雨上がりの秋空に 4
チャイムが鳴った。
昼休みは長いようで短い。購買でパンを買いたかったが仕方がない。諦めよう。
コンピューター室から、教室に戻る道すがら、浮かんだ疑問をさぎりにぶつけてみた。
「なんであんな話をしたんだ?」
海外在住の先輩まで頼ったのだ。さぎりは衝動で動くようなタイプではない。冷静に物事を見定めてから行動する彼女のことだ。きっとなにか考えがあったに違いない。
「……空白の十万年って知ってる?」
ひょこひょこと松葉杖をつきながらさぎりは答えた。
彼女の右足を見て考えを改める。この人、わりと衝動で動くタイプだったわ。
「いや、言葉だけは聞いたことあるが、詳しくは知らないな」
「人類の誕生は二十万年前のアフリカとされている。その発展を見てみると人類は十万年以上もの長い時間ずっと狩猟をして過ごしていたことになるの」
「きっと狩りが楽しかったんだろう」
ネット依存の友達が言ってたけど1000時間越えないとモンハンをやりこんでるとは言わないらしい。
そういう軽口をたたこうかと思ったが、彼女の目は真剣そのものだったのでやめにした。
「農耕という段階に移行するまで十万年よ? そんなのありえると思う?」
不潔なものを排除して、清潔な状態を保つ白すぎる廊下は見ていて健全とは言いがたい空間だった。
「それどころか2017年にモロッコで新たな人類の骨が発見され、分析したところ三十万年も前のものだった。これから先、研究が進めば人類の紀元はもっと古くなってくる可能性が高い」
「つまり空白期間が長くなるわけだな」
人類の空白期間が長くなればなるほど、その期間なにやってたんだ、って話になるわけだ。履歴書の空白期間とおなじだな。
「人類最古の文明は紀元前3000年のメソポタミア文明と言われている。つまりたった5000年で人類は宇宙へ行けるまでに成長したの」
さぎりは俺をじっと見つめた。
「ならば、それ以前の295000年間、人類は発展せず、ずっと原始的な生活をして来た、と考えるのは不自然じゃない?」
さぎりの言わんとしていることが、ようやく理解できた。
「ひょっとして、お前……」
「ええ。私はベル達がいた世界は異世界などではなく、『空白の十万年』の間の世界と考えている」
正気の沙汰とは思えなかった。
「なに言ってるかわかってんのか? 人類史が出来上がる過去の世界に俺らはタイムスリップしてたって言うのか?」
「ええ。そう考えるといろいろと辻褄が合うの」
五時間目の開始までもうあと五分もない。
廊下を行く生徒たちはみな早歩きで遅刻を避けようとしている。
足を怪我しているさぎりのペースはまさに牛歩の歩みで時間もゆっくり流れているようだった。
「待てよ、おかしいだろ。二十万年前の骨が残ってんなら、その謎の古代文明だって、何かしらの証拠が残るはずだろ」
「もちろん超古代文明が栄えていたという科学的根拠はゼロよ。オカルト前提のオーパーツを無視すればね」
水晶ドクロは最近作られたものだし、黄金ジェットは鳥を模したものだ。
科学の発展とともにロマンは失われてきた。
「結局のところ、人類が急激に進化したのは遺伝子の突然変異が原因とされているわ。だから一つの可能性として理解して」
階段についた。歩きづらそうなので、手を貸す。小さくお礼を言ってから彼女は続けた。
「朝比奈夕凪の神様というのは『未来人』なんじゃないかな」
「……」
柔らかな小さな手のひらは汗ばんでいる。
「歴史の矯正といってたのを思い出したの。未来でタイムマシンが開発され、過去へ干渉した事により、本来歩むべく歴史から外れてしまったのだとしたら、歪みを正す、という表現も理解できるわ」
やばい。俺のせいで純粋だった女子高生がオカルトマニアになってしまった。
「この仮説が事実だとしたら、あの子が未来を把握していたのも説明つく」
真っ向から否定してやろうと思ったが、ふと孤児院のみんなでダンジョンにもぐる前、近代兵器が支給されていたのを思い出した。
太陽光を反射して、黒光りしていた重火器の数々……。
世界観に合わないと揶揄したあれらが、未来人の影響で顕在したものだとしたら、
「ん、んー?」
否定の言葉がもやもやに包まれる。
「未来人としては自分達の世界が無くなってしまう可能性があるから、歪んだ歴史を矯正しようとするのは当然の行為なわけ」
かつんかつんと廊下を歩く。
さぎりの息は少しだけ上がっていた。なれない松葉杖に四苦八苦しているらしい。
「面白い仮説だけどさ……ちょっとぶっ飛びすぎじゃないか?」
「ぶっ飛んでるのはここ一ヶ月のあなたの経験よ」
返す言葉もない。
「とはいえ、確信を得るために香川先輩を頼ったのだけど、……真っ向から否定されちゃったわね」
過去へ行くタイムマシンはできない。
今までも、そしてこれからも。
香川先輩がそう結論付けた時、ちょうど昼休み終了のチャイムが鳴り響き、
通話を切ろうとするさぎりに彼は「ライン教えて!」と必死に叫んでいたが、聞こえないフリで切断されていたので、結局、頭いい人なのかバカなのかわからなくなった。
「それに、その説が真だったとして、夕凪が『天使』として『神様』こと『未来人』に使える理由にはならないじゃないか。俺が未来人ならもっと扱いやすくて頭のいいアインシュタインみたいな人を天使に採用するよ」
「過去への干渉は私たちが知らないルールがあるのかもしれない。例えば未来人という結論に届き得ない無垢な子供にのみ干渉できる、とかね」
「なんか……納得できねぇな」
「なんにせよ、隠世で魔王の跳梁跋扈を防いだのだとしたら、歪んだ歴史の矯正という役割を朝比奈夕凪は果たした」
教室が見えてきた。まだ授業開始まで時間がある。
「逆にいえば用済みになったから、朝比奈夕凪はテッサに始末された」
「……どういうことだ」
「竜の爪の上位幹部はボランジ・シャンパーニュ、アルト・アディジェ、レイナ・ネイ、ベル・シグルの四名のはずで、テッサ・マカロンなんて女僧侶はいなかった。ベルの記憶ではね」
水色の髪の少女。
今となっては顔も朧気で思い出せない。
「くそ、四天王が五人いる時点で怪しいと気づくべきだった……! 龍造寺四天王やクロマティ四天王が五人いたからそういうのもアリなのかな、と思った過去の自分を殴りたい……!」
「テッサ・マカロン……彼女については私もよくわかっていない。あなたが朝比奈夕凪とカプセル状の機械……私はタイムマシンだと思っている、それで転移したあと、彼女は消えていた」
「……そういえば、あのあとベルは大丈夫だったのか?」
「……そうね……」
ベルの生まれ変わりであるさぎりは小さく呟くだけで答えを教えてくれることはなかった。
教室についた。
さぎりの歩みが遅いので心配だったが、なんとか始業ベルに間に合った。
安堵の息を吐きながらドアを開ける。
「え?」
誰もいなかった。電気が消されて薄暗い教室に人気は一切ない。
「ばかな!」
叫んだところで、五時限目開始のチャイムが鳴った。
あの駅と同じ現象だ。居るはずのクラスメートたちが消えて俺とさぎり、二人きりで閉鎖的な空間に閉じ込められる。
一体全体なんだっていうんだ。
「……ミスったわ」
「え」
さぎりがぽつりと呟いた。
「次の授業、実験室で実習だった」
移動教室かよ。
シリアスな面で叫んだ俺がただの恥ずかしいやつじゃねぇか。




