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ホットパンツの源氏物語~よしばんば、幻聴の昔~。

作者: 小財 明

Ⅰ.早稲田の牙城のテレビは人を阿呆にする。


公明党の政党の代表に太田代表と言う政治家がいた。


宗教団体の付属政党である党の代表だけあって、その聴衆に話す声は、「機動戦士ガンダム」のシャアのように、(今日ガンダムのサントラを聞いていて気付いた)透明な、かつ力強い声であった。


危険な声である。


政教分離の原則と言うものがある。憲法に条文として書かれていて、何故か、国会で何度か「違憲」であると紛糾して揉めている原則である。


何故、宗教団体が政治に介入してはいけないか。


宗教と言うものが、信仰している者、つまり信者以外を疎外する動きを見せるから、権力を持つには余りに世俗化していない、つまり理想的であるがゆえに残酷さを帯びるためであり、宗教とは原理であり、政治とは、民主主義なのである。


月矢は、ラジオを買った。パナソニック製の置き型のコンパクトラジオである。現物はまだ見ていない。今では、愛用していると言うわけではないが、馴染みつつあるラジオである。


買い物に、外に出れない月矢にとって、家族とは外へと通じる大事な出口である。


もちろん、家族は家族であり、月矢が家の外に一歩も出れないなどして困っているので、煙草を買ってきてくれる大切な関係を保ち続けている、重要な相手である。


信教の自由とは、宗教が勝ち得た自由であり、政治に介入しない事を前提に許されている面はある。


魔女が宗教団体を作るとしたら、何教であろうか?悪魔教かもしれない。地元紙の熊本日日新聞夕刊(2021.1.9)に「悪魔のチーズリゾット」なる料理レシピが掲載された。世俗化、悪魔の見倣いの世俗化の第一歩である。新聞が、教養に寄らず、大衆化した場合、世論に迎合したマス・リテラシーに紙面を委ねた場合、つまり、知の専門家であることを放棄した場合、大衆世論は機能しなくなるのであり、蓮の花は、萎れるのである。つまり、仏教的加護の個人的世界が崩壊してしまうのである。絶対神、一神教的世界観に依拠する宗教に頼る人は何故か、眼の光が弱く、その指導者は力強い。


天皇制は神社、神道と結び付いている。深く結び付いていると言って断言できる。「宗教」である。戦時中も、「死んだら、靖国で会おう」という言葉を国家の根拠にして、戦時体制を敷き、戦争で死ぬことが美化された。


宗教を時の権力者は利用してきた。


今、秋篠宮の長女と次女が、国際基督教大学(ICU)を卒業し、教養が深いことが世間の話題を集めている。


とても、国際基督教大学を卒業、まともに卒業した感じには見えない、甘い世間を知らない二人に見えるが、それは二人が、「学問の厳しさ」を知らないからである。


このままいけば、日本は、生きた感じのしないふわふわな感じ、安出の綿飴みたいな政教原則の指導者、つまり『21世紀少年』の「ともだち」が統治する国になってしまうであろう。


安出の教養は身を膨らますだけて、精神を棉飴のような甘い構造にしてしまう。拡大拡張の、教育戦争体制の偏差値バカを産み出してしまうだけである。


二人がキリスト教系の国際基督教大学を出たことで、偏差値が割かし低い学習院、皇族が通う教育校より少し偏差値が上位の中央、明治は、少し、優越感を学生に抱かせることに成功している、と言って良い。


現在の「神権体制」とは、幼・小・中・高(現役時から都市圏の進学校生徒は予備校に通う)・予備校・大学の教育体制に他ならず、それは、固めの教養書、洋書、洋楽などの「教養」と相反する体制となっている。知識は集合すると、古典、と言うか、教養の本を読む準備をするが、現状の大学を見ると、早稲田、慶応、東大を除いては、あまりまともな、「リベラル・アーツ」が育てられているとは思えず、自身が早稲田大学出身である月矢などから見ると、それには、個人差があるようには見える。


教養とは、批判精神の現れであり、今の神権戦時体制は、高学歴の学生を経済界が一部上場企業などの大企業に採用し、つまり、東大や慶応閥が幅を利かせ、残りの真の出来る学生を「教養」のある学生を、詰まりイカレ早稲田を精神病患者界が頂くと言う構図である。この界のエリートたる月矢は、魔女反対派だが、結構若い人たちを中心にして、魔女に賛同する人達の機運が高まりつつあり、ベテランの患者からは、危惧の念が高まっている。だからでしょ、時たま、切羽詰まった患者が身近者をナイフで殺しても、あんまり近所の人、話題にしないでしょ、人に優しい、メディア媒体早稲田の牙城の「テレビ」の前だと。


精神科の「訪問看護」、男性患者には大抵女性の看護師がつくっすんよね。


親が全部、悪い。宇賀子死ね。


Ⅱ.歴史を貫く宇宙の祝意


歴史を貫く、宇宙の祝意がかなり流されている、邪悪側に。宇宙空間には、まだ謎が多い。未知の空間だからである。漆黒の闇に一つ一つある光点には戦闘機

が飛び交っているのだろうか?流線形をした滑らかな蛇のような飛行体が、自星人を殺しているのであろうか。


邪悪な潮流は小説家達の小説による新たな創造によって、直されん。


カーボンの字の連なりの流れは悪しき流れをせき止める。時の流れを変え、政治を批判し、弱き人達の命を助ける。


文庫本を持つ手が携帯を持つ手が、汗ばんできたら、それは、あなたが戦っている証拠だよ。


祝意は、取り返すには、遠大な時間がかかる。渦が、立ち上がってきた渦が、一つの島に立ち現れて来ていた。


エナジーの塊である、その物体は、月矢の携帯から、今ほとばしっていった。小説である。小説の持つ力を具現化した、その波動は、熊本を中心として世界に小説の効力を届ける。


邪悪なものと戦うには力が必要で、小説を書くには膨大な愛のエネルギーが必要である。


水亜さん、愛しています。


月矢は今日も早田家の書斎で音楽を聴きながら、小説をガラケーで書く。


Ⅲ.精神病患者に魔族は好意的である。


公明党の「地球民族主義」って、怪しいし、うさんくさい。


公明党は、フランスでは、カルト宗教に指定されており、日本は自公政権である以上、「カルト政権」と海外諸国から見なされているに違いなく、まともな国と見られていない可能性が大である。


公明党が何故、かくも与党の政治勢力として、政権の一部に食い込んだのか?


戦後の貧しい、精神が自立していない状況下に池田大作がつけ込んだと言う状況が、先ず考えられ、宗教と言うものに無関心な傾向を持つ国民性が、それに拍車をかけたと言う見方が成り立つのであり、フランスに敵視されると言うことは国際社会で、少なくともヨーロッパ社会から見捨てられていることになる。


孤立しつつある、私たちは。


宗教的寛容とは、自分の立場が脅かされない限り、確かに存在しなければいけないものだが、フランスに留学された経験を持つ佐藤亜紀先生の読者である月矢にとって、弱者の味方を自称する魔族と公明党は「敵」である。


私たちは孤立しつつある。


Ⅳ.菊地恵楓園の見えるレストランでの月矢と敵対する宇宙人の様態。


「止めて、お願い」と屑な優しそうに聞こえるある女優の声が聞こえた。「ましろ」の声に聴こえた。TVは着いていない。


強くなく、弱々しい声だ。まぁ、恐らく、山川出版社の「日本史」の声だろうが、私から、シニフィエ・シニフィアンの能力を奪った。極端な強者と、極端な弱者の「声」は精神障害者にとって、害であり、皮肉を利かせて言うのだが、和風は精神障害者にとって、害である。


だから、と言う理由(わけ)ではないが、関わりたくないのに、「国家の人間」はこちらに接触してくる。


精神障害者にとっては、基本的人権を保証してくれる現行の憲法はとてもありがたく、日本にいる限り、天皇家や政治家との関係性を作家は主として、「声」でキープせざるを得なくなるのであり、「声」によって、小説がねじ曲げられることも往々にしてあるのである。


作家は、精神障害者か?違うわけであり、ならば、月矢は何故、薬を飲む必要があるのかと言う根本的な疑問が浮かばざるを得ないのだが、それは恐らく、月矢が野田病院の主治医、絹田に「弥高医師に、明田彦クリニックで診察中に、自分は、近代的自我の崩壊の瞬間に、声を聞きました」と言わなかったからではあると現在の月矢は思うのであった。


精神科は精神科。


人間が運営している以上、誤りはあるわけであり、月矢の出来ることは、きちんと自分の状態を医療側に要領よく、真面目に伝えてみることだったとは、恐らく、始めから、精神病なんかではなく、天人、一人の天人の誕生だったと言うことは明白だったわけであり、月矢は精神科に行く必要はなく、処方される薬は始めから飲む必要はもちろんなく、生活を送れば、良かったと言う当たり前の事実が残るのであった。


人間になる薬。今の精神科の薬、月矢が精神科の野田病院で、処方されている薬がそうである。


世界史と言う、視野を広げる歴史と、日本史と言う個人を規定する歴史、日本に詳しくなると言うことは、「現在」、日本の現在に詳しくなると言うことであり、多分にナショナリズム的になると言うことである。


WOWOWで、パソコンを使って、テレフォンコミュニケーターのアルバイトをしていた月矢は、みんなの時間を効率的に貯金していた。時間守護職である。98年、その戦い以降のパソコン文化は、魔族の先棒であり、魔族は、「時間と意識」を軸として、世界侵略を計画的に策動してきた。


歴史の、2016.夏以降の歴史とは、一部負の負担者、マルクスの資本主義社会の綻びを、魔法社会に移行してしまう世界を、力尽くで正の方向に修正する者の意思と能力と力による、様々なジェネラルな突破で事無きを得ているのであった。


作家の佐藤亜紀学派に2000年初頭から属し始めた月矢は、初めから今日の活躍を期待されていたわけではなく、当初は近代市民社会における「無職」「精神科」と言う徹底的なダメ人間であり、自分としても、「俺はダメだ」と思いつつも、早稲田大学卒業の自尊心があり、精神科の危ない低学歴連中とは、違うんだぞと言う差別意識の下、通院と図書館通いを、前者は大きくマイナス、後者はプラス意識から続けた。


山川出版の日本史の「声」は、パンデミニアニス星人の「声」であり、多全にわたる攻撃能力を有しているものであり、野田病院に2016年の夏に入院中に病床の横の床に魔法により、「柔らかそうに見えるカバー」を掛けたのも奴等である。


月矢を精神科の領分の範疇に閉じ込めておこうと画策しているのも、奴等である。


床の一件では、月矢がシニフィエ・シニフィアンと言ってみると、勝手に魔法が解除されていたが、シニフィエ・シニフィアンと言うものは、基本的に芸術でしか、掛ける事が出来ず、口で言ったくらいでは効果は期待出来ない。


教養を軽視させようとする奴等の戦法であろう。


今回の「大魔法戦争」における、作家の敵であり、凶悪な宇宙人である。


宇宙人A:「テレビへは統合失調症の人を特定して宇宙空間から特定の周波数の電磁波を流している。統合失調症の周りの人が驚くべき洞察力をもってテレビを介して、「あなたの聞きたい答えはこれだろ」と心のうちを読んだかのような答えを答えられるのはこのためなのだ。


朗は早稲田大学教育学部に籍を置いていた時、教授から「野球のナイターの試合ヤクルト対巨人戦があって宇宙人が見ていたとする。ヤクルトと巨人、どちらを応援する?」と質問されたことがある。


宇宙人は居るらしい。


その後、2020年になり、1月、英国の科学者が、「宇宙人はいる」と発言して、インターネットのYahoo!ニュースに取り上げられた。


宇宙人がいることは、SF等で、梶尾真治も書いている。梶尾真治さんは、熊本在住の作家で、「彼女は弊社の泥酔ヒロイン :三友商事怪魔企画室」を最近、書き、熊本震災で、事実上、大魔法戦争の先駆けとなった震災から始まった、一連の大乱の中で、月矢に大きな希望を与えたのである。


月矢は、大学卒業後、近所のレストランで、眼鏡が顔に急に存在し始め、現れた男性の客を席の向かいで見ている。


とても、嫌な感じのする日本人の容姿をした男性であった。レストラン側に避けられている常連客らしい、ウェイターが「あまり客に、つまり月矢にちょっかいをかけるな」と思念波で注意している。


こちらに敵意を持っていた。


宇宙人は居る。


敵対的な宇宙人が現れたら、「宙悪、幻、嘘の木」と言ってみよう。


精神科に行くことは無いよ。


魔族、アンチ人間急進派の奴等、死ね。地獄、宇宙のごみにブラックホールに堕ちるほどの罪科を重ねた「実際の声とは別に、幻聴、声」の音を出す、口3つの悪霊を真似た罪を償うため、魔族、罪を重ねた魔族が送られるアズバガンに行くべきと考えた所で、それを実現させるために、復讐のために、奴等と戦うために、月矢は思考し、煙草を吸った。


煙草を手放すな。


精神病とは、精神の病ではなく、魔族の攻撃、あるいは、パンデミニアニス星人、宇宙人に目を着けられた人達が、そう呼ばれる事例があることも知って欲しい。


魔族は精神病患者に対して、好意的、かなり好意的だが、何の事はない、「亜魔族」に仕立て上げて、彼等の美意識に耐えうる新人間として、付き合いたいだけである。


Ⅳ.文化は味方である。


文化は味方である。


同じ、(すね)に傷を持つ者同士、日々結集して、闘うべきであり、一重に、文化と言う物は真に「弱者」の為に存在しているのである。



Ⅶ.影が拒絶するもの。精神のありようとは。


秋田家は娘、理夏子の変身ぶりに戸惑っていた。

高校生の頃に漫画で読んだ、「漫画版源氏物語」に影響を受け、お隣のお兄さん、月矢に戸惑いつつも恋心に近い感情、源氏物語に出てくる紫の上のように、自分をなぞらえるような恋をしていたかのような錯覚を抱いていたのだが、結局、それは虚偽の感情で、自己犠牲と言う甘い家族のまことしやかな誘惑に自分を閉じ込めていただけの事であったのである。


要するに、月矢としては、2016年の夏、酷暑が続く夏に理夏子がホットパンツを履いてきて、月矢の書斎から見える道で、何か呟いた後、急にしなだれるような感じで、こちらを見た後、月矢はなぜか、おかしいな、何時もの理夏子ちゃんではないなと感じ、事態の急変さを悟り、吃驚したのであった。


理夏子は音楽を聴きながら、恐らく御代志駅から歩いて帰ってくる。


そんな日常風景が戻ってくることを月矢は思い、頭の左側を少し掻いた。


理夏子さん、貴女には、ホットパンツは似合いません。正直、足が白過ぎ、目の毒です。


昔、志木詩織と言う、早稲田大学でサークルで同期だった女の子が居ました。立教大学の付属高校を出て、ワセダに入学した娘でしたが、ある日、サークル、政治経済攻究会と言うサークルの地西と言う先輩に私と一緒に呼ばれ、「無理しているなら止めた方がよい」と言われ、その子は服装を改めず、私は当時極め込んでいたモード系のファッションをするのを止めました。


志木は、東京の目黒に実家があり、裕福な家庭であり、私は貧乏学生でした。


その子は、丸山真男の勉強会に出ており、偉そうに思想を語っていました。


今、岩波文庫がダメダメになっているのは、丸山が元凶であり、筑摩文庫がダメダメになっているのは、佐藤亜紀先生が批判している通りであり、元々、筑摩書房が敗戦直後に創社された書店であるからであり、アメリカの影響の息がかかっているに違いなく、それは、社運が著しく伸びた、バブルの初期に、これ見よがしに、ちくま文庫を創刊したことによる。ちなみに、ちくま文庫には、『劇画ヒトラー』と言う、月矢が合志西合志図書館にリクエストした「本」がある。ヒトラーには定説の学説、決定版がなく、参考になればと思い、勇気を持ってリクエストした本である。


本勢力に食い込む悪魔の出版社、城北出版社、地域に根差したと言う名目で、質の明らかに劣等なアニメ風土に根差したインチキ・ポルノ紛いの、あるいは、『バスタード第二部』に出現したような武士道とエロの入ったダメダメ三級漫画世界を投影したアキバ世界。


カフェ・キュール。熊本市内の新市街にかってあったメイド・カフェ、「萌え~」と一緒にキュールに

女給を「ムード買い」に行った弥七からのメールがパソコンに届いた瞬間、月矢は、奇妙にはしゃげなかった。だって、キュールのメイド、別にエロくなく、胸を強調してなかったじゃん。


政治にまで、アニメ・カルティズムは普及しており、首相官邸には、椅子の上にそれっぽいキャラクターが安座している。


漫画は駄目だよ、若手作家諸君。光文社古典新訳文庫を買い、基礎から自分の「知」を学び直し給まえ。


「魔法ファッショ」に屈するな。ここで、引けば、日本の文化は、総崩れになるだろう。


ヒトラーは、「かわいかった」という。


ヒトラーが、割かし善人として漫画として描かれている漫画であり、水木しげるが描いた。


ファシズム的世界では、「あり得ないことがあり得る」。幻が現実となる時、日本では、法悦の世界が広がるが、一旦魔族、エルフ、長身イケメン、エルフ文化、「とんがっている長い耳」の耳のイメージの侵入を許した国は衰運、メイキング・同時・多発・萌えを迎え、人々はただにこやかに笑う。少なくとも、月矢や「声」が耳に入るエリートの幻を聴き分ける階層はそうである。


よしばんば。


源氏物語で、聴いていた光源氏が聴いていた、顔色を変えさせてしまうほどの「声」であり、その声はおそらく、世界中から聞こえていた。紫の上をめぐる光源氏の明石の上との確執を思い描く「幻聴」、幻の声による愛の物語である。月矢は、「源氏物語」があまり好きくない。


アキバでは、苦悩、悩むことが無くなる。なーんも考えない。


こういう場所では芸術は生じない。


魔法社会が始まっている現在、志木はおそらく、おそらく、外資の銀行に勤めていると聞いているので、「無理」をしていた分、無理のある人生を何時までかは知りませんが、送ったことでしょう。


外資の似合う人、外資の似合わない人が居ます。


何でもそうですが、ぴったしかんこの人生なんて送っている人なんかいません。


だから、ホットパンツをはくのもいいでしょう。


ただ、ホットパンツと言うのは、色仕掛けの商売女が履く服で、志木の実家は、キャバレーを経営していたが、その意味で、「ホットパンツ」を履いていたのかもしれず、理夏子さん、そう言う意味においても、そう言う服装は色に強い男性にはあんまり受けがよくないですよ。


説明より説教を好みたくなる年齢なのですよ、私は。


歴史とは、説教臭くはなく、案外、躍動感に満ちており、弱者と強者が回転木馬のように、競い合う、とても真剣なコロッセアムなのですよ。


恋も又、真剣なものなのですよ。


ヘラヘラ、笑ってばかりいると、笑いの本当の意味が判らず、曖昧模糊とした「魔法ファッショ」に取り込まれ、人の態度が分からない、場の空気が読めない、非政治的人間、空虚な哄笑しかしない虚無の塊のような最低人間になってしまいます。


笑う袋は案外、金の亡者かもしれないし、プラスのプラスは拡大拡張の何も無い領域に笑いを投げ掛ける、丘の風の吹かない大地で、アハハアハハと一人笑う事象であり、市場原理主義とは、梃子(てこ)の様に経済の実効的支配が物を言う、力の強い者が勝つ学歴の高い者が勝つ「システムゲーム」なのですよ。


魔法社会とは、主としてデカルト以前の西洋教養に基づく、「魔法」に基づく社会であり、魔族とは、アンティキティラ・コンピューターを駆使して、世界を魔法化した上で、人間、人類を滅亡させようと画策している悪魔を含む一族の事を指す。


アンティキティラ・コンピューターは、古代のコンピューターで、判明している限りでは、星の運行が分かったと言う。


星の運行が分かっていたと言うことは、天文学において、かなり高度な性能を備えたコンピューターだったと言える。


アンティキティラ・コンピューターの時代、古代からかなり時が経過しており、アンティキティラ級の後継コンピューターの実力は、計り知れないものがあるとは推測される。


少なくとも、魔法と相乗効果を持ち、魔法因子を作り出す、世界中に散布しうる能力は所有しているものと思われる。


宝貝、パオペエは仙人が持っている「武器」で、周の太公望が持っていた「打神鞭(だしんべん)」は『封神演義』に詳しく書かれている。


今時大戦で、三十六歌仙が魔族と、竜の子供を守るため戦ったときにも、パオペエが使われた。


芸術が宮廷で、「歌会」で「魔」と和歌で戦っていたと言うのは事実であり、別に遊びではなかった節がある。


日本が「文明国家」を自称するならば、少なくとも、10万円特別給付金などで、一律万遍的に魔女の大乱に戦争補償金などを出す代わりに、積極的に、先ず、過去の誤りを率直的に認め、昔神経症で苦しんだ夏目漱石の「病根」を素直に、「統合失調症」と世間一般に通っている病名であることを認め、文庫本、新版を出すよう、文化庁に働きかけるべきであろう、この国のエリートたちは。


天皇陛下は少年時代、TVを見ている限り、時々、首をかしげ、耳を澄ませていられるような気がするのは気のせいであろうか。


明治、大正、昭和と天皇制は機能していた。昭和、戦後、平和と経済成長の時代、それは、学ぶ意欲のある個人と国家がドライブしていた「幸せ」な時代だった。


太平洋戦争があったが、『はだしのゲン』を見ればわかるが、長崎と広島は軍港があり、それで、原爆を投下されたのである。


今、書店のある町をターゲットにして、魔族の侵攻が行われている。書斎は、ラジオが言っているように、少し嫌がられ、書店員たちは勝手に盛り上がっている。


平成は、事実上、魔族への無条件降伏、パソコンの通信を大幅に受け入れる時代であり、インターネットは、アメリカの軍事技術の転用である。


事実上が、事実に変わったのが、今回の2016.夏からの「魔法社会」の現実化であり、文字通り世間の人達が魔法を使い出したのであった。


現実化であって、現実ではないと辛うじて言えるのは、日本が残った文化的な力を全て、小説に投入し、主として、90年代位から作家の新人育成に力を入れ始めていたからであって、講して、辛うじて魔族迎撃体制は不十分ながら動き出すことになる。


本は対魔族の銃として、人々の魔族によって掛けられた魔族の構造転換からの意識の解放の十字架、守護体となるはずである。


書店員さん達の士気は高いが、それは、本が、銃が、価値を相対的に挙げているからであり、本人達の教養力自体が、教養の真価を発揮しているわけでは決してなく、月矢としては、信頼出来ない。少なくとも、衣木書店は信頼出来ない。教養とは、「霊山」の「高行健」をいちいち中国語に「ガオ・シン・ヂェン」と発音し直して、月矢に伝えることではない。


他の書店はどうか?熊本市内の書店は大概大丈夫みたいである。


教養の真価とは、その人が個人的であるにせよ、集団的にであるにせよ、危機に陥った時にその人の読書に応じた力を教養が助ける力の事を言う。


魔族側は主として、月矢の視角視野におけるイメージによる操作、携帯の操作ボタンに介入をかけ手元を狂わせる方法を妨害行為として取り、小説の完成を遅延させんとする。


時に、令和二年の初冬であり、月矢は、「CLIMAX LOVE」を聴いている。


明日も、小説を書くだろう。影は月矢にそう語りかける。


月矢は、拒絶しつつも、煙草を吸う。

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