ユウナギオンザロード 1
一ヶ月ぐらい不登校をしていたら、学校に行く勇気を失ってしまった。
同級生からの励ましの手紙が煩わしく、書いてある文面は心にもないものばかりだったので、細かくちぎってゴミ箱に捨てた。
俺が引きこもってるのはお前らのように他人の気持ちがわからない奴等が多いからだ。
それでも死んだ友人への挨拶という、ある種の禊が済んだので、人生への区切りと思い込み、心機一転、家から外へ出ることにした。
一度もレールから外れたことのない人には、きっとこの気持ちはわからない。
動悸を抑えて、ドアノブに手をかける。
「やっほー。キヌゴシー。迎えに来たよー」
またかよ。
扉を閉めて、頭を抱える。
幻覚だって思い込んだ、死んだ幼馴染みが未だにそこに立っていた。
つい二日前、仏壇に手を合わせる俺を見て「ひゅー、これかっこいー! 手と手を合わせると幸せのやつだー」と、自身が眠っているはずの仏壇の扉を開けたり閉めたりしていた時から感づいていたが、どうやらこいつ、成仏する気配はないらしい。
「なんで閉めるのー?」
がちゃりと自宅の扉を開けられる。
物理法則はどこかにいってしまったらしい。
「あ、そーだ。キヌゴシ、祝福をあげるよ!」
たたきに立って少女は晴れやかな笑顔を俺に向けた。
「プレゼント?」
さっそく頭が痛くなってきた。
「だからね。キヌゴシが転移したくなるように今日からユウナは異世界の素晴らしさを伝えることにしたんだよ」
「それとプレゼントがどう関係あんだよ」
「ふっふっふ、気になるよねぇー」
「いや、やっぱ説明しないでいいや」
少女を押し避けて外に出る。
夏の空気が俺を包み込んだ。
吐きそうだ。
蝉時雨が俺を包み込む。
隣の一軒家の庭の鉢植えに植えられた枯れた朝顔が頭を垂れていた。
午前中なら行けるかと思ったが、大分気持ち悪い。昨日は夜の十時には床についたのに、眠気に似た倦怠感が身体にまとわりついている。
「えー、聞いてよ、聞いてよ!」
「ついてくんなよ……」
「キヌゴシにね、転移してもらおうとしている世界はね。毎日神様からのプレゼントがもらえる世界なんだよ。だから今日はそれにならってキヌゴシにプレゼントをあげるの」
「ログインボーナスかよ……」
「一日目の祝福はこちら!」
夕凪は俺に金色の長方形の紙を差し出してきた。なんだこれ。
「プレミアムチケットだよ」
「……」
「本来ならこれを手に入れるには百ゴールドのお布施が必要なんだけど、初回は特別に無料!」
「スタートダッシュキャンペーンかな?」
受け取ってためつすがめつしてみる。
チケットには「かたたきけん」と書かれていたが、それを黒マジックペンで消し、上にプレミアムチケットと書き直されていた。
てかこれ金色の折り紙だろ。
「これ使うとなにがあんの?」
「ガチャが回せるよ」
「なんのガチャだよ」
「ふっふっふー。さっそく使ってみる?」
「じゃあ、はい」
夕凪にチケットを返す。持っていても邪魔だからだ。木立の影が落ちた笑顔を振り撒いて、彼女は受け取ったチケットを大事そうにポケットにしまうと「とぅるるらるるん」と謎の言語を口にした。電波受信中かな?
「当たったよ!」
ぱん、と手を打ち付けて夕凪は微笑んだ。
「なにが?」
「水着!」
「は?」
「ほらー」
夕凪は着ていたシャツをたくしあげた。下にスクール水着を着ていた。
「意味わからん」
「プレミアムガチャチケットでユウナ専用装備のスクミズが手に入りましたー。やったぁ!」
「なんで俺のログインボーナスで手にいれた俺のガチャチケットでお前の水着が手にはいるんだよ!」
「ガチャっていうのはそういうものだよ。大抵必要としてるものは手に入らないんだよ。ああムジョーってやつだね!」
悲しい瞳で悟った風なことを言いやがって。
子供の相手をするのは疲れたので、そのまま真っ直ぐ学校に向かうことにした。
灼熱の太陽光が照り焼きにせんと町に降り注ぐ。残暑のはずなのに、気温的には酷暑である。
汗がだらだら垂れるのは、暑さだけのせいではないだろう。ずっと誰かに見られているような不快感が足を重くする。もつれる足を前に進ませ、ようやく駅前にたどり着いた。ここに来れただけでだいぶ達成感だ。
「ステーション、だねぇ! ユウナね、イングリッシュ、少しは話せるんだよ。すごいでしょ?」
しょうもないことで得意気になる夕凪に密かに感謝した。きっと一人では外に出ることすら出来なかっただろう。磨耗した精神が産み出した妄想であろうと、彼女に救われているのは確かだ。
口には出さないが。
駅前は人でごった返していた。日本刀を持って暴れまわりたい気分だ。右下あたりにキル数が表示される仕様にしてくれたら、爽快感が増すのだけど、と考えていたら、夕凪に「一人でニタニタ笑って気持ち悪いんだー」と突っ込まれてしまった。
定期が切れているので切符を購入し、改札を潜る。数ヵ月前はなにも感じず乗っていた車両なのに、いまは酷く緊張してしまう。
ホーム階に上がると同時にアナウンスを轟音で引き裂いて、電車が到着した。
列の一番後ろに並び、そのまま流れに従って乗車する。
つり革にも手すりにも捕まれなかったので、「呼ッ」と三戦立ちで身構える。
「キヌゴシ、ぎゅうぎゅう。くるしいよ」
妄想のはずなのに、夕凪も普通についてきた。他の人は彼女のことをどのように知覚しているのだろうか。俺にしか見えないはずなのに。冷静に考えたら随分と都合のよい存在だ。ぽっかり一人分のスペースを空いていることになっているのだろうか
「これから学校行くんだね」
「……」
「学校に行こうだね。未成年の主張だね! えぶらはーしゃらららえっびぼうぼうさんしゃーいん」
他の人には夕凪の声は聞こえないし、姿も見えないはずなので、俺は返事をせず口を真一文に引き結んだ。
「あ、そうだ。さっき言い忘れたんだけどー、高校の制服のキヌゴシねー、えっと、えへへ、かっこいいね」
照れた風に言うのでこっちが気恥ずかしくなってしまった。
車内は息苦しかったが、冷房のお陰で不快感は無かった。
それはそうと彼女はほんとうに何者なのだろう。
タルパ、というやつか?
俺は思考を埋没させることで現実から目を背けることにした。
電車はどんどんと目的地である終着駅に向かっていく。
夕凪は天使と名乗った。
……制服をきた何人かが同じ車両にいる。
俺は死にかけた。
……同じ学校の生徒だ。
夕凪はたしかに死んだはずだ。
……見覚えのある横顔。
血をぶちまけて。
……つり革に捕まっていたのは港さぎりだった。
「っっ」
喉に込み上げてくるものを感じた。一気に気分が悪くなる。キリキリと胃が締め付けられる。
幸いなことに丁度駅に停車したところだったので、流れにしたがって、電車を降りた。
「はあ、はあ」
息も絶え絶えにホームに座り込む。噎せ返るようなような熱気がアスファルトから上っている。屋根もない吹きさらしの寂れたホームだ。心配というより訝しむような視線を浴びせられながらも、呼吸を整える。
たくさんの憂鬱を詰め込んだ棺桶のような電車は港さぎりと共に出発した。
夏の熱気と憂鬱のみがホームに残される。
「へーきー? ゲロるのー?」
夕凪が俺の背中をさすった。明るい声に憂鬱が紛らうような気がした。
「いや……」
「さっきまで元気だったのに、何があったの?」
「……隣の席の女子がいたんだ。俺の事を嫌ってる」
「そうなんだー、でもさぁ、その人が嫌ってるかどうかなんてわからないじゃん」
「いや、わかるんだよ」
「えーだってそんなさー、気にしすぎだよー」
「本人にっ、嫌いだって言われ……!」
質問を繰り返す夕凪に俺は苛立って、怒鳴り付けようと立ち上がったが、最期まで言葉を吐き出すことができなかった。
「なにぶつぶつ言ってんの?」
港さぎりが立っていたからだ。
「あ……」
勝ち気な瞳と目が合う。
さぎりの長い髪が向かいのホームを走り抜けた急行の風に煽られて浮かび上がった。