるし、違って見える。…怖い。
「…おはようございます。いえ、何も。来てないんですか?」
自然に言えただろうか…?
もう心臓が口から飛び出そうだ。
「何度も電話してるんだが、出ないんだよなぁ。君、彼女の教育係でプライベートも仲良かったでしょ?申し訳ないけど、家まで見に行ってくれる?」
部長の口調は変わらず優しいが、隠そうともせず面倒くさそうに私に押し付けた。私は部長のこういう所が大嫌いだ。
「…分かりました。行ってきます。」
下手に逆らったってろくな事にはならない。
素直に従い、家まで行く為の口実を作ったと思う事にした。
「じゃ、頼んだよ。何かあったら連絡してくれ。」
ヒラヒラと手を振り、早く行けと言わんばかりだ。
心の中で舌打ちしながら黙って支度をする。
支度をしながら、昨日のあの状態のままお湯が冷めていくのと共に女の体が冷たくなっているのを想像して身震いした。
(大家にいかに疑われずに済ませるか。…疑われないのが大前提だ。)
頭の中で様々なシミュレーションをしながら、電車に揺られていた。通勤時間を過ぎた車内は空いていて、ほとんど人のいない座席に私は一人ポツンと座っている。
あの女の最寄り駅で下りて、何度も歩き慣れた道を歩いて行く。
もうここを歩くのも最後か。
昨日の夜に見た景色と何も変わらない。
…ピンポーン。
アパートの前まで来て、インターホンを鳴らす。
出るわけないんだ。
…だって昨日の夜、私が殺したから。
大家さんに連絡を取る。
会社を出る際に一応必要かと…とか何とか言いながら緊急連絡先に登録されていた大家の番号を控えておいた。
ウチの会社は何かあった時の為に、一人暮らしの社員は身内の他にそういった連絡先を登録していた。
孤独死対策…らしい。
連絡した大家さんは驚いた様子で「すぐに行きます!」と言い、慌てて電話を切った。
この人には申し訳ないが、私が無実であるという証人になってもらう。
関係ないのに嫌な思いをさせて申し訳ないとは思っていた。
合流した大家さんは年配の男性で、気の弱そうな優しそうな人だった。
心の中で謝りながら鍵を開けてもらい、私が先に玄関へ入る。
「お邪魔します…。いるのー?大丈夫?」
…当たり前だが返事はない。
「入るよー?……」
大家さんと顔を見合わせる。
言葉なく頷き、今度は様子を伺うように部屋の中を見る。
カーテンは閉まっていて、部屋の中は暗い。
どうしたんだろ?…人の気配がないはずなのに、何となく昨日と気配が違う。なんだ?何があった?
靴を脱ぎ、そーっと部屋へ入る。
嫌な予感が消えない。
胸の辺りがザワザワしていた。
…部屋に入った瞬間からずっとだ。
奥の部屋へ行こうとお風呂の前を通ると、シャーッとお湯の出る音がしていた。
「なぁんだ。シャワー入ってるんじゃない!音で気づかなかったのね。」
言ってから思った。
昨日の夜、シャワーは止めたはずだ。何故…!?
朝に上司が連絡したのが8時過ぎ。
私は家へ様子を見に行くように言われてさっきここへ到着。今は10時半。
昨日の夜から出しっぱなし…?
でも、誰が何のために!?
お風呂のドアをノックする。
トントン…当たり前だがやっぱり返事はない。
トントントン!
少し強めに叩き、声をかける。
「ねぇっ!大丈夫!?」
…上手く心配している演技は出来ているだろうか?
チラリと大家さんの顔を見たが、すっかり怯えきった顔をしていた。
昨日と違う…。
こんなの普通じゃない。玄関の鍵は普通にかかっていた。
「…開けてみますか?」
大家さんが後ろから声をかける。
70歳前後の男性。
相手が若い女性だから遠慮がちに言ったのだろう。
なんとも言えない表情だった。
「いえ。私が開けますから少し下がっていてください。」
昨日の夜と様子が違う事に怖くなった私は、とにかく確認したかった。まさか…生きてるなんて事は……?
大家さんもそう答えて欲しかったのだろう。
ホッとした事が表情から見てとれた。
「開けるよー?いい?開けるからねー!」
わざと大きめに声をかけて、ドアを開ける。
ギィー。
「キャァーーーーーッ!!」
思わず叫ばずにはいられなかった。
彼女は浴槽の中でこちらに背を向けて座っていた…出しっぱなしのシャワーにうたれて。
浴槽から流れ続けるお湯に彼女の自慢の髪が揺れている。
ふちにもたれかかった頭がおかしな角度で洗い場を向いていた。
…何故、逆さまでこちらを向いているんだ?
私は浴槽の外へ長い髪を垂らし、首がボッキリと折れ逆向きになった彼女の顔と対面したのだった。
私の悲鳴を聞き、慌ててお風呂場を覗いた大家さんも
「ウ、ウワァ!」と声を上げて腰を抜かした。
「け、警察に連絡…きゅ、救急車?」
大家さんはアワアワしながら対応を考えているようだ。
私は彼女と合った目を逸らせず、洗い場に座り込んだまま動けなかった。
ただただ流れ続けるお湯が私の足を温めた。
けれど、温かいはずなのに寒気は止まらず手足はガタガタと震えていた。
だって、私が殺した時こんな格好してなかった。
誰が首を折ったの!?
私が最後に見た時、女の顔は浴槽に浸かって下を向いていた。こんなの有り得ない…!!
その後、到着した警察に事情を説明したが何を話したのかほとんど覚えていなかった。
ただ、もう演技ではなく素だったのだから疑われる訳もなく…私は、職場の同僚で仲のいい友人を亡くした人として扱われた。
ずっと頭から消えない。
あの女のあの顔。
逆を向いた顔と対面した瞬間が私の中から消える事はなかった。
しばらく仕事を休ませてもらう事にして、自分の部屋で静かに過ごしていた。
だが、あの日から時々強い視線を感じるのだ。
……誰かが見ている。
もしかして、あの女の首を折ったのは…?