恋するジョッキービール
「じゃんけん?」
「そう、じゃんけんで決めようとしたのよ。」
オレにとっての天使である”レイレイ”と、”サシ”で飲んでいるこの状況を今日の今日までオレは想像することするらできなかった。しかも、想像を超える”下世話な暴露トーク”と、ベトナム・ホーチミンの独特な気候にオレはもう我を忘れていた。聞きたいことはまだまだある。そして、この飲み屋のオーナー”亜香里さん”から承諾を貰いある程度”時間制限なし”で、今夜は”レイレイ”の話を聞ける。オレは焦りを感じていたが、”レイレイ”はマイペースに話を続けていた。
「大体さ。クワトロ・セゾンの運営って、ことが揉めると最後は人気のない子に面倒なことやらせるのよ。ここに来るのもそう。”カスミン”が断った上、勝手に卒業を発表したら、私を含めて前の年の総選挙でランク外だった10人集めて”じゃんけん”でホーチミン行きを決めるって言いだすのよ。」と、”レイレイ”は手を机に向かってバンバン叩き話を続けた。
「そりゃあ、皆たまったもんじゃないな。」と、オレは合いの手を入れた。ただ、”レイレイ”は完全にオレを無視して話を続ける。
「じゃんけん、やるにはやったけど、負けた子が泣いて嫌がるのよ。でさ、4、5回やって、結局、負ける子全員が『行きたくない!』ってなるのね。」
まあ、それが普通だろ。それまで、このグループは”ベトナム公演”するらしたことがなかったんだから、誰一人、”ベトナム”のグループなんて考えてもいなかったはずだ。
「そうなると、何となく周りにいる人達が私に視線を送ってくるのよ。分かる?でさ最後は運営の偉い人が『麗香は、この先どんな目標を持ってクワトロ・セゾンでパフォーマンスするつもりなんだ?』って言ってくるのよ。まあね、メンバー歴9年、そして大学卒業したばかりの23歳の私だからね。聞かれても当たり前な質問だったし、何といってもさ、運営からすると不人気な私をクワトロ・セゾンから卒業させる、最大のチャンスって感じになってくるわけよ。」
だろう、どう考えても他9名の”総選挙ランク外”メンバーは、”レイレイ”よりも若く、未だ先がある子達だったと思う。我々、”レイレイオタ”は、もう何年前からこのようなリストラが想像でき恐れていた。
ただ、この会話で何となく感じたのだが、”レイレイ”は、このベトナム行きの話が出るまで、自分はクワトロ・セゾンでは安泰で、ずっといられる位の思いがあったみたいだ。根は鈍感なのかもしれない。
結果的に”レイレイ”は自分から、ベトナムQSV入りを志願した・・・いや、そう自然になってしまったのだ。
そして、”レイレイ”が、渡越するまでの数か月間にベトナムQSV側は、第1期メンバーのオーデション、及びレッスンルームや劇場設置等の準備が進められていた・・・と、”レイレイ”が日本を出国するまでそう聞かされていたそうだ。そして、第1期メンバーが決まり、仮ではあるがレッスンルームと劇場の用意ができたとのことを受け、”レイレイ”は第2のアイドル人生を掛け、ベトナム・ホーチミンへ旅立ったのだ。
そう、ここからがQSVと”レイレイ”との闇となっている部分で、オレがベトナムに来て一番知りたい情報なのだ。”レイレイ”は相変わらず、氷の入ったジョッキーからビールをガンガン飲んでいる。推しメンだが、これだけの“呑み助”だとは思わなかった。しかし、飲めば飲んでいるほど余り酔っているようには見えなくなり、”レイレイ”はこの後の話も淡々と話し続けているように見えた。
「初めてホーチミンに着いて、そのままQSVの運営の人に連れられて、”あの劇場ビル”に行ったのよ。まあね、ビルが古いのは‟仮”だから、そんなもんかなって思ったんだ。で、ビルの2階がさ、ワンフロア間仕切り無しで、事務所兼レッスンルームになっているのね。で、そこに私を含めたQSV1期生全24人の額縁顔写真が貼ってあったの。」
”あの劇場ビル”ってことは、”あの廃墟”ってことかとオレは思ったが、
「へえ、ちゃんと用意されてたんだ。良かったじゃない。」とオレが言うと、”レイレイ”の顔色が急に変わり、また、ジョッキーでビールを少し飲む。
「”夢”があったのはそこまで。そこからがもう・・・。」と、”レイレイ”は言うと視線を落としながら、またビールを一口。そして、
「その日の夕方、私にとってベトナムでの初のダンスレッスンがあったの。そこで、メンバー全員と初顔合わせすることになったんだけどね。それが酷いことになって。」
「何があったの。」と、取り敢えずオレは突っ込む。
「先ず、QSVの運営って今もそうなんだけど・・・。3人しかいないのよ。1人は日本のQSから派遣された吉田さん、後の2人はこちらの人なの。で、その時、ダンスの先生が来たんだけど、これがとてもプロとは思えないような人で・・・。後で聞いたら、どこかのショーでベトナム舞踊を踊っている人だったらしいんだけど。」
「それは酷い。メンバーを馬鹿にしているよ。」
「でしょ。でも半分ぐらいのメンバーは、そんないい加減な”ダンス”でも楽しんじゃっててさ。完全なお遊戯状態になっちゃてたのよ。それで、私が怒ったの『こんなのQSじゃない!何やってんの!』ってね。」
「当然だろ。”レイレイ”のダンススキルが許すわけないよな。」と、オレも憤りを感じた。
「でもね。運営の吉田さんがさ、『”レイレイ”、俺達もやっとの思いでこの先生を見つけたんだ。ここはさ。上手く穏便にやってよ。』って言われたんだけど、もうカチンときて。」
それはそうだろう、日本のクワトロ・セゾンで”レイレイ”は、”不人気メンバー”だったが、ダンスについては右に出るメンバーは今でもいない。その”優秀”である”レイレイ”様に対して、関係ない民族舞踊の踊り手が教示するなんて、一体ここの運営は何を考えているんだとオレは思い、
「その吉田って人は、日本で何やってた人なの?オレ、10年クワトロ・セゾンを知っているけど、”吉田”っていう運営の人は聞いたことないけど。」
「吉田さんは、元々、QSの経理よ。」
「は~あ?」と、オレは言葉にならない反応をした。”レイレイ”は続ける。
「吉田さんって、QSの経理でも目立たない人でさ。私もここに来るまで、顔を1度か2度見た程度のひとなの。」
”レイレイ”が1,2度しか日本で見たことない奴なんて、オレが分かる訳がない。と、なると当然オレの質問はこうなる。
「なんで、その”吉田”って人がここに来ることになったの?」
「ベトナム語が少し話せたからよ。」
「それだけの理由?」
「そう。来たい人なんて誰もいなかったのよ。で、たまたま、大学時代に短期でハノイに留学したことがある、経理の吉田さんに無理矢理やらせたってことよ。」
酷い。酷すぎる。クワトロ・セゾンという日本の国民的アイドルグループの運営が、”国際的プロジェクト”を余りに雑なプロセスで行っていることを、これでも端くれだったが”元一流商社マン”のオレには許せない話だ。と、このことを語りだしたら、”レイレイ”の本筋話から外れるので、オレは取り敢えず、この話は止めにした。
「で、”レイレイ”。結局ダンスは誰が教えたの?」
「そんなの私しかいないでしょ。何しろ、”経理の吉田”が『金がないから、これ以上の人なんて雇えない!』言うんだから。」
何となく感じてはいたが、やはりそういうことか。
「でね。教えだしたら、案の定、半分位のメンバーがついてこれないだなあ、これが。」
「えっ、だってオーデションしてたんでしょ?何かで見たよ、2,000人位応募があったって。」
「オーデション?あ、あんなのデタラメ。プレス用だけだから。」
「はい?今なんて?」
「だから、デタラメだって。報道用の話よ。」
「じゃあ、どうやって見つけたんだよ。この23人は?」
「ベトナム人スタッフの”ダン”さんが、元々こっちの芸能事務所の人で、彼がホーチミン中の芸能、モデル、ダンサーの養成所を片っ端から回ってさ。で、芽の出ていない10代の子達に誰彼構わず、『ホーチミンに今度、日本のコスプレ・グループが出来るから入らいない?儲かるよ。』って言って引っ張て来たのよ。だから、QSの真っ当なダンスを私が教えてたら、1週間で半分辞めたのよ!」
なんて話だ。こうなると、悲劇を越して喜劇にも思えてくる。ただオレは、
「でも、”レイレイ”。日本ではまだQSVの1期生が辞めたなんて話は出てないよ。」
「それはね。”活動休止中”にしていて、”卒業”ではないからなの。そういうふうにさ、面子だけを考える”経理の吉田”がしているの。それがさ、1年経って、今”活動休止メンバー”何人いると思う?」
「いや、いくらなんでも、半分は残っているじゃない?」
「17人よ!17人!だから、活動しているメンバーは、私を含めて7人!」
もう、呆れてものが言えない。
これが、オレの10年来の”推しメン”、副島麗香がいるグループなのか?
いい歳をして涙が出てきた。親が死んだときにも出なかった涙だ。
「”レイレイ”、よくやっているよ。偉い!」と、唯々、彼女を褒めるしかなかった。
色々、”レイレイ”に聞いて行くと、この1年の彼女は、オレの”アイドル像”をすべて崩壊する生き方をしていた。”劇場ビル移転”も去年のうちは運営からも前向きな話はあったそうだ。なので、多少フェイクは仕方ないと”レイレイ”も思い、メンバーの大量離脱があっても、劇場も名ばかりの小さなステージであっても、ハリボテ化させ、特に日本マスコミには”綺麗ごとの嘘”を並べた。
”経理の吉田”にも、相当愚痴は言ってるそうだが、「そのうち」とか、「いつか必ず」とか言われる。強く言い返すと彼は”レイレイ”に向かって「そんなこと言うだったら、お前がベトナム中営業して来い!」って言われたそうだ。
「まあ、そんなんだけど。取り敢えず、この国でお仕事出来ているし、亜香里さんも一杯サポートしてくれるし、ベトナムは大好きよ。だから、やれるところまでは、やってみたいの。」
「流石、前向き!」と、思わずオレは拍手をしてしまった。
そして、”レイレイ”はジョッキーから最後の一口のビールをすっと飲み。オレに質問してきた。
「いつ帰るの?」
「予定では5日位考えてたけど。色々、”レイレイ”のことが分かったんで、早く帰ろうかと思っているよ。」
「明日は、18時から”アクアモール”でミニコンサートだよ。無料だから暇だったら、宜しく!」
と、”レイレイ”はオレに言った後、亜香里さんに向かって、
「今日の飲み代は、ヤブさんが払ってくれまーす!!では、バイ!」
と、言い残し、帰ってしまった。
「すみません、色々聞いて頂いて。あの、お代はいいですよ。」と、亜香里さん。
「とんでもない。当然、払いますよ。」
翌日、オレは北島が案内してくれる予定だった”ホーチミン市内観光”を丁重に断り、代わりに夕方からあるQSVミニコンサートのあるアクアモールに連れ行って貰った。そこで、メンバーのモチの姉で、北島の秘書であるメグに会うことが出来た。
メグはオレに「覚えてますか?」と聞いてきた。
彼女は研修で日本本社に数年前来ていたそうだ。その時、北島の同期と言うことでオレに挨拶し、話をしていたらしい・・・。オレは完全に忘れていた。
ミニコンサートでの”レイレイ”は、やはり、アイドルだった。”レイレイ”からダンスを教わったモチの切れも良かった。
そしてその翌日、つまり、ホーチミンに着いて3日目、オレは帰国するためホーチミン国際空港の出発ロビーにいた。
「本当にいいのか。これで帰って。」と、送ってくれた北島が言った。
「この3日間で、オレのアイドル追求は9割以上終わったんだ。これ以上いたら、アイドルがアイドルでなくなるからな。」と、オレは笑いながら答えた。
北島は、理解出来なそうな顔で、苦笑いをしていた。
「また、来るよ!」
「分かった、またな!」
オレにとって、会社まで捨ててやってきた”アイドル追求の旅”も、このホーチミンの蒸し暑さの記憶とともに終わった・・・ような気がした。
でもこの後、”アイドル追求”ではなく、”アイドルとの共生”を生きがいにして行くことになるオレに、オレ自身がこの時未だ気づいていなく、虚しい心を持って東京に向かう機上の人となった。