ユウナギオンザロード 5
「あ……」
かつて失った希望が、
よみがえった奇跡が、
たった今、目の前で消え失せた。
「夕凪っ!」
切符の投入口に手をかけて、勢いそのまま外に出ようと前屈みになったら、
「だめっ!」
と、腰をさぎりに抑えられた。
「だめよ! アンタまで砂になっちゃう!」
「俺はまた、アイツを……っ!」
必死にさぎりを振りほどこうとするのだが、力が強くうまくいかない。
「だめだって! 昔のも、さっきのも、アンタのせいなんかじゃない!」
「離してくれ! 夕凪を……」
「いや! ここで離したら、私が一人になっちゃう!」
押し倒される。
両サイドが改札に挟まれた狭い空間で、地面に仰向けに横たわる俺をさぎりは震えながら押さえつけた。
「一人はいやっ……」
華奢な手のひらに、柔らかな感触が胸に広がる。ふわりとシャンプーの香りが弾けた。
「離してくれ……夕凪だって一人なんだ……」
夕凪はいつだって友達だった。死ぬ前も、死んでからも。
思えばアイツは俺を助けるためにわざわざ現れたんじゃないだろうか。
アイツが来なければ俺はあの夏の日に死んでいた。
夕凪が天使になったなんて思えないが、少なくとも、俺を助けるために来てくれたのは確かだ。
でも、今のは意味不明だ。
俺を助けるどころか、手をさしのべる前に消えやがった。
「ちきしょう……」
もしかしたら仮にこの改札の外に出ること、砂になることが、脱出方法の一つなのだろうか。
でも、それを試すのはリスクが高すぎる。
夕凪は何て言った。
「心の軛を壊す……」
軛とはなんだ?
「ごめんなさい……」
泣きながらさぎりは俺を押さえつけている。
軛とは、港さぎりのことか?
さぎりを壊せば、現実世界に帰れるのか?
俺も男だ。ひ弱な少女の筋力で押さえつけられるほど柔じゃない。無理やり上体を起き上がらせる。
いや違う。
壊すんだ。
殺すじゃない。
何かを壊すなら、誰かと一緒のほうがいい。
「それなら一緒に外に出よう」
軛とは一体なにか、ずっと考えていた。
家畜の首につけて、牛車などを引かせるために用いるもの。自由を束縛するものだ。
ユウナのことだ。比喩表現なんて使えない、だから、
「おおおおっ! 」
立ち上がって、やたらめったら改札を蹴り続けた。
「ちょ、ちょっと、越井……!」
「うりゃぁぁぁ、ぶっ潰れろやぁ!」
「な、なにしてんのよ、アンタ!」
「ぶっ壊すんだよ! 糞みたいな常識を!」
「そ、そんなことしたら鉄道会社の人に怒られちゃうでしょ!」
「関係ねぇだろ!」
怒鳴る。ちょっと運動して頭に血が上っていた。
「俺らを縛り付ける境界線さえ無くなれば、きっと自由になれるはずなんだよ!」
渾身の蹴りが炸裂。自動改札機に大ダメージ。爆発する心配はない。電気系統はショートしているようだから。
「自由……」
右足ばっかで蹴りまくってたらだんだんと足が疲れてきた。さすがに生身じゃ限界がある。なにか道具がないと、壊すには至れない。
そんな風に悩んでいたら、俺の頬を掠めてシャベルのどぎつい一撃が改札機に振り下ろされた。ガギン、と金属がぶつかる音がして、火花が散る。
「私も、自由に……」
さぎりだった。
港さぎりがどこからか見つけてきたシャベルを再び振りかざした。
それから数分、原型がわからなくなるくらい自動改札機をぼこぼこにした。熱気がこもる駅構内、ただでさえ暑いので、動き回ったら、俺もさぎりも汗が滝のように流れていた。
よく分からない部品や鉄の破片が地面に転がる。ただひたすらに気持ちよく、破壊衝動を何かにぶつけるのは快感だと知った。
ストレスが晴れるような気がした。
一通り終わって、俺たちはお互いに笑いあった。晴れやかな気持ちだった。
そこから先はよく覚えていない。あれほど恐れていた境界線がなくなったような心持ちになり、俺とさぎりはいたって自然の動作で改札の向こうへ歩みを進めた。
砂になったのか。それはわからない。ただ視界は一気に白くなり、なにも見えなくなった。
光に包まれたのだけは覚えている。