雨上がりの秋空に 1
あれから何日か過ぎた。
最初は夕凪を探し求めて色々なところに出掛けたが、結局見つけることは出来なかった。
喉にぱっくりと空いた傷を忘れたふりして、歩き続けた。
公園、仏壇、お墓に小学校。思い付くところは全部行った。
重たい足を引きずって、結局全部が徒労に終わった。いや、はじめからわかっていたのだ。彼女がこの世界にいるはずないと。
昔、夕凪と遊んだ公園では秋風に吹かれて、ブランコが寂しげに揺れていた。
前に進んでいるように見えて、その実行ったり来たりを繰り返しているだけ。結局俺もずっとブランコに乗っているようなもんだな、なんてばかみたいに考えていた。
前提が間違っていた。
彼女は十年前に死んだ存在であり、夏の暑さにやられて、幻覚を見ていただけなのだ。
元に戻っただけ、だから、これ以上は望まない。
そのはずなのに、なんにもやる気が起きなくなった。動く元気もないし、外にいく理由もない。
気付けば何日も学校を無断欠席していたが、特に気にはならなかった。
死にたいとも思わない。
生きてるのがただひたすらめんどくさくなった。
一日があっという間に過ぎていく。二十四時間を布団の上で過ごすが、親に無理矢理食べさせられるので、死ぬことはかなわなかった。
窓ガラスを雨粒が叩く音がした。天候は下り坂らしいが、俺には関係なかった。
天気も事件も、戦争も世界平和も、朝日も夕日も望まない。
遮光カーテンが締め切られているので、今が昼なのか夜なのかもどうでもよかった。真っ暗な部屋で、泣くことも笑うことも気が狂うこともなく、ただただ膨大な時間を過ごした。
どこにも繋がらない部屋は平穏に満ちていて、無感情で過ごす日々は淡々と過ぎていく。
時間という概念が喪失しかけた、ある日の事だった。
「いい加減にしなさい」
がんとドアが蹴られた。
沈殿していた意識が、石を投げ入れた水底の泥のように、浮き上がる。
覚えのある甲高い声。
港さぎりの声だった。
「留年したいの? 課題持ってきたからやりなさいよ」
ドスのきいた声で彼女はぶっきらぼうに言った。
学校に行く気すらしていないのだから、今さらそんな事どうでもよかった。
「……あんたが引きこもってる理由なら大体想像つくわ。朝比奈夕凪のことでしょ?」
「……」
「私もベルの目を通して見ていた」
返事をしようかと迷ったが、水気のない喉はうまく言葉を発することができなかった。
彼女が真っ正面から生まれ変わりを肯定するなんて珍しい。それほど心配をかけているのだと思うと、少しだけ申し訳ない気持ちになった。
「ドアを開けて。一つの仮説をたてたの。解決はできないけど、ある程度納得のいく水準には達したわ」
彼女の言葉は理解できるが、俺の筋肉は動かなかった。
全身を包み込む気だるさが、行動力を阻んでいるようだった。
「返事ぐらいしなさいよ。腹立つ」
ガチャガチャとドアノブを回される。鍵がかかっているので開くことは無かった。
「シカトされんの嫌いなんだけど」
語気を荒らげて彼女は続けた。
「そんなとこに引きこもってなにがしたいのよ! 死にたいの? 死なせるわけないじゃん! 復讐は終わってないんだから!」
激しくノックされるが、体を起き上がらせることすら出来なかった。
立ち上がる気もしないのだ。まるで金縛りにあったみたいに、一歩引いたところで自分を俯瞰している。
「勝手に悩んでこもって、相談くらいしなさいよ、ばか!」
ノックが激しくなる。雨音が遠くになった。
バギっ、ドアに穴があく音がした。
ドアノブの近くに穴が開いてさぎりの右足が突き出していた。なんて豪胆な女だろうか。鍵がかかってたらドアを蹴破ればいいじゃない、と言わんばかりの無慈悲な暴力だ。
ただし、彼女の足には木片が突き刺さっていた。
「さぎり、あし……大丈夫か?」
かすれた声をかけると、
「痛いわよ!」
と逆ギレされた。
足を引き上げて、空いた穴からボタンのようにくりくりとした瞳が覗く。涙目だった。
人も家のドアに穴を開けるなんて単純にくそやろうじゃねぇか。
横向きに寝そべったままの視線がぶつかる。
「学校に来て」
「……行く気しない」
「じゃなきゃ、この扉の修理費用払わないわよ」
「それとこれとは話が別だろ……ちゃんと払えよ」
「ちゃんと学校来たらね」
そう言って、彼女は空いた穴からプリントを放り投げてきた。ひらひらと宙を舞って地面に落ちる。最初に言っていた学校の課題だろうか。
びっこをひく足音だけが遠ざかっていく。
空いた穴から光が漏れていた。ずっと薄暗闇にいたので、僅かな光にも、目が眩んだ。
部屋は暗くて、思考停止できるので、助けられてきた。
遠くからさぎりが両親に謝罪する声が微かに聞こえた。
ドアを蹴破ってごめんなさい。
母親の呆れ顔が目に浮かぶ。父親の苦笑いも。
いろいろな人に心配をかけているのは事実で、申し訳なく思う一方でほっといてくれ、とも思うから、俺はきっとワガママなのだろう。
高天原での夕凪の言葉を思い出す。
自分のために生きるというのはこういうことなのかもしれない。
立ち上がる。
ふらついて、転びそうになった。
ちゃんと立つのも久しぶりだ。
投げ込まれたプリントを拾い、文章を読もうとしたが、暗くてわからなかった。
電気をつけようと思ったが、スイッチの場所を手探りで探すより、窓のカーテンを開ける方が早いと判断して、手を伸ばす。
少し重たいカーテンを開け放つと、小気味良い音がして、雨が降りしきる世界が広がった。
お世辞にいい景色とは言えなかったし、どしゃ降りという表現がぴったりの空模様だったが、それでも光は射していた。




