ユウナギオンザロード 4
正直気乗りしなかったが、見て見ぬふりをするのも寝覚めが悪いので、階段を二段飛ばしで駆け上がると、改札機の前にへたりこむさぎりを見つけた。尻餅をついて震えている。
「どうした!?」
声をかけるとすがるような目付きで、右手を俺にさしだした。おかしい、と気づいた。右手首より先がないのだ。
「手ぇ、あたしの、手がぁ」
「お、落ち着け、なにがあったんだ」
「改札を抜けようとしたら、手がぁ」
鞄からハンカチを取り出し、止血のため、彼女の手首に巻こうとしたが、なにやら様子がおかしい。
血は一切出ていない。手首より先は輪切りが如く、断面図のようになっていた。綺麗なピンクの肉と白い骨がきちんと見えている。
「い、痛くないのぉ、なんでぇ」
「ど、どういうことだ」
「わ、わからない、私はただ、改札から出ようとしただけ……」
灰色の改札機に視線をあげる。ピンポーンと小さな音がした。視覚障害者用の案内だ。
立ち上がり、財布にいれた電子端末をタッチした。
反応はない。
過不足が液晶に表示されることもなければ、ゲートが開くことも無かった。そもそもにして、電車に乗る前にチャージしたので、残高不足はあり得ないだろう。
「駅員さんを呼んでも誰も出てこないから……無理矢理、出ようとしたの。そしたら伸ばした手が、砂に」
さぎりは残った左手で改札機の向こうの地面を指差した。
盛り塩のような黄色い砂が落ちていた。
近くで確かめようと腰を曲げた時、嫌な予感がした。
念のため鞄から筆箱を取り出し、消ゴムをちぎって改札の向こう側に放り投げてみた。
放物線を描いて改札機のストッパー部を越えた瞬間、消しゴムは黄砂のように風に流れた。
「これは」
怪奇現象だ。
閉じ込められたということだろうか。外の景色は何変わりないのに、少しでも外側に出ようとすると砂に変わる。ここはまるで鳥かごだ。
青空の下、自由を奪われている。
おかしな空間に来るのは、これで二度目だ。
「夕凪!」
元凶とおぼしき少女の名を呼ぶ。
返事は無かった。夕凪と別れたホームに戻ろうと、踵を返すと、Tシャツの裾をつままれた。
「い、行かないで……!」
さぎりは涙目だ。
さすがに自身の右手を失ったのは堪えたのだろう。彼女の不安は察するに余りある。
「落ち着けよ、たぶん夕凪に聞けばなんとかなるから、少しここで待っててくれ」
「い、いやっ、待って!」
へたりこんだままだったさぎりは立ち上がり、正面から俺を見た。
「ど、どうせ、アンタが私を巻き込んだんでしょ?」
と震える唇で訊いてきた。
「そんな能力俺にはねぇよ」
会話をしているうちに落ち着いて来たのか、気丈さを取り戻したさぎりは浅く息を吐いてなら続けた。
「朝比奈夕凪に関してもそうよ。あの子は本当に死んだはずの女の子なの?」
「……たぶん、それは間違いないと思う」
「ねぇ、それじゃあ、もしかして、ここが死者の国ってこと?」
「そんなまさか」
辺りを見渡す。
急行も止まらない寂れた駅の改札口だ。一ヶ月前の花火大会のポスターにロータリーにはコンビニすら無い。
一度も降りたことがないので確かなことは言えないが、現実感は有り余っていた。
「私たち以外に人がいない。死んだはずの女の子がいる。改札から出ると砂に砂になる……」
呟きながら、さぎりは失った右手を見つめた。
ドラマの中の探偵のように眉間に皺寄せて考えているようだ。
超常現象にぶち当たった時、俺は思考放棄することにしているが、頭がいい彼女はキチンと考察し、原因と対策を講じることに全力をかける。
凡人の違いはソコだ。
劣等感をひそかに感じていると、
「どぉん!」
衝撃が叫び声とともに襲いかかってきた。
「うおっ!」
前のめりになって、倒れそうになったが、なんとかこらえて、踏ん張る。
「キヌゴシ、ひどいよ! ユウナのこと置いてくなんて!」
ぶぅぶぅ文句言いながら夕凪が俺を背中から抱き締める。
「あっぶ、あぶないから、離れろ!」
なんとか引き剥がし、不機嫌な表情を浮かべる少女を正面から見やる。
「ユウナは寂しいんだよ、ウサギは寂しいんと死んじゃうんだよ、ユウナはもう死んでるけど」
笑えないブラックジョークを自分で言ってケラケラと一人で笑っている。
「おい、ここから外に出るにはどうしたらいいんだ」
「なんでそんなことユウナに聞くの?」
「お前の仕業だろ、どうせ」
「心外だなぁ、迷惑事は全部ユウナのせい、みたいな言い方よくないですっ」
「じゃあ、この状況を作り出したのは誰だよ」
「作り出したのはユウナだけど」
「やっぱお前のせいじゃねぇか」
不貞腐れたようにおちょぼ口になるユウナ。
「異世界に行く前に現世の罪を清算しないといけないんだもん。悔い改めるってやつだよ」
「行かないから脱出方法だけ教えてくれ」
「脱出方法はユウナにもよくわからんのです」
「どういうことだよ」
「ここはアールピージーでいう自分自身を見つめ直すための空間なんだよ。主人公は己に打ち勝つことでパワーアップできるんだよ」
「……は?」
「つまりキヌゴシが自らの殻を破かない限り脱出なんて不可能なんだよ」
「なんで俺なんだよ」
「だってここはキヌゴシの心の中だから」
一陣の風が吹いた。生ぬるい夏の風だった。
さっきも言っていたが、こんなリアリティー溢れる駅を想像できるなら、一級建築士にでも目指そうか。
「……ちょっと」
不気味にニタニタ笑う夕凪を見かねてか、さぎりが声をかけた。
「仮にその話が本当だとして、なんで私まで閉じ込められないといけないのよ」
「さぎりちゃんはキヌゴシの仲間だからね」
「仲間?」
「仲間に助けてもらわないと生きていけない、ってルフィが言ってたよ」
「……えっと」
「キヌゴシがね、異世界転生したときにね、困ると思うから助けてほしいの」
「……ごめん、意味がわからない。それに私、こいつの味方になんかなれないし」
「あ、転生じゃなくて転移だった」
噛み合わない会話。助けを求めるようにさぎりは俺を見た。
「夕凪、どうすれば元の世界に帰れるかだけ教えてくれ」
「……この空間には傷付けるものは何もないのに、辛い現実に帰りたいの?」
「いや、さぎりがいる限りだいぶ精神的ダメージ負うから」
ポロっと本音を吐露したら「なによ!」と文句を言われた。
「どうしても出たいなら、心の軛を壊せばいいと思うけど、……さぎりちゃんが煩わしいなら、殺しちゃえばいいんじゃない?」
「は?」
ゾッとした。総毛立つ。
夕凪の瞳は無垢なままだ。
「だって、キヌゴシのことを傷つけて、助けてくれないなら、それは仲間じゃなくて敵だよ。敵は倒さなくちゃ」
「お前それ本気で言ってんのか?」
「本気だよ。マジと書いて本気と読むんだよ」
逆だ。
それはともかく少女の瞳に冗談の類いは見受けられなかった。
隣のさぎりが身震いしたのがわかった。
夕凪は蟻を潰す子供のような無邪気な笑みを浮かべた。
「ユウナはキヌゴシのことが好きだから、キヌゴシのことを嫌いな人はキライなの。だから、さぎりちゃんもキライ」
夕凪の考えが読めない。暗黒だ。夏のアスファルトの焼ける匂いが鼻孔を擽る。蝉時雨が悲鳴のようにこだました。
「お前、……ほんとに朝比奈夕凪か?」
「そだよ。なんでそんなこと聞くの?」
「俺の知ってる朝比奈夕凪は簡単に人を殺すとか、そんなことは絶対に言わない」
「ユウナだって成長するから」
他人を傷付けることは成長とはいわないはずだ。それに、
「他人を平気で傷付けるやつは、キライだ」
「……」
夕凪は少しだけ悲しそうな表情をすると、遠くを見るように眼を細めた。
「さぎりちゃんのことが大切なんだね」
「……」
「ユウナは喉が乾いたんて自販機でナタデココのやつ買ってきます」
「は?」
「改札の外で待ってるね!」
夕凪はそう言うとくるりと俺に背中を向けて走り出した。
「改札の外に出たら、砂に……!」
ぴょん、と勢いよく改札を乗り越える。
「砂になるのが怖いなら改札なんて無くしちゃえばいいじゃんかー。ユウナは怖くないからバビューン!」
「ゆうなっ」
にへへへ、と笑いながら、空中で夕凪は砂になった。
「ぎ……」
サラサラと地面に夕凪を構築していた砂の塊が落ちる。風に流されてやがて消えていく。