お前のことが好きだから
「ヤブさん、たまんないっスね。この暑さ。」
と言うと、ギンギンに冷えたミネラルウォーター入りペットボトルをオレに渡してきた。
「有難う・・・、悪いなノブ。」
「いや、いつも世話になってるんで、当然っすよ。」と、都心の工事現場の休憩場で、ニタっと笑いながらオレに話しかける男・・・身長は180㎝位の長身だが、金髪、ロン毛で見た目やたらチャラい奴。
名前は、久保信之、通称ノブ。今年三十路でバツイチの”兄ちゃん”だ。
オレは、オレの天使”レイレイ”に会うため、長年勤めた会社を辞めてベトナムまで行った。あの夢のような時が終わり帰国してから既に2か月が過ぎていた。今は8月、東京は連日30度を超える猛暑日が続いている。
帰国後のオレは、何というか・・・全てが”殻”になって仕舞い、半月ほど家で”引きこもり”状態を続けていた。
一応オレ自身のことだが、オレの両親は二人とも既に他界している。兄弟は弟が一人いるが、弟の嫁とオレが折り合いが悪く、後で亡くなったお袋の葬式以来、弟夫婦とは殆ど付き合いがない。
確かに、オレは閑職ダメ社員だったが、勤続30年以上の”一流商社マン”ではあった。
20代から結婚を含め”未来予想図”は無かったが、将来誰にも迷惑を掛けたくないという思いがあったため、2LDKのマンションを入社3年目を購入し、ローンを数年前に終わらせている。
また、只の”アイドルオタク”だけではなく、他の趣味として大型バイクでツーリングも長年やっている。
なので、元会社の同僚や近隣の人々からは、”独身貴族”として見られていた?だろうと勝手に思っている。
しかし、帰国後のオレは、コンビニで食料品を買う以外何処にも行かず、唯々、ネットで”レイレイ”の過去の動画を見ることしかしていなかった。なので、周りの人々から、後ろ指を刺されているような気がして仕方なかった。
そんな悶々とした日々の中、ある時、”レイレイ”の動画サイトから違うサイトに切り替える際、偶々、出てきたバイト募集の広告が目に入った。
”急募!建設現場警備員”
「やってみるか・・・。」
配属先は、山手線のとある駅に近い場所だった。建設中の40階建て高層マンションで作業車の出入りを警備する仕事だ。日給制だが、一人暮らしの”老人に近い男”にとっては、取り敢えず、食べてはいける額だ。まあ、オレの場合、商社時代からの適当な貯蓄と退職金もある。なので、趣味を細々楽しめるぐらいのバイトで丁度良いと考えていた。
バイトを始めて1か月が超えた。過去の自分を一度忘れたく、現場が休みの土日以外、毎日シフトを入れ仕事に没頭するようにした。建設現場の警備員の仕事はペアを組まされる。その為、オレが過去に出会ったことがないような”ツワモノ達”と組むことが多く、オレ的には商社時代より楽しいものとなっていた。そんな中、一番ペアを組む回数が多く、尚且つ妙に話が合ったのこの”ノブ”である。
”ノブ”は本人曰く、埼玉北部の出身で、高校時代は”立派な不良”だったそうだ。夜な夜なバイクで県道を仲間達と“ツーリング”を行い、警察の皆さんにかなりお世話になったそうだ。それでも、何とか高校を卒業し、何故か池袋にある小さな広告代理店に就職し、営業をしていたという。
「なんて言うすかねえ。偶々なんすよ。偶々、高3の終わりにブクロ行ったら、目の前にあったビルの上の方の階の窓に、”???募集中”って書いてあったんすよ。オレ、あんま漢字分からなかったんで、でも、もうすぐ高校卒業するし、まあ、ずっと仲間と”ツーリング”やってるのもマズいし、”???”は分からなかったんすけど”募集中”だけで、その事務所に行ったんすよ。そしたら、なんかそこの社長と話が合って、そんでそこに就職したんすよ。」
因みにだが、”ノブ”が読めなかった”???”は、後に”事務員”だったことを本人は知る。オレは逆に”募集中”だけで、求人募集をしていることが分かった”ノブ”を尊敬した。しかし、流石にいざ仕事を始めると、当時、ほぼ事務能力ゼロの”ノブ”では太刀打ちできないものだった。当然だと思ったが。そこで、会社は”ノブ”を営業に配置転換させた。それが”ノブ”にはハマった。
”ノブ”は、”元不良”のイメージとは違い、人懐っこい性格で年齢に関係なく人との接し方が非常に上手い。話も面白く、周りの雰囲気を明るくする才能がある。それが生き、営業マンとなった”ノブ”は、会社一の稼ぎ頭となったそうだ。
そして、入社3年の時、”ノブ”に転機が訪れる。
「その当時、付き合いがあったタレント事務所のマネージャーから声掛けられたすよ。新しい事務所を立ち上げるから、一緒にやらないかってね。」
その声を掛けてきたマネージャーは、所属していた事務所を辞め、3人のグラビアアイドルを連れて独立することになっていたそうだ。”ノブ”は、色々な意味?で興味を持ったそうで2つ返事で、後のタレント事務所社長となる、このマネージャーの話に乗り転職をした。
「最初は、『いい女と毎日仕事が出来るぜ!』って感じでだったんですけど、始めたら、とんでもなかったっすよ。何しろ、どいつもこいつ我が儘。そいつらのフォローするのに休みなんかなかったすよ。いや、現実は違ったすよ。」と、厳しい職場であったにもかかわらず、7年間タレントマネージャーを勤め上げた。
ただ、「辞めた理由・・・。ああ、クビっすよ。事務所のグラドルと出来ちゃって。ええ、子供す。」
その出来たグラドルの名前は、”初田あすか(はつたあすか)”。正統派アイドル好きのオレだが、この名前は知っていた。一流とは言えなかったが、5年位前、良く雑誌の表紙を飾っていたグラドルだ。
オレの記憶では、確か2-3年前に、彼女の結婚引退みたいな小さな記事をスポーツ紙で知ったと思う。
「当然なんすけど結婚したんすよ。」
「”初田あすか”だよな?」と、その嫁が有名人だったので一応”ノブ”に確認した。
「そっすよ。でも、商品に手出したんで、オレ、事務所クビじゃないですか。なんで、結婚したと同時に無職っすよ。てか、”あすか”も、妊娠したことが契約違反で2人で無職になったすよ。まあ、”あすか”は他の事務所から『何れママドルで雇うよ。』って言われててね。子供が出来たら生活が楽になれるかなんて簡単に思ってったすよ。」
そう簡単に考えた”ノブ”と”あすか”は、取り敢えず”繋ぎの仕事”として、そこそこイケメンの”ノブ”は、新宿歌舞伎町でホストを、”あすか”は、身体に負担が無い程度、コンビニでバイトを始めたそうだ。因みに”あすか”がコンビニバイト時代、一度も”元グラドル・初田あすか”としてバレたことはなかった。
「女の子が生まれたんですよ。”玲奈”って言うんですけどね。」、”ノブ”がいつものチャラい喋り方を止め、少し真面目に語りだした。
「その時”あすか”も”オレ”も、もう芸能界なっていいやって思っていたんですよ。オレがリーマンやればいいやって本気で思ってたんですよ。」、”ノブ”は下を向いて話を続けた。
「でも、そこから半年後、”あすか”と娘はウチから出て行きましたよ。離婚届を置いて。」と言い、涙を貯めていた。
娘”玲奈”が生まれた後、お互いの家事を負担し合うため、ホストをやっていた”ノブ”は、起床する昼頃から、”玲奈”の面倒を見て、その間、”あすか”がバイトに行く生活を始めたそうだ。しかしこれが、この夫婦の”崩壊”に繋がることになった。
「”あすか”がグラビア時代にやっていたCMがあるんですが、そこのスポンサーのオヤジと、”あすか”が出来ちゃったんですよ。」
「はあ?」と、急に変わる人間関係にオレは戸惑った。
「元々、“あすか”の大ファンだったんです、そのオッサン。50代でも若く見えイケメン、自動車の装飾品メーカーの社長ですよ。ああ、バツイチでしたけど。」
その”バツイチのオッサン”は、社長なだけあって資産数百億円のセレブだ。元々、SNSで”あすか”と繋がりがあり、最初はファンとして久しぶりに会いたいと”あすか”に言ってきた。そこから、日々の暮らしを赤裸々に”あすか”が語ったようで、その後、”あすか”の相談に乗るようになった。そして、”玲奈”共々、セレブに引き取られるように”ノブ”の元から2人は去ったそうだ。
”ノブ”は、自分の力の無さと”玲奈”の将来を考え、離婚届に判を押した。そして、一人になった”ノブ”は、ホストを辞め、取り敢えずネットで見つけたこの”警備員”の仕事を始めたそうだ。
「オレはなあ、もう40年以上にもなる筋金入りの”アイドルオタク”だ。ファンがな、アイドルの私生活をぶっ壊すなんて最低だ!”ノブ”何でもっと強くでなかったんだよ!そのクソオヤジ、オレんとこに連れてこい!」
「”ヤブさん”、有難いっすけど・・・。アイドルの方は幸せみたいなんで。それに、もう終わった話ですから・・・。もういいっすよ。」と、”ノブ”は小さく笑った。
夕方5時半、仕事を終えたオレと”ノブ”は、工事現場に近い”立ち飲み屋”でくそ暑い中、焼き鳥の煙を火ぶりながら、オレが生ビール、”ノブ”がハイボールをガンガン飲みながら、オレは怒りぶつけ、”ノブ”はオレをなだめていた。
良く考えてみれば、オレと”ノブ”は親子ほど年齢差がある。実際に”ノブ”の親父はオレより年下だそうだ。しかし、大きな意味で生きて来た共通点がある。バイク、アイドル、そして独身。オレは人生に於いて、”身近な友人”と言うものを持ったことが無い。が、この”ノブ”には、初めての”身近な友人”を感じだしていた。
「そう言えば”ヤブさん”、クワトロ・セゾンのオタっすよね。」
「そうだよ。」
「あそこの劇場支配人って野口ですよね。」
「ああ、あの太った、ぼーっとした奴な。」
「アイツ、オレが高校時代の舎弟っすよ。」
「ふーん。えっ!」
オレは、ビールジョッキーをひっくり返しそうになった。
「本当か?」
「なんすよ。高校の後輩で、オレと一緒にツーリングもやってた奴っすよ。本当は弱虫っすけど身体がデカいんで、ツーリングの時は使い勝手がいい奴でしたよ。でもオレ知らなかったんすよ。タレントマネージャーになるまで、奴がクワトロ・セゾンのスタッフやってたってこと。」
”ノブ”と”劇場支配人・野口”との再会は、”ノブ”がいた事務所に”浜中優美”と言う、グラビアを兼任するバラドルがいた。一時”ノブ”が彼女の担当マネージャーだった時のこと、池袋での撮影があった際、休憩時に「近くだから、QS劇場に行ってもいい?」と”ノブ”に聞いたそうだ。その時の休憩時間は1時間、まあ、行って帰って来るだけなら全く問題ないのだが、この”浜中優美”と言う子、時間にルーズな子だった。しかも、「友達なったメンバーに会いたい!」と言い出した。”ノブ”が「終わってからにしようよ。」と言ったのだが、相手のスケジュールの都合で今しかないと、駄々こねられた。
「こうなると、タレントって仕事を拒否する奴もいるんすよ。それは拙いんで、”オレ”が同行して、時間通りに動くことを条件に行ったんです。」
因みに、”浜中優美”が会いたかったクワトロ・セゾンのメンバーは、4期生の”田辺梨々花。この1か月ぐらい前に、バラエティー番組で2人が共演し仲良くなったそうだ。話は外れるが、この”田辺梨々花”は、、オタ情報で我天使、レイレイこと”副島麗香様”の天敵と言われる奴だ。何しろ、”レイレイ”の後輩で同じチームありながら、”レイレイ”の言うこと一切聞かなかったと言われている。既に卒業し女優業をやっているが、”オレ”は、”田辺梨々花”が出てくる番組は一切見ないことにしている。
「QS劇場に着くと、なんか態度も身体も太ってデカく、しかも、ぶ厚いレンズの眼鏡を掛けた嫌なタイプの男が出てくるんですよ。で、全く愛想なんかなくて。んで、名刺出したら、『先輩・・・?久保先輩っすよね、お久しぶりです!』と、急に言ってきた分かったんすよ。」
その後、”田辺梨々花”が出てきたところで、”ノブ”は”野口”に向かって、「いいか、優美を30分後に向かえ側にあるスタバに連れてこい。絶対だぞ!遅れたら分かっているな!」と脅し、”野口”は当然のことして「勿論っス。先輩!」と対応したそうだ。
「まあ、それからQS絡みには、色々顔が利くようになったすよ。へへ。あ、”ヤブさん”のQSの押しって誰でしたっけ?」
「”レイレイ”、分かるか?」
「卒業した、副島麗香でしょ。」
「違う!卒業していない。ベトナムのQSVに”派遣”されているんだ!」
「あっ、すんません。でも、”ヤブさん”・・・。”ヤブさん”に言うのは何だけど・・・。彼女は・・・。」
「もういいよ。何言うか分かってるよ!今日は帰るわ!」
と、オレは自分の飲み代を置いて店を出ようとした。
「チョット、”ヤブさん”!本当、すんません!」
「いいよ。怒ってない。それよりもう帰ろうや。明日も暑い中、お互い警備をしなきゃいけないんだから。」と、オレは笑いながら”ノブ”に言った。
「そうっすね。」と、”ノブ”は返してきた。
そんな”ノブ”との付き合いが続く中、休日のとある土曜日、オレは久しぶりに家にあるPCを開き、メールを確認してみた。”警備員”を始めてからPCを開けることが無かったため、メールは1か月以上溜まっていたが、殆どがジャンクメールである。そんな中、その週の月曜日、つまり5日前に来たメールに目が留まった。
タイトルが、「矢吹、元気か?」となっており、送り主はベトナムに住む商社時代の同期”北島”からだった。
「矢吹、もう1か月以上前の話だが、ベトナムに来てくれてありがとうな。帰国してから何しているだよ? オレの方だけど、お前のお陰で人間関係が広がったよ。メグの妹のモチ、それだけではなくQSVの連中と繋がりが結構できて、仕事も一緒にやるようになったよ(笑)。
お前の”推し”レイレイさんも元気だ。そうそれで、彼女なんだけど近々、日本に一時帰国するそうだ。お前に”オレンジ”って伝えてくれって言ってた。オレは何だか分からないけど。まあ、やることなくて金があったらまたホーチミンに遊びに来いよ。じゃあな。」
「北島、何やってんだよ。オレの推しに馴れ馴れしくすんな!」と心で怒っていた。
その後、この文章を暫く見ていた。
「”レイレイ”がオレに”オレンジ”???・・・。」
最初、全く何のことか分からなかった。また、大したメッセージだとも思っていなかった。
その後、何となくカレンダーを見た。
「オレンジ???」「オレンジ・・・」
「ちょっと待て。今日は?」と、今日の日付をカレンダーで確認した!
その直後、オレは一人なのに大声で叫んだ。
「なんだ、今日じゃないか!」
速攻で、スマホに手を伸ばし電話をする。
「”ノブ”か?休みに悪い。今日この後、暇か?頼む!オレを助けると思って、オレに時間をくれ!」
兎に角、オレは焦っていた。