雨上がりの秋空に 6
自分を諭すように俺は言葉を吐き出した。
朝比奈夕凪の儚い笑顔がまぶたの裏で滲んで消える。
「あいつは死んだんだ」
言い聞かせるように。
「小二の時に、体を真っ二つにして、葬式だってやった。火葬場から天に昇った、お墓だってある」
忘れることは無いだろう。
ブロック塀の凹凸に飛び散った鮮血と、ジリジリと蒸発する血溜まり、野次馬のシャッター音に怒号と蝉時雨。
振りきろうとしても、許されず、陽炎のように揺蕩う後悔が、未だに俺の足をすくませる。
もうアイツの訃報は聞きたくない。
「だけど、二ヶ月前にあなたの前に現れた」
さぎりが力強く言い放つ。
「それは事実よ!」
「また殺したんだ! 俺が!」
「あなたじゃない!」
「俺だよ! 俺がもっと早く決断してればよかったんだ! グダグダとアイツと過ごす日々が楽しくて、終わったあとも一緒にいたから、一緒にいたから……」
胃酸が喉まで込み上げるが、意に介さず俺は叫んだ。
「あいつは死んだんだ! また、……また、俺がアイツを殺したんだ!」
「違う!」
座っていたさぎりは立ち上がり、正面から俺を睨み付けた。
力強い視線が俺を射ぬく。あまりにも眩しくて、逃げたくなった。
「ベルもレイナも、みんなあなたに助けられた! 朝比奈夕凪の言うとおり、あなたが頑張ったからたくさんの人が幸せになったのよ」
そんなあやふやな言葉で正当化できるほど世の中は甘くないし、彼女の優しさは嬉しかったが、心に響くことはなかった。
「他人なんて……他人なんか関係ないよ。俺は夕凪だけが幸せになって欲しかったんだ……、ただ、あいつだけが」
まったくもって、ダサいことに……俺はまた泣いていた。
頬を伝って滴が落ちる
「……ッ」
さぎりはなにか言おうとしたらしいが
結局言葉を紡げず、うずくまった。
声をかけようにも、俺は自分の事で手一杯だった。
「痛ぅ……」怪我した右足を庇っている。包帯がじんわりと赤く染まっていった。ドアの木片で裂かれた傷が立ち上がった時の衝撃で開いたらしい。
「……大丈夫か?」
我に返って、声をかける。
「ええ、すぐ止まるわ」
さぎりはうずくまって顔を見せないまま続けた。
「キヌが後ろを向かないように、生きていってくれたら、凄く嬉しいな」
「は?」
「……」
なんだ、突然。さぎりの言葉のはずなのに、彼女らしからぬ発言だ。
「……私の記憶の中のベル・シグルはいつもそう言っていた」
がばっ、と顔をあげる。
「だから、私はいつも後ろを向いてばかりのあんたなんか大嫌い!」
その叱咤は純粋に彼女の心からの声に思えた。
赤トンボが風に逆らって飛んでいた。夏は終わり、秋が来る。季節は巡って瞬く間にみんな大人になっていく。
ただ一人、命が終わった朝比奈夕凪だけを除いて。
「……わかったよ。わかったけど、なにをすればいいんだよ。どこかで生きている……かもしれない夕凪を探すのか?」
それこそ不毛だ。確率は限りなくゼロに近い。意地を張れるほど子供ではない。
「ここはあの子が最後に確認された公式の場所だから、来れば何かが見つかるんじゃないかと思ったの」
コオロギやキリギリスの鳴き声が聞こえてきた。秋が深まっている。遠くの山は黄色や赤に色付いて、鮮やかな彩りを描き出している。
カラスが鳴いた。
秋の日暮れは早い。まだ明るいが、あと一時間もすれば夜に景色は包まれるだろう。
「……今日はもう遅い。また今度にしよう。それにその足で無理しないほうがいい」
と、声をかけた時、ふと視界の端に光が横切った。
助けを求める救難信号のように、光は繰り返し明滅している。
「ん?」
「どうしたの?」
「いや、なんだあれ」
道路に面した森の入り口に淡い緑色の光があるのだ。懐かしいような、それでいて初対面のような、不思議な感覚を放っている。
「ほら、あそこ」
ガードレールの切れ間を指をさす。目をすぼめて眺めてみるが、遠くてよくわからなかった。
さぎりは見つけられていないらしい。「どこ?」と首を捻るので「あそこで何かが光ってる」と教えてあげる。
「ホタルじゃないの?」
「ホタルは夏だろ」
本物を見たことがないのでなんとも言えないが、淡い緑色のそれはたしかに蛍光色だった。
暗い森の入り口で静かについたり消えたりを繰り返している。
「さあ。私も詳しくないけど真夏というよりも季節的には初夏とか初秋だったと思うわ」
今は十月で晩秋といっても相違ない。
肌寒い風が通り抜ける。
「山の上に沢があったはずだから、ホタルがいてもおかしくないわ」
淡い光が消えかかる。見えている者を誘うかのごとく、ゆっくりと輝きが消えていく。
「ねぇ、越井。私、ホタル見たことないの」
足をさすりながら呟くみたいに少女は言った。
「捕まえてきてよ」
「嫌だよ」
この歳になると昔のように昆虫ではしゃげなくなる。キレイなものでも裏面を見るとおぞましいからだ。タマムシ見てもテンションは上がらない。
それに簡単に捕まえられると思えなかった。反射神経は鈍い方なのだ。
「私の代わりに行ってきてよ」
「代わりって……」
「気にならないの? ホタルがどんな昆虫なのか」
「そりゃ、気になるけど……」
「けど?」
「こんなとこに一人になるのは嫌だろ?」
「呆れた」
さぎりは浅くため息をついて背負っていた鞄の小さなポケットから代えの包帯を取り出して、俺の方を睨み付けた。
「あんたと会話してるより包帯変えてた方が有意義だわ。いいからさっさと行きなさいよ。待ってるから」
さぎりはそういって足首に巻かれた包帯をほどき始めた。
「わかったよ」
こうなったら、頑固な彼女は聞かないだろう。
仕方なしに、生い茂るハイキングコースの入り口を目指して歩き出した。
幼い夕凪が迷子になったところとはいえ、ポケットにはスマホが入っている。GPSがあればそうそう迷うこともないだろう。
森、といってもハイキングコースだ。老後を悠々自適に過ごす老人の足腰の鍛練のためにあるような場所であり、気合いを入れて登る必要はない。
夜虫が鳴き始めていた。夏と違い、耳をつんざくような蝉時雨はないが、けっこううるさかった。
光を追うようになだらかな山道に足をかける。
木々と土の香りが、鼻孔に深く潜る。
葉の隙間から射し込む日差しが美しかった。
ようやく光に追い付いた。
薄暗いので、目立つのだ。
手を伸ばして捕まえようとするが、うまくいかない。指の隙間をすり抜けた光は、逆にこっちに近づいてきた。遠ざかって逃げようとするのでなく、眼前に迫ってきたので、咄嗟に体勢をずらしたら、尻餅ついてしまった。
「あ、いて !」
誰も見てなくてよかった、と安堵の息をはいたところで、俺の目の前をスッーと光が横切った。
「なっ」
ホタルじゃなかった。
金魚だ。
青色のベタが、黄緑色の光を放ちながら、優雅に空中を泳ぎ去っていく。
「なんでっ!」
レイナとベルが天空魚と言っていたのを思い出した。
こんな幻想生物、俺たちの世界にいるはずがない。進化論は魚を水中に閉じ込めたはずなのに、
「なんで……」
光は俺を嘲笑うかのように茂みを漂って、やがて消えた。
落ち着こう。
落ち着こう、俺。
アレの正体がなんであれ、人畜無害なのは間違いないんだ。
ならば、パニクる必要もないだろう。
大きく深呼吸して、まぶたをおさえる。
砕けた腰を起き上がらせ、ズボンについた泥をはたき落とす。雨で湿った土がズボンに付着していた。
「……ん?」
ケツポケットになにか入っていた。
右手を突っ込んで取り出して見る。
三つ折りにされた、一枚のプリントだった。
なんだろう、これ。
と、思いながら、紙を広げて見る。
『さあ、たのしい盗賊ライフのはじまりです』
なんだっけ、これ。
と、一瞬呆けていたが、すぐに思い出した。ハローワークでもらった転職後の案内だ。
捨てるのを忘れて制服のズボンのケツポケットにしまったんだった。
それにしても、この紙がここにあるということはやはりあの世界は夢じゃなかった、ということか。
「ん?」
『対象からスキルを奪えるぞ』
第三スキルの『ヒットアンドクライム』の説明欄にそう綴られていた。
「スキルを奪う……」
右目に手を当てる。
空飛ぶ金魚が見えたことと、先程のさぎりの発言を思い出す、
レイナ達は後の権力争いに敗北した。彼女のスキルが使えなくなったのが、一因だとさぎりが言っていた。
「まさか……」
視界がぼやける。水中で太陽を見たように、景色が揺らいで再構築される。
「これは……」
心眼。
頭でなく心で理解した。
俺は、レイナからスキルを奪ったのだ。見えざるものを見るという重要な能力を。
ならば、俺が彼女たちを敗北へ導いた要因ということになる。
「そんな……」
きっと湖畔の館に向かうまでに切り伏せた沢山のモンスター達との戦闘でヒットアンドクライムのスキルを習得し、レイナと相対した広間で発動させたのだ。
レイナとベルの人生を俺は狂わせた。
否定しようのない事実だった。
遠くへ行こうとする金魚の光に手を伸ばす。
「行かないでくれ!」
懺悔と謝罪をさせてくれ。
何もかも、俺が悪いのだと。
罪悪感で押し潰されそうな俺を誰か救ってくれ。
伸ばした右手の先に石段を広がっているのに気がついた。
「……あれ?」
景色が一変している。
先程まで森深い山の中にいたはずなのに、目の前には神社の石段のようのものが何段も延びている。
階段はここに来るまでいくつもあったが、どれもがボロい板を張り付けたような木製のものだったので、石段は少し驚いてしまった。
なにかに導かれるようによたつきながら、石段に足をかける。ところどころひび割れ、雑草が生えているお世辞にも綺麗とは言えない階段だ。
漠然と登らなくてはいけない気がした。出不精の俺には辛い長い長い階段だった。
天国への階段、なんてぼんやりと頭にうかんだ。レッド・ツェッペリンの曲だっけ。
数分経って階段を上りきり、呼吸を荒らげながら、最後の一歩を大きく踏み込む。
「あ」
木々が広がるのは変わり無かったが、木製の人工物が建っていた。
「ここは」
カエルの石像に白い鳥居。
ボロボロのあばら屋が三軒ほど並んでいる。
間違いない。ここは、
「おんや」
静かな予感に押し潰されそうになっていたとき、背後から可愛らしい声をかけられた。振り返る。
「これはまた懐かしい客人よのう」
「水蜜桃……」
白い髪のおかっぱな女の子。艶やかな着物の裾が風に揺れている。
隠世の住人であるはずの、水蜜桃がそこに立っていた。




