ほかに選択肢がないのです 5
ベルとさぎりの前世がゴリラと判明し、たしかな充足感を抱いたところでスワンボートは岸に漂着した。
地面は少しだけぬかるみ歩きづらかった。
相変わらず霧が濃いので全景はうかがい知れないが、とてつもなくデカイ建物があるのがわかった。
「ついたね。ここが神の御座」
ごくりとツバを飲み込んでベルが呟いた。
「ベル、キヌ、油断せずに行きましょう」
西洋風の洋館らしい。
門はひしゃげて機能を果たしておらず、外壁も茶色にくすみ、所々ひび割れていた。
草が生い茂る庭を通り抜けて、洋館の入り口を目指す。
「あ」
灯りが宙に浮いていた。ふわふわと漂って、こちらに向かって来ている。霧でよく分からないが、蛍のように淡い光を放っていた。
「人魂?」とレイナが小さく呟き、剣に手をやった。
「いや……」
「なぁんだ。天空魚か」
ベルが安堵の息をついた。丸い灯りがふよふよと漂い俺たちの前を横切る。
金魚だった。
「な……」
隠世にいた空飛ぶ金魚だ。
赤い光を放つ和金だった。
「大丈夫ですよ。キヌ、彼らに敵意はありません。さあ、洋館に行きましょう」
生物の生息域が被ることはよくあるが、幻想的な金魚をここでも見れるとは思わなかった。
ドアは有ってないようなものだった。足を踏み入れた館は荒れており、雑草が生い茂っていた。。
ガラスは砕け地面に散らばり、壁の隙間から蔦が入り込んでいる。火災に巻き込まれた跡もあり、黒く炭化した家財道具などが転がっていた。
広いエントランスには巨大なシャンデリアが落ち、無惨にバラバラになっている。
外観は霧で確認できなかったが、内部の荒れっぷりは酷い。
とてもじゃないが『神様』と評される何かがいる空間とは思えなかった。
「先の大戦で空爆されたようですね……」
ぽつりとレイナが呟いた。
「……」
先の大戦。
異世界の魔王と人類の血みどろの争い。
魔王はノスフェラトゥであり、暴れだす前に隠世で消滅させたので、レイナの世界は救われた、と夕凪は言っていた。
事実、だろうか。
どうも草原での出来事はいつも以上に記憶があやふやで確信がもてない。
俺と彼女達の知っている歴史に齟齬はないか、確かめてみよう、と声をかけようとしたとき、
「お前ら、こっちだ」
と大男が声をかけながら奥の部屋から現れた。
「ボランジ、先についていたんですね!」
ボランジと呼ばれた筋骨隆々の男性はたっぷり蓄えたアゴヒゲを撫でながら小走りで駆け寄るレイナに白い歯を見せて微笑んだ。
「お前らが遅いだけだ。ん、そちらは?」
「キヌゴシ・ドーフ。私とベルの育ったランツヘイン孤児院の旧友で、トロルを一撃で倒した男の子です」
「おお、キミが噂の」
「キヌ、こちらはボランジ・シャンパーニュ。竜の爪の創始者であり、四天王の一角である紅玉の剣士です」
「よろしくな。ドラゴンクロウはキミは歓迎するぜ」
「よろしくお願いします」
歓迎はしなくて良い。
がっちりと握手を交わすが、所属しようとは思わなかった。
「しかしレイナ、いくら彼が強力な能力を持っていようとドラクロのクエストに連れてくるのはいただけないな」
!?
略した! ドラゴンクロウをドラクロって略した! ダサい、ダサすぎる!
「すみません。ですが、必ずしもキヌも無関係とは言い切れないのです」
「どういうことだ」
「彼は異世界人なんです。それに第五種接近遭遇を果たしている可能性があります」
「なんだと」
偉丈夫の表情が険しくなる。所々崩れてひび割れた壁からすきま風が吹き込んでいた。
水辺が近いからか震えが起こるぐらい寒かった。
「キミ、いまのは本当か?」
「異世界人……というのは本当ですが、その、第五種接近遭遇というのはよくわかりません」
「『偉大なる知性』と直接対話をしたものを便宜的にそう呼んでいるんだ。『能力』を携わった者、と言えばわかるかな」
「……」
夕凪の笑顔が脳裏をよぎった。
カノジョの存在を把握しているというのだろうか。
風が唸りをあげていた。
「レイちゃん、……なんでそう思うの?」
おずおずとベルがレイナに訪ねた。
「ランツヘイン孤児院を思い出してください。キヌと過ごした思い出はあのダンジョン探査以外にありますか?」
「……秋の芋掘り大会で優勝した……」
「それはノイフルです」
「自転車で右手と左手を交差させて転けてた」
「フリットです」
「濡れた輪ゴムを素足で踏んで騒いでた……」
「ジータですね」
「じゃあ、レイちゃんは私のこの感情も嘘のモノだっていうの?」
「はい。人の感情をコントロールできる者、『偉大なる知性』の仕業です」
「酷いよ……」
ボロボロとベルは泣き崩れた。
話が見えず俺はおろおろと戸惑うだけだ。
「ああ、キヌ、別に責めているわけでは無いのです。話を聞かせて欲しいだけです」
「そうだ。我々はキミの味方だ」
レイナが慌てたように言い、取り繕うようにボランジが声をあげた。嘘は言ってなさそうだが、正直気分は良くない。
「我々『竜の爪』はキミと同じように異世界からやって来た青年から話を伺ったことがある。彼はなんでもニトントラックに跳ねられたらしいが、キミはどうなんだ」
またニトントラックかよ。
「俺は、クローゼットから……」
「そうか。いろんなパターンがあるんだな……」
ボランジは考え込むように腕を組んだ。
表情は相変わらず固い。
「あの、その『偉大なる知性』を突き止めて、貴方達はなにがしたいんですか?」
思わず訊ねていた。彼らの目的が気になったのだ。
「ん。そうだな」
ボランジはきょとんとした表情で俺を見て続けた。
「ムカつくじゃないか。他人を思うようにコントロールするなんて」
「そりゃ、そうですけど」
「デリカシーがない。俺たちは愛玩動物じゃなく、意思ある人間だ」
「でも操作されてることを知らなければ、幸せなのでは……」
「たしかにそうだ。そういう考え方もあるだろう。そもそもにして、『偉大なる知性』が本当にあるのかどうかもまだわからないしな」
組んでいた腕をといて、彼は少年のように歯を見せて笑った。
「だがもし仮に有ったとしたら、ソイツは常に我々の生きる世界を滅ぼす権利を持っていることになる。隣人が首筋にナイフをあてがっているようなものだ。そんなのは我慢ならないじゃないか」
ミサイルのスイッチを夕凪が持っているとしたら、たしかに恐怖だ。どんな癇癪で押されるかわかったもんじゃない。
「自分が誰を愛そうが、誰を嫌おうが、本来は自由であるべきなんだ。幸いにして、俺はまだ俺だと胸を張って言える。だから、俺が俺じゃなくなくなる前に、『ソイツ』を……」
言いかけて彼は言葉を濁した。
「いや、やめておこう。叶えてもないことを語るのは弱者のすることだ。ともかく我々は歴史を都合よく動かす何者かがいると考えている。目的は不明だが、なぜ我々をオモチャのように扱うのか、会ったら聞いてみたいもんだな」
悪い人では無さそうだが、いい人でも無さそうだった。
俺も少し身の振り方を考えた方が良いかもしれない。
「我々の目的は対話だ。その為にこの依頼を受けた」
「神の御座がどうたらってやつですか?」
「ああ、静謐の館に『超技術物体』が発見されたと報告が上がってな。……まあ、本当は我々の仲間の一人が捕捉して、移動する物体を無理矢理引き留めたんだが……。ともかくこれで王国を通して直々にドラコンクロウ指名で調査依頼を出してくれた」
オーバーテクノロジー。現在科学では実現不可能な技術のことだ。
「こっちだ。今はテッサが見張ってくれている」
くるりと俺たちに背中を向けて彼は歩き始めた。
俺はどうすればいいのだろう。




