雨上がりの秋空に 7
彼岸花が風に揺れていた。
夜の記憶しかない少女が、夕闇に立っていた。
「キヌではないか。いつぶりかや。ほんに懐かしい客人よな」
少女は薄く微笑んだ。
西日が細くなって森に射し込んでいる。
「なんで、お前がここに……?」
水蜜桃。
異世界で迷っていた俺を助けてくれた女の子だ。
「そちこそ如何様があって再び隠世に参ったか」
「隠世、だと。ここが、そうだと言うのか?」
「さよう。次元の狭間のまほろば。人の身では到底たどり着けぬ境地よ」
「待ってくれ水蜜桃。ここが次元の狭間というなら、そこに住まうお前は何者なんだ?」
「……難しい質問だのう」
生欠伸を噛み締めるような顔で少女は呟いた。
「答えは残念ながら持ち合わせておらぬ。そちも自らがどこから生まれ出でて何処へ向かうか、真に理解してはおらぬだろ?」
ゴーギャンの絵画のタイトルがよぎる。
我々はどこから来たのか我々は何者か我々はどこへ行くのか。
「神……」
「ふっ、ちんけな憶測よのう」
水蜜桃はにたりと笑うとすたすたと歩き、境内の端にある木製の小屋の扉を開けた。立て付けが悪いらしくギィと蝶番が歪んだ。
倉庫かな、と思っていたら「茶でも出そう」というので、どうやらそこは彼女の住まいらしかった。小学生のときに作った秘密基地の方が立派だった。
お言葉に甘えて中にはいると、部屋の中央にランプが引っかけられており、中を明るく照らし出していた。
窓が無く、少しだけかび臭かった。
壁の棚には沢山の瓶が飾られており、ガラスをキラキラと輝かせていた。
一リットルのペットボトルぐらいの大きさで、円筒状の透明なガラス瓶がところ狭しと並べられている。
中には青白いクラゲのようなものが浮かんでいた。
「なんだ、これ」
理科室にある標本のようだ。よくよく見ると瓶の中身はすべて違っていた。青白い煙のようなもの、という点は共通していたが、カタチは丸や三角など様々な図形を表している。
「魂瓶やよ」
椅子と机を引っ張り出してくると、俺に座るように促した。
聞きなれぬ言葉に首を捻りながら、一つを指差して尋ねる。
「……こんなにたくさん集めてるのか?」
「仕事やからね」
「働いてたのか?」
「肩書きならいくつもあるぞえ。納魂師やら歩巫女やら。技術に応じて報酬もらっておってのう。なかなか忙しゅうて、猫の手も借りたいほどじゃ。そちと違って」
なんで突然ディスられなくちゃならない。
「俺だって毎日勉学に勤しんでるわ」
「それは良きかな」
にたりと笑って、
白魚のような指で一つの瓶をコツンと叩くと、青白い塊が揺れ動き、蝶のカタチを作った。
「すごいな。振動でカタチが変わるのか?」
「西洋でいうところのプシュケーが入っておるからの。これは記憶を保持しているということ。まだまだ時間がかかりそうやね」
「どういう意味だ?」
「人は人、蝶は蝶、馬は馬の魂のカタチをそれぞれ持っておる。肉体を離れてもそれは変わらぬ。魂瓶は肉体によってカタチ付けられた魂を一度液体に戻し、川へ戻すためのもの」
水蜜桃はそう言うと、瓶とコップを取って机に置いた。
正面に座って、いたずらっ子めいた瞳でじっと俺を見つめる。
「これは珈琲」
にたりと笑ってどこからか持ってきたヤカンからお湯を注ぐと、芳醇な香りが漂った。
「して、そちは何しにここに来たん?」
コップを手渡される。
「わからない。気付いたらここにいたんだ」
一口すする。
「それはおかしなことを言う」
水蜜桃はそう言って、瓶の蓋をパカリと開け、コーヒー豆をつまんで口に含んだ。絶対不味いだろ。それ。
「意味もなく存在することはできぬ。そちがここにいるのもワケがあるはずやよ」
「ワケ……」
目的なんてない。はじめのときと同じように俺は迷いこんだのだ。
水蜜桃に頼み事なんて、あるはずが……。
「あ」
ふと思い立って、並べられた瓶を見てみる。
「この瓶の中には人間の魂も入るのか」
「数はないがのう」
コーヒー豆を頬ばって、咀嚼してから彼女は続けた。
「入れておけるのは穢れのない無垢な魂のみだから、汚れやすいヒトの魂はなかなか貴重なんよ。魂を浄化せなんだ、川に飲まれてしまうからのう」
「川、というのはなんなんだ」
「そちらの言葉を借りるのであれば此岸と彼岸を流れる境界。ここに魂を流すことで輪廻に還るようになっておる」
「……」
「珈琲が口に合わぬか」
ブラックは苦手だった。
でも、それ以上に気になることが出来たのだ。
「この中に朝比奈夕凪の魂はあるのか?」
苦味が口内を支配していた。
「あさひなゆうなぎ?」
水蜜桃が微かに首を捻る。
「俺の幼馴染みだ」
「……っふふふ……」
ポカンとしてた水蜜桃は笑いが堪えきれなくなったみたいに、喉をならした。
「なにがおかしい?」
「いや、なあに。目的など無いと言っておいて、至極単純なもんやと思ったまでよ」
「……どういう意味だ」
「その朝比奈夕凪の魂を現世に戻せと言うのであろう。いつの世も、人というのは変わらぬのう。やれ不老不死になりたいだの、死に別れた恋人に会いたいなど、単純すぎて笑いしか起こらぬ」
ランプに照らされた少女の顔は、大人びて見えた。
「にしても難しい相談やね。生き物を輪廻に戻すとなると、理が壊れるからのう」
「別に生き返らせろ、なんてことは言ってないだろ」
「ほう」
くすくすと笑いながら彼女は続けた。
「出来ぬとは言っておらぬぞ」
「……」
「ただし、魂があっても肉体が滅んでいる故、瓶から出すことはできぬ」
瓶を一つ取って机に置く。瓶の側面をでこピンすると中にはいっていた煙のようなものがフラフープのような輪っかに変わった。
「だいぶ進んでおるから、今日明日には流せるぐらい熟成できておる。まあ、逆に言えば今ならまだ間に合うということやの」
「肉体が滅んでるから、どのみち夕凪は生きかえれないって、ことだろ」
こんな小さな瓶に魂を閉じ込めることなんてできっこないと思っているのに、なぜだか俺は素直に水蜜桃の言うことを信じていた。
「ふむ。勘違いするでない。その程度な些末はなんとでもなる。それより問題はそちの方だと思うが、違うのか」
「どういうことだ?」
「魂を戻すことはできる。肉体もこねあげれば問題ないだろう」
「じゃあなにが懸案事項なんだよ」
こねあげるってなんだろう。
「お代だよ。ただできるほど私はお人好しじゃない」
鼻で笑ってコーヒー豆を口に含む。
「お金とるのかよ……守銭奴め」
「通常であれば不可能なほどの対価が必要となるのじゃ。だから、誰かを生き返らせるなんて出来っこない。命を操るなど、人一人では、賄いきれぬほどの業だからのう」
「差し出せるものなんてなにもないぞ」
財布を広げる。
「全財産は千五百円だ。あとスイカの中に千円入っている」
「別にお金で無くてもよい。対価やよ。対価がなくては奇跡を起こすことはできんのう」
「奇跡……」
復活、という概念であるなら、それは間違いなく奇跡だろう。
「くそ」
と、悪態をついてポケット漁る。
「これで勘弁してくれ!」
日高屋の大盛り無料券(期限切れ)を机に叩きつける。
「無理やのう」
にたりと笑って、とぼけるように椅子の後脚を軸にして前脚をふわふわと浮かせた。退屈な時に小学生がやるように、揺れている。
「あ」
倒しすぎたらしい。後ろにガタンと倒れた。
「大丈夫か?」
ださ。
「……差し出せるのはそれだけではあるまい」
仰向けに倒れながら、彼女はポツリと呟いた。
「なに?」と尋ねると、椅子を起こして、再びそこに座り直して、彼女は続けた。
「お主には信じられぬぐらいの才覚が宿っておるらしい」
「才覚?」
まさか。
手のひらをじっと見つめる、
運に全振りしたスキルポイントのことか。
「げに恐ろしき幸運よ。いったい何があればそれほどの極致に達することができるのか」
「目に見えないものでも大丈夫なのか?」
「問題はない、朝比奈夕凪とやらを今一度現世に戻すこともやぶさかではない」
「……」
「ふふふ、迷うのは無理もない。与えられた天賦の才を全て失えばそちはただの人になる。一度でも才能に触れた者であれば、避けたいのが事実であろう。自分の人生をより良いものにしたいのであれば、そちは幼馴染みを諦めればなら……」
「いいぜ」
「む?」
「俺の才覚を全て渡す」
「……わかっておるのか? 奇跡というのは易々と起こせぬ。そちはいままでの人生で手に入れた経験値を失ってもよいと申すのか」
「経験値なんかじゃない、ただのバグだ」
「……ばぐ?」
ポカンと呆けられる。
「ともかく人並みでいいんだ。多くを望まない。ただ夕凪が幸せならそれで」
「あいわかった。もうなにも言うまい」
水蜜桃は静かに微笑むと立ち上がって一つの瓶を手にもった。
瓶の中には金色の煙がふわふわと浮かんでいた。
「そちならそのような選択をとると、どこかで思っておったわ」
「水蜜桃、それが……」
彼女は返事をすることなく、静かに微笑むと瓶の蓋に手をやった。
「……」
「水蜜桃……?」
「んんんー!」
瓶の蓋が固いらしい。
顔が赤くなっている。
中を温めると気圧の関係で開けやすくなるよ、とワンポイントアドバイスしようときたら、パカリと小気味よい音がした。
辺りに虹色の光が満ちる。
眩しくて思わず目をつぶった。




