雨上がりの秋空に 8
名前も知らぬ野鳥の叫びに似た鳴き声が響いた。
濃い土の匂いが鼻孔をくすぐり、肩に温かな温もりを感じた。
「いい加減、起きてよ」
優しく揺すられる。
森の中で仰向けで寝ていたらしい。
声をかけてきたのは、港さぎりだった。
「んっ」
声が掠れる。
上半身を起き上がらせると、茶色の葉がふわりと地面に落ちた。
「あれ、水蜜桃は?」
「すいみつとつ……? 寝ぼけてるの。今は秋よ。桃のシーズンは終わったでしょ」
手を差し出される。受け取って体を起き上がらせると「ほらもうこんなに泥だらけで」と文句を言いながら、服をはたいてくれた。
「あれ、さぎり、脚大丈夫か?」
「……あんたこそ頭大丈夫?」
少女は右足に包帯を巻いていなかった。
短時間で怪我が完治したとは考えづらい。こんな歩きづらい森の中までよく来れたものである。無理をしているようには見えないが。
「なにしみったれた顔してんのよ。いいから早く帰りましょ」
「……ああ」
もやもやを引きずったまま、連れだって下山する。
クルクルと笹の葉が回転しながら落下していった。
俺と彼女の記憶は異なっていた。
文化祭で発表する郷土史の資料集めの為に来た、というのがさぎりの認識だった。
道中、俺は足を滑らせて頭を打って気絶した、らしい。
アスファルトで舗装された道に出た。
「あの程度の段差で躓くなんて、あんた運ないよね」
とさぎりに茶化された。
運か。昔から、俺は不幸の星に生まれついた。いまさらそれを嘆いたところで仕方ないが、
それより一つ気になったことがある。
「文化祭、お化け屋敷じゃなかったっけ?」
首からぶさ提げたデジタルカメラの映像を確認しながら、さぎりは、
「くじ引いたのあなたでしょ。おかげでやりたくもない郷土史発表になったんじゃない」
と唇を尖らせた。
記憶にない、後頭部をかくと、泥がついていた。
日が暮れる前に駅に着くことができた。改札を抜けて、ホームで電車を待つ。
「気を失ってる時に、水蜜桃に会ったんだ。夕凪の……」
電車の接近を知らせるベルが響いていた。
さぎりに話しかけると、眉間にシワを寄せられた。
「あのさ、さっきからなんの話?」
「は?」
「魂がなんとか……悪いけど宗教勧誘なら別の人誘ってくれない?」
「俺は夕凪の……朝比奈夕凪の話をしてるんだ」
「……誰よ。それ」
冗談を言っているようには見えなかった。
どうやら朝比奈夕凪が何者か、さぎりは忘れているらしかった。
それどころか、レイナやベルのことも、前に話した水蜜桃のことも彼女は覚えていないらしい。
香川先輩のことは知っていた。「ああ、あの変態のことでしょ?」と酷い言われようだった。
夏から経験している異世界体験を彼女に話したが、さぎりは『とうとう来るところまで来たか……』と哀れみの視線を俺に浴びせるだけだった。
元々全部が夢だったんじゃないかと、そういう結論付けを行う方がよっぽど楽に思えたが、どうにも釈然としなかった。
家に帰ってお風呂に入って、布団に潜り込んでも、悶々とし続けた。
毛布が重く、熟睡できなかったから、じゃない。
疲れきった脳では夢を見ることさえなかった。
人生はそういうものなのだから。




