雨上がりの秋空に 3
学校に来るのも久しぶりだったので、準備に忙しそうなクラスメートたちを見て、月末に文化祭があることを思い出した。
行事は変わらず行われる。うちのクラスはお化け屋敷をやるらしい。ずいぶんと平和な催しだ。
お昼を学食で済まし、約束通りコンピューター室に行くと、さぎりが一台のモニターの前に座ってマウスを動かしていた。
「おまたせ」
「ちょうど準備が整ったところよ。ん」
端子を差し込みピンク色のイヤホンを片方差し出してくる。さぎりの私物らしい。
スカイプの機動音がして、ぶつりと通話が始まる音がする。
「もしもし……」
衣擦れの音ともに若い男の声がした。
神経質そうな声だった。
どうやら彼が香川誠也さんらしい。
直接会ったことはないが、やはり有名人らしい。行間休みに前の席の男子に聞いたところ、桁外れの記憶力を持つ超人とのことだ。
さぎりは無言でボリュームコントローラーのアイコンを押し、音量を引き上げ、コードを口元に寄せた。どうやらマイク付きイヤホンらしい。
「こんばんは。香川先輩。夜分遅くにお時間割いていただいてありがとうございます」
「ああ、通信感度は良好のようだね」
さぎりが丁寧にお礼を言う。アメリカということは時差は十三時間ぐらいか。夜更かしなことで。
「かわいい後輩のためなら、時間を割くさ」
香川先輩は落ち着いた口調で淡々と続けた。言葉の端々に知性がうかがえる。IQが二十違うと会話が成り立たないと聞くが、彼とまともに会話ができるか少し不安になった。
「それで? 用というのは?」
「お聞きしたいことがあって連絡させていただきました」
はわざわざ海外にいる先輩を頼ってまでなにを聞きたいのだろうか。
「オーケー。わかった。でもその前に一ついいかな」
「な、なんでしょうか」
緊張したように返事するさぎり。きっとまともに取り合ってもらうには彼の出す質問に返答をしなければ、いけないのだろう。
「きみ、声かわいいね!」
「……」
「どんな顔してるのか気になってさぁ。写メ送ってよ!」
「……少し待ってください」
話が噛み合いそうにない。
本当に天才なのだろうか。ただのエロ野郎の間違いでは?
さぎりはむすっとしたまま、検索サイトからテキトーに女性の写真をキャプチャしてチャット画面に張り付けた。その画像を見た香川さんは「うわっ、めっちゃかわいい!」と興奮している。
騙されてるよ。
「それで本題に入ってもよろしいですか」
「うんうん、いいよ。なんでも言うよ。俺の好きなタイプは普段はつんつんしてるけどここぞというときは優しさを見せる……」
「死後の世界ってあると思いますか?」
言葉を遮って投げ掛けられた質問はひどく陳腐なものだった。
想定外の質問に俺の方が面食らってしまった。
「……ん? いまなんて?」
「死後の世界です。死んだ後の世界」
もしかして、さぎりは香川先輩に、この夏の不思議な出来事を相談しようとしているのだろうか。
飄々としていた青年の声が一転真剣なものにかわった。
「死んだことないからわからないが、古今東西あらゆる宗教は死後の世界を認めているね」
「宗教ではなく、意識の問題をお聞きしたいんです」
香川先輩は少しだけ考え込むように黙ってから続けた。
「人は百パーセント死ぬ。死んだわけじゃないのだから、臨死体験は参考にはならない」
「肉体が滅んだ後、意思はどうなるのか、お聞きしたいんです」
「難しい問題だね。そうだな……。例えば百年以上前、ダンカン・マクドゥーガル博士が死んだ瞬間の体重の変化で魂の重さは二十一グラムと発表し、反響を呼んだ」
「聞いたことがあります。でもそれは死後の体温上昇による発汗で体重が減少している、という結論ではないんですか?」
「真実は不明さ。まあなんにせよ、そういう反論意見に圧され、彼らは一時沈黙する。だが、数年後に今度は写真が撮れたと大々的に発表をした。情報が古くはっきりしないが。遺体の頭部に『星間エーテル』に似た光が取り巻いていて、これが二十一グラムの正体らしい」
「星間エーテル?」
「中世の物理学の概念で天界を構成する物質のことさ。もちろん現在科学では否定されている。なんにせよ、発表後、彼らは完全に『あっち』側の人物とみなされたわけだ」
「私も……そんな単純なものじゃないと思います」
心霊写真が撮れたと発表したわけか。エクトプラズマを吐く写真のほとんどが偽物のように、魂の説明も陳腐になってしまった、ということだろう。
「まあ、嘘だと完全に証明することもできないから、なんとも言えないな」
「先輩は、どう思うんですか?」
「死んだら無になって終わり、というが、現在の科学ではそれを証明することは不可能であり、死後の世界を見てきて語ることは誰にもできない」
昼休みのコンピューター室は思ったより賑わっており、キーボードの打鍵音やクリック音が響いている。文化祭の出し物について調べものをする生徒が多く、そんな中、さぎりの会話は異質だった。
「中国の古い言葉に『惠蛄春秋を知らず』というのがある。夏を一生懸命生きたセミは春と秋を知らないという意味だ。もっと掘り下げれば、春と秋を知らないセミは夏も理解しているとは言えず、俺たちが生きているこの世はセミにとっての夏と変わりがないんだ。前後の季節が分かることによって夏を理解できるように、あの世を完全に理解するということは、この世を完全に理解するということに繋がる」
「そんなの不可能じゃないですか」
「その通り。わからないんだ。存在不明のことについて語るより確実にわかることについて論じた方が有意義だぞ。たとえば、君のスリーサ……」
「では、異世界は? 異世界はあると思いますか?」
「異世界? なにをさして異世界と評するのかによるが、エスエフでいうところのパラレルワールドなら存在しうると思うぞ」
「分岐して並行する別の世界ってことですよね」
「その通り。多世界解釈というやつだ。右の道に行った未来の横に、左に行った未来がある、いくつも枝分かれした地球が存在しているという考え方だ。あくまで同形質の宇宙でという前提だから異世界とは少し違うかもしれないが」
「では、ナルニア国物語やハリーポッターみたいな魔法が支配している異世界は存在していないと?」
「そうは言っていない。ドラえもんの魔界大冒険知らないのか?」
好きな映画だ。でもさぎりはピンと来ていないようだった。
「藤子・F・不二雄のキャラクターですよね?」
「ああ、そうだ。もしもボックスというパラレルワールドを作成する秘密道具を使って、ドラえもんとのび太が魔法の世界に行くんだ。作中で出来杉くんが説明していただろ」
「あの、すみません、観たことなくて」
「え、嘘」
「親にアニメ見るとバカになるって言われて……」
さぎりは申し訳なさそうに呟いた。
「そうか。複雑な家庭で育ってきたんだな……」
別にそんなことなくね?
「ざっくりいうと魔法も昔は大真面目に研究された学問で、天文学や科学を大いに発展させてきた重要な要素だったということさ。もしかしたら我々の世界の横には魔法が発達した並行世界があるかもしれない」
「……科学が発展したから魔法が廃れたのでは?」
「まさしくその通り。だが、魔法という言い方をしないで考えてみれば、少し面白い考察ができる」
香川さんはそう言って、チャットに画像を送ってきた。さぎりは迷うことなく、GIFをクリックする。
くるくると謎の立方体が回転する不思議な画像が開いた。
「なんですか、これ」
「正八胞体、四次元世界の立方体といえばわかりやすいか。つまり二次元でいう正方形、三次元でいう立方体」
「四次元?」
「ああ。例えばアニメは二次元だ。それを俯瞰している我々は三次元。三次元は二次元を内包していると考えられる。ならば四次元が三次元を内包していると考えるのは自然だ。人間の脳が三次元までしか認識できないだけでね」
「それって本当なんですか?」
「量子力学上でも世界は少なくとも9次元、時空間をいれるとプラス1次元とされている。魔法という概念も四次元空間を加味すればあながち不可能じゃないかもしれないな。たとえば瞬間移動、時空の歪みを利用し、空間を折り曲げる」
「空間を? 不可能ではないですか?」
「地球をイメージしてみてほしい。地上では平面に見える地球も宇宙から見たら球だ。この場合地球の裏側への最短ルートは地上を半周するものではなく、中心を突っ切って進む直径になる。同じように四次元という概念を取り入れればワープすら可能になる」
いや、不可能だろ。と突っ込みそうになったが、さぎりは俺を紹介していないので、我慢した。
「なるほど。魔法というのは次元干渉によって生じる現象ということですね」
よくわからないが、納得しているらしい。大きく一度うなずいてから彼女は続けた。
「四次元は三次元に時間を加えた概念で間違いないんですか? 相対性理論に四次元が出てくると何かで読んだことがあります」
「いや、時間は関係ない。キミが言っているのはミンコフスキー空間だ。四次元には四次元空間と四次元時空とよばれるものがあり、四次元時空は縦横高さに時間という軸を足したもの、つまり俺達が日々暮らしているこの世界のことだ。対して四次元空間というのは縦横高さにプラスして、第四の方向に軸を加えたもの、ユークリッド計量空間のことだ。ドラえもんのポケットといえばわかりやすいかな。俺たちの暮らしている三次元には存在しない新たな要素が四次元目というわけだ」
全然わかりづらい。
「相対論を少し齧ると時間の進みが遅くなる、質量が増大するなど日常では考えられない不可思議な出来事が多く出てくる。その不思議な感じで、みんな勘違いしやすいんだが、不正確な四次元という言葉を使うのはいただけないな」
「では、四次元とはなんなのですか?」
「実際には存在していなくても、あると仮定して計算することで思考を広げる要素だと俺は考えている。虚数という数字を用意することによって解けなかった方程式を導きだすようにね」
やばい、話が難しすぎる。
こういう時はワンピースについて考えることにしている。
ラフテルっていったいなんなんだろう。
思考が二次元に飛んでいる俺と違い、真剣な面持ちのまま、さぎりは口を開いた。
「では、タイムマシンはできないのですか?」
「タイムマシン……?」
「はい。時間を行ったり来たりする道具です」
「いや、不可能ではないよ」
「本当ですか?」
興味が一気に注がれる。
トリップしかけた思考が戻ってきた。
俺のベストムービーはバックトゥザフューチャーだ。
「たとえば布団に入って、気がつけば明日になっていたとする。それだけで未来にタイムスリップしてるといえる。数百年の単位だと老化という現象が付きまとうが、冷凍睡眠の研究は日々進められていて、目が覚めたら人類の男は自分だけ、というシチュエーションもありえないことではないんだ。終末でハーレムしてみたいもんだ」
ありえねぇだろ。
「いえ、そういうわけではなく。聞きたいのは過去へのタイムスリップです」
「過去へ? いまの技術力じゃまず不可能だ。時間は一方向にしか流れていない。その前提が崩れたら物理が物理で無くなってしまう」
「未来の技術力なら可能ということですか?」
「そうは言っていない。例えば数学的にタイムトラベルは可能かもしれないが、実際に行うとなると膨大なエネルギーが必要になるし、計算式には『虚数』のような都合のいい仮定が多く含まれている。人類が過去へのタイムトラベルが可能になるのはまず無理だと思うよ」
香川さんは一拍置いてから続けた。
「それに、もし仮に出来たとしたら、SF小説お馴染みの矛盾がついて回るだろ」
「パラドックス、ですか?」
「有名なのが親殺しのパラドックス。タイムトラベルして自分が生まれる前の親を殺したとすると、自分という存在はどうなるのか、というやつだよ」
「生まれてこないはずの自分の子供に殺される、というわけですよね……」
「同じように過去の自分に忠告をして、その忠告を守ったとしたら、未来の自分は過去にタイムスリップする理由がなくなり、忠告する意味と忠告に行くという事実がなくなってしまう。解決策に多世界解釈があるが、どうなるかはやってみないとわからない。『死』と同じだな」
「なるほど……」
「こんな風にタイムマシンができると様々なパラドックスが生まれるんだ。技術的に可能だとしても、そんな危ういもの、易々と作るわけがないと思うね」
「そう、ですか……」
少しだけ残念そうにさぎりは呟いた。




