雨上がりの秋空に 5
授業が終わる頃には、雨は上がり、秋晴れの青空が広がっていた。なんだか酷く気が滅入る。
柔らかな日差しは西へ傾き初め、校舎の影を徐々に長くしていく。
「話は終わっていない」
と、さぎりが言うので、仕方なしに一緒に帰ることになった。
付き合っていた時だって、「一緒に帰って友達に噂とかされると恥ずかしいし……」と放課後デートしたことなかったのに、目的があるときの彼女は他者の目を一切気にしない。さすが成績優秀者だ。
雨に濡れたアスファルトの匂いを感じながら、俺たちは駅を目指した。
銀杏の街路樹は葉を散らし、黄色の絨毯を作り出していた。
「あのあと……」
さぎりは歩きながら言った。
「夕凪を逃がしたベルを処罰する決定をギルドマスターのボランジは下した」
「え?」
「リーダーの命令に背いて私情に走ったのだから当たり前よね」
少女は無表情だった。哀しげというわけでもない。いたって普通の顔つきをしていた。
風に揺られて雨粒と一緒に落ち葉が落ちてきた。
「レイナはベルを庇ったけど命令違反は明白。『竜の爪』は分裂し、レイナとベルを筆頭とした『竜の牙』が誕生する」
頭が痛くなるネーミングセンスから頭が痛くなるネーミングセンスが生まれたが、いまはどうでもいい。
「どうなったんだ?」
「ドラゴンクロウとドラゴンファングの激闘はそれはもう凄まじかった。ベルやレイナは人望があり、ドラゴンクロウから有能な若手を何人も引き抜いていたから。それでも圧倒的に経験が足りないドラゴンファングは徐々に押され初め、ついに負けてしまう。リーダーであるレイナが敵の呪術師の手により『スキル』を封じられたのも敗因だった」
さぎりは浅くため息をついた。
地面に積み重なった落ち葉が雨でぐじゅぐじゅに崩れていた。
「そうか。……そこで、その、……殺されたのか?」
「命まではとられなかった。腐っても同じギルドの仲間だったからね。ベルは優秀な魔術師だったし、それに……」
「それに?」
「……いえ、別になんでもない」
「……」
さぎりは言い淀んだが、察してしまった。
ベルもレイナも美人だった。だからこそ負けたときの悲惨さが増すのだ。
駅についた。電車がホームに止まっている。平日の夕方は混んでいるが、始発なので座ることができ、しかもはじっこを確保できた。ラッキーだ。はじっこじゃないと脇の辺りがスカスカして落ち着かないのだ。
「ベルは……ずっとあなたの心配をしていたわ」
電車のドアが閉まり、車体がゆっくりと前に進み初める。つり革が一瞬斜めになり、やがて水平になった。
「どんなひどい目にあろうと、ずっとあなたの無事を祈っていた」
「そうか、すまない……」
「なんで謝るのよ」
「俺のせいで、迷惑かけたから……」
「いま言われても仕方ないわ。私は港さぎりであってベル・シグルじゃないもの。……そんな夢を見た。私が感じたのはそれだけだから」
電車がトンネルに入った。車輪の音が大きくなる。
さぎりの黒い瞳と目が合う。隣に座る少女の温もりが肩から伝わってきた。
トンネルを照らす灯りが線になって流れていく。
「だから、彼女の思いに感化されて、あなたのことが少し心配になったの」
ぷいっと正面を向かれる。耳が少し赤くなっていた。さぎりの気持ちの吐露に、俺は素直にお礼を言った。
トンネルを抜けると郊外の景色が広がった。紅葉に染まった木々がよく映えている。
中吊り広告が冷房に揺れ、アナウンスが次の到着駅の予告をした。
「レイナもね。あなたに謝ってたわ」
「いや、いいさ。正しいのはあいつだ」
「神様なんていないから、正解か不正解かは、永遠にわからないわ」
景色は後ろに流れていく。過去を忘れて前に進むように。
電車は少しずつ速度を落とし、やがて一つの駅に到着した。
「降りるわよ」
「え、なんで」
俺とさぎりの地元は同じで、少なくともここは目的地じゃない。
一度も降車したことがない定期券内の途中駅だ。
さぎりが強く言うので勢いにおされ、ホームに降り立つ。
発車ベルが鳴り響く。
「ここ……」
少し冷たい秋の風が吹き抜ける。
背後でドアが閉まって、音をたてて電車が去っていく。
夏休み明けのあの日、さぎりと再会した駅だった。人がおらず、閉じ込められた不気味な場所。急行が停まらない、『ド』がつくほどの田舎駅だ。
相変わらず人は少ないが、今日は誰もいないわけではなかった。
俺たちが乗っていた電車はどんどん小さくなっていき、やがて見えなくなった。
「行きましょ」
さぎりはそういってホーム階段を目指して歩き始めた。なれない松葉杖に四苦八苦している。
「行くって、こんなところに、なんの用事だよ」
「この近くに朝比奈夕凪の祖母の家があるの」
「あいつのおばあちゃんチで何すんだよ。仏壇は地元にあるぞ」
「お参りが目的じゃないわ」
階段を松葉杖を使って、器用に上っていく。
「じゃあ、なにが」と訊ねるとさぎりは横目で俺を見て続けた。
「朝比奈夕凪は幼いころ、この近くの山で約四時間遭難した」
「遭難……てか迷子だろ?」
「ええ。レスキュー犬に発見されて事なきを得たけど、当時五歳の彼女は保護されたとき『お空がね、キラキラと光ってね。ばあ、ってなったんだよ』と語っているわ」
突然夕凪の物真似を挟んできたので面食らってしまった。少し似てた。
辛うじて自動改札機と言った風な田舎駅だ、一つしかない改札を抜けると、秋空が広がった。
雨に濡れたすすきが風に揺れている。
「朝比奈夕凪が遭難した仏山は昔から神隠し伝説で有名なの。標高は200メートルほどで頂上は富士山と湖を一望できるそうよ」
行楽シーズン真っ只中とはいえ、平日の夕刻だ。人気はなかった。
さぎりとともに一車線の道路を歩いていくが、しばらく言ったところで、彼女は大きくため息をついた。
「ほんとうは登りたかったのだけど……」
疲労が溜まっているらしい。
レトロな屋根つきのバス停があった。木造だ。中にはベンチが置いてある。利用客ではないが、少し腰かけて休むことにした。
「あのさ、なんでいきなりハイキングを敢行しようとしてるの?」
「私が説明した仮説おぼえてる?」
「神様は未来人で歴史を矯正するのに夕凪を使ったってやつ?」
「そう。使命を終えた朝比奈夕凪は始末されたけど、逆に考えてみたの」
「逆?」
「朝比奈夕凪を利用していたという歴史すら歪みと捉えれば彼女が幼い頃、亡くなったこと、つまり天使になったことすらも、もとに戻すべき、ということになる」
「どういう、意味だ?」
「朝比奈夕凪の存在がパラドックスになってるの」
矛盾?
さぎりは学生鞄からキャンパスノートを取り出し、最後のページを開いて見せた。昼休みに香川さんの話を聞いてから綴ったらしい。
1、未来でタイムマシンができ、『空白の十万年』の調査を行う。
2,調査中の不手際で歴史(魔王が世界を支配する世界)が変わってしまう。
3、タイムマシンのある未来が歪んでしまうので、それを防ぐために朝比奈夕凪を派遣した。
4、夕凪と越井の活躍で歪みが直る。
5,すべての歪みが直されたので、夕凪が用無しになる。
5、夕凪を排除するが、夕凪が天使として行動していた事自体、歪みとなっており、パラドックスになっている。
「つまり、どういうことだってばよ」
「鈍いわね。朝比奈夕凪の存在自体が歴史の歪みになってるのよ」
「……夕凪は生きてるって言いたいのか?」
「その可能性がある」
首肯して肯定される。
「……意味がわからん」
「あるがままに戻るというなら、彼女が歴史を矯正しようと行動していた事も、歴史の歪みに該当するのよ」
あまりにも自然に頷くので、数秒反応が遅れてしまった。
「なにを……」
言葉がうまく紡げない。
「なにをバカなこと言ってんだよ……」
世迷い言だ。
おかしなことをいきなり言うので、彼女の正気を疑ってしまう。




