各駅停車のカルペディエム
次の日、悲しいことに平日だったので、学校に向かうことにした。
制服に着がえ、ご飯を食べて、ローファーを履く。一昨日まで引きこもりだったのに、体は違和感を感じることなくルーチンワークを淡々とこなす。味気ない砂を噛むような一日のはじまりだった。
いつもの通学路とは別のルートを通って、最寄り駅へ行くことにした。
交番前を通って、レンタルビデオ店の前を過ぎ、公園の脇を曲がれば、分譲住宅が建ち並ぶ一角にたどり着く。
朝露に濡れた街路樹がキラキラと輝いていた。
白を貴重とした分譲一戸建て。
娘の成長に合わせて庭の遊具は変わっていくはずだった。
「……」
十年前からは、ずっと小さな滑り台が置いてある、はずだ。
背伸びして塀に手をかけ、庭を見おろす。
雨ざらしの滑り台は無く、代わりに赤い屋根の犬小屋があった。
違和感を覚えた。
どうにもここは幼馴染の家ではなさそうだ、と表札を確認しようと首をもたげた時、
玄関のドアが開いて、ランドセルを背負った女の子が飛び出してきた。
後ろに結ったポニーテールが揺れる。
「いってきまーす!」
弾けるような笑顔でドアを閉めて、犬小屋に向かって「行ってくるね!」と手を大きくブンブンと振る。
門を挟んで、それをじっと見ていたら、少女とばっちり目が合った。
「あ……」
「……お、おはようございます」
「お、おはよう」
純粋無垢な瞳が一瞬にして、恐怖に滲んだ。
じりじりと摺り足で玄関まで後ずさると、彼女は一気にきびすを返して、ドアを開け自宅に逃げ込んだ。
「ママァー! へんな人がいるぅ!」
閉じかけたドアの隙間から少女の声が漏れる。
やべえ。不審者扱いされた!
慌てて駆け出す。郵便ポストをちらりと見ると『望月』と書かれていた。朝比奈家ではない。
今の子も初めて見る子だ。あんな子いたかな、と走りながら首を捻る。
空には白い月が浮かんでいて、
夕凪の痕跡を雨が洗い流したみたいにきれいさっぱり無くなっていた。
授業中、校庭をぼんやりと見下ろしながら、色々と考えてみたが、結論にたどり着くことはなかった。
隠世でのことも夢で、夕凪との思い出も虚実だとしたら、俺はなにを信じればいいのだろう。
晴渡る空は高く、どこか遠くに行きたいな、なんて目的地もないのにぼんやりと思ってしまった。
退屈な授業がチャイムと共に終了し、学生の不毛な一日が判を押したように過ぎていく。
ホームルームの連絡事項は、文化祭で行う『郷土史』の中間発表で、どの層の需要を感じて行うのか甚だ疑問だった。
放課後になって、エントランスのガラス扉を押し開けると、冷たい風が一気に全身を包み込んだ。
落ち葉は風にさらわれ、地面をカサカサと音を立てて移動し、側溝に落ちていく。
九月下旬に台風が通りすぎてから、気温は一気に落ち込んで、マフラー無しじゃ早朝と夕方は辛くなってきた。吐く息は微かに白く、これから本格的な冬が来るかと思うと憂鬱で堪らない。
葬列のような黒い制服の波に流されて、俺は改札を通り抜ける。
首を埋めながら、電車に乗ったら、学生の帰宅ラッシュに巻き込まれ、座ることが出来なくなった。
始発駅なので一本見逃せば、確実に座ることができるが、それよりも早く帰って寝たかった。
電車は暖房が稼働していた。マフラーをつけたままだと汗をかいてしまうので、外して鞄にしまう。受験のときに、さぎりに貰った思い出の品だ。
「もう冬か」
と口内だけで一人ごちる。
電車がカーブで揺れた。慌ててつり革をつかむ。バランスを取るのも大変だ。
前に座っている禿頭のサラリーマンに早く席を立つように念を送るが、願いが届くことは無かった。
車内アナウンスが次の到着駅を知らせたが、後ろの学生のばかでかい声にかき消されたので、背筋を伸ばして、ドアの上に備え付けられた電光掲示板を確認する。
オレンジの文字が流れて、俺に駅名を教えてくれた。
昨日さぎりと降りた駅だった。
まあ、ここにはもう用はないし、と、車窓を眺めていたら、やがてゆっくりと電車が止まった。
ホームの向こう側に広がる流線型の山は紅葉に彩られて綺麗だった。
開いたドアからふわりとキンモクセイが香る。人間を縫うように冷たい空気が車内に流れる。
人影が視線を過った。
「……」
向かいのホームに同い年くらいの女の子が立っていた。
「あ」
胸が高鳴る。血が巡り、体が熱くなる。思いが溢れて止まらなくなる。
秋の柔らかな日差しが少女の黒髪を優しく照らしている。
発車ベルが鳴り響く。
「降ります!」
半ば叫ぶように人混みを掻き分けて、慌てて俺は電車を降りる。
背後で音を立ててドアが閉まった。迷惑そうな乗客の視線と舌打ちを一緒くたにして、電車はゆっくりと発車していく。
見間違えるはずがない。
ありえないとわかっていても、望んでいた結末が網膜に写し出されている。
かつての面影。
呼吸が早い。落ち着かなくてはならない。
目の前の光景は俺が求めてやまないものだった。
向かいのホームに立つセーラー服の少女。俺と彼女以外に人はいない。だから気にせず大声が出せる。
「夕凪ぃ!」
少女がびくりと肩を震わせ顔をあげる。ふわりと秋風が彼女のスカートを浮き上がらせる。
高天原の時と同じだ。
同い年になった朝比奈夕凪の澄んだ瞳と目があった、瞬間だった。
まったくもってタイミングが悪いことに、向かいのホームを急行電車が通過し始めた。レールと車輪を擦り合わせて、十両編成が去っていく。気が遠くなるほど長い時間だった。乗客が多く、向かいの景色はまったく見えなかった。
さきほどまでいた夕凪が、幻だったんじゃないかと嫌な思いが胸を過る。
冷たい空気を切り裂いて電車は去っていった。
「……」
遮るものが無くなり、絵画のように整った景色が静寂と共に戻ってくる。
平日じゃ誰も降りないような過疎駅だ。
わかっていた。
わかっていたが、
胸が苦しくて仕方がない。
俺以外に誰一人としていなかった。
孤独の風が吹き抜ける。
まったくもって情けない。
幻を見て、慌てるなんて、ダサすぎる。
電光掲示板を睨み付ける。各駅停車しか停まらないので次の電車は二十分後だ。何して時間を潰そうか、とホームのベンチを目指して歩き出す。
くだらないよな。
結末なんてそんなもんだよ。
自らの不幸を嘆くつもりはないけど、けっきょく俺は変われない。
寂れたベンチに腰かけて、高く澄んだ青空を見上げる。
風が凪いだ。
歌うようなリズムの歩調が刻まれ、改札階から伸びる階段を下る音がした。
ふと見上げると、長袖のセーラー服を着た朝比奈夕凪が手すりを持って立っていた。
潤んだ瞳が俺を見据える。
柔らかそうな頬っぺたは仄かに紅潮している。
肩で息をしている。向かいのホームから、急いでこっちに走ってきたらしい。たしかな息づかいが、音のないホームに静かに響いている。
「あ……」
言葉が紡げなかった。
少女は荒れた呼吸を整えて、目を細めて俺を見た。
「キヌゴシ……」
昔のあだ名を呼んで、絞り出すように、彼女は続けた。
「一緒に帰ろぉーう」
なんてことのない提案に思わず吹き出してしまった。
冷静に考えたら、彼女は向こうのホームで電車を待っていたから、俺の帰宅順路とは逆方向だ。
でも、それでも俺は彼女の提案を否定することなく、「もちろん」と頷いた。
終わりました。
気分で書き始めたものですが、思ったより長くなりましたね。
反省です。
ファンタジーがほんと苦手でいつの間にかSFみたいになってましたが、楽しんでいただけたのなら嬉しいです。
読了ありがとうございました。




