もしかすると、成功者を妬むことが少なくなるかもしれないエッセイ
今年も確定申告シーズンがやってきた。
正直、2020年の収入は大幅減だが、もっと大変な人は大勢いる。
一刻も早い新型コロナ沈静化を望む。
さて、自分は「作曲家」として確定申告しているが、作曲の実績のほとんどはコンペ、つまりアーティストがリリース曲を決めるためのプレゼン大会でのものだ。
曲を提出しても決まらないことの方が多いし、決まった曲を聴くと「なんであの曲が?」と思うことも少なくない。
友人が表題曲などの大きな採用を取ったりすると祝福しつつも、心の内では燃えるものがあるのは確かだ。
中々採用が取れず、反面周りが調子が良かったりすると当然気分はよろしくない。
しかし、頑張ろうとは思えど、「妬み」のような感情を抱くことが今ではほとんどない。
昔は他人が妬ましくて悔しくて夜も眠れない日もあったのに、どうしたものか。
そこにはこれまで作曲家として過ごしてきた中で感じた、いくつかの「気付き」があるので、今回はそれをご紹介したいと思う。
人それぞれ考え方は違うので、あくまでご参考程度に読んでいただければ幸いだ。
まず一つは、「成功者が出て税金を沢山収めたり消費を沢山してくれると、巡り巡って自分の得になる」ことに気づいたからだ。
個人事業主の自分の場合、所得税、住民税、国民健康保険税、国民年金で収入のおおよそ半分を持っていかれる。
(通常はこの他に「個人事業税」という税があるが、収入額や職種によっては免税で、作曲家は免税)
悪い人であれば「だったら申告せずに黙っていよう」と思うかもしれないが、印税は自分に振り込まれる時点で、源泉徴収としておよそ10~20%が既に引かれており、これは「所得税の払い過ぎ」になる場合がほとんどだ。
多分出版も同じだと思う。
経費と各種控除も入れて確定申告すれば、源泉徴収された分は大体の場合還付(場合によっては全額)になるので、申告したほうがいい。
印税のような「変動所得」が多い人には、条件を満たせば「平均課税」という税負担緩和制度も使える。
さて、そうして収める税金だが、初めて確定申告をして住民税や健康保険の支払通知が届いた時、支払額の多さに驚いてしまった。
そこで、「税金は何に使われているか」と調べてみると、国税庁のこちらのページが出てきた。
税の学習コーナー
https://www.nta.go.jp/taxes/kids/nyumon/index.htm
このページを読んでいくと、自分たちが普段無料や格安で受けられるサービスの中に、税金で成り立っているものはとても多いとわかった。
それはつまり......誰かが仕事が上手くいったりして収入が増え、沢山納税してくれると、税金で賄われているサービスの維持や改善に貢献してくれる訳で、それは結果的に自分も得をしている、恩恵を受けていると気づいたのだ。
また、何かのきっかけでポンと大金が入ったりすれば財布の紐も緩むだろう。
そうやって消費をしてもらえばそれは企業側の利益となり、企業が国に払う税金にもなる。
つまりそれも、最終的には自分の得になると言えるのではないか。
そう考えると、成功者やお金持ちが生まれることは妬むどころか、大歓迎だ。
ちなみに、累進課税制度の日本では稼ぐほどに税率も上がるので、友人が大きな採用を取ると「来年の所得税、大変そうだな。でも、沢山納税してくれてありがとう」なんて思ったりする。
政府の税金の使い道や、自分の性格の悪さなどへのツッコミは、ここでは割愛させていただく。
しかしながら、同じ土俵で戦う人に先を越されることの悔しさはまた別で、頑張ってもなかなか結果が出ない時などは、自分と周りとの差は納得できないままだった。
その気持ちを変えたのは、「 超一流の凄さを知ったこと」だ。
以前、作曲で国内売り上げ歴代top5に入る方のスタジオで仕事した時に、その方がこう仰った。
「最初の1000曲作るまでは簡単。そこからの1000曲が大変」
これを聞いて、正直ぶっ飛んでしまった。
自分は作曲を始めたアマチュア時代から今までに作った曲が1000曲あるかもわからないのに、あの方は「アマチュアではなくプロキャリアでの1000曲」の話をしたのだ。
次元が違うとはまさにこのことで、凄すぎて笑ってしまった。
その途方もない実績や実力の前では、自分も友人からも周りのライバル達も、赤子でしかない。
そう思えば、友人の成功への嫉妬心など次元が低すぎて、どこかへ吹き飛んでしまった。
1000曲どころか目の前の1曲にすら苦心する自分は、まだまだ駆け出しなんだと改めて思い知った。
だから、「駆け出しのひよっこなんだから、一歩一歩頑張ろうか」と悟ると焦りは消え、心は不思議と落ち着いたのだ。
この一連の流れは、心理学における「畏敬」と呼ぶものの効果らしい。
畏敬とは、「自分の理解を超えるような対象に触れた時にわきあがる、鳥肌が立つような感情」のことで、主に「自然」「アート」「人」が対象となる。
自分の例では「人」に対してだったが、音楽でも出版でもビジネスでも、どんな世界にも上には上がいる。
その方達が作り上げた作品やサービスだったり、名言だったり、思考方法だったり、そうしたものから「頂点のレベル」を知ることはとても大事だと思う。
最後に、自分の人生観を変えた事件をもう一つご紹介したいと思う。
「ミハエル・シューマッハ」という、伝説的な元F1ドライバーの方がいる。
F1の歴代記録を次々と塗り替え、輝かしい名誉と途方もない資産を築き上げた。
しかし、2013年末にスキー事故で頭部に深刻な外傷を負い、担当の医師によると現在も意思疎通さえ難しく、「以前のように戻ることは難しい」とのことだ。
この事件で自分は大変なショックを覚えたと同時に、歴史に残る名誉や地位を築き上げても、日常のふとしたことで運命が変わってしまう、そんな中で自分たちは生きているのだと痛感した。
「畏敬」は自然にも感じるというが、自分も趣味の山登りをして雄大な景色に感動すると、この広い世界の中での我々の存在とは、山に生える木の葉っぱだったり、転がる石のようなものだと感じるのだ。
自分たちはとても小さく弱い存在であり、どんなに社会的に立派になっても、ふとしたことで運命が変わったり、最悪命さえ落としてしまう。
だからこそ、お互いに助け合わなければ生きていけないのだ。
そう気づいた時、自分がとても多くの存在に支えられていることを知り、同時に誰かを支えたいと願うようになった。
自分がその成功を妬む誰かに、自分もどこかで支えられているかもしれないのだから。
人生という限られた時間の中で、今後自分が何を成し遂げられるかはわからないが、誰かを妬むことに時間やエネルギーを使うよりも、目の前のやるべきことを一つ一つ、地道にでも取り組んでいきたいと、今はそう思っている。