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ほかに選択肢がないのです 4


 レイナが手配した馬車に揺られて町を出る。本当は荷馬車らしく、乗り心地はあまり良くなかったが、贅沢は言ってられない。

 舗装もろくにされていない道ばかり通るので、ガタガタと揺れてお尻が痛くなった。川上に進むと、森についた。「これ以上は無理だねぇ」という馬車の運転手にチップを渡して、レイナは森に入っていった。

 慌てて俺もあとに続く。

「キヌ、気を付けてください。強くはありませんがこの森は魔物が出ます」


「魔物ねぇ……」


 こんなことなら町で待機しておけば良かった。生まれも育ちも東京都民の俺にトレッキングの経験はない。強いて言えば小学校高学年の時に高尾山を遠足で登ったぐらいだ。

 慣れない環境で魔物とやらに出会ってもうまく逃げられる気がしない。

 土と草の匂いが強く、風が吹く度に葉が擦れる音が薄暗い森に響き渡った。


「グルルルル……」


 獣の息遣いを感じた。嫌な予感が過る。茂みに目線をやると豚の被り物をしたデカイ化け物が居た。


「嘘やろ……」


 思わず関西弁になってしまった。


「オークですね」


 ずいっとレイナは前に出ると、腰にぶら下げていた剣を引き抜き、両手で構えた。


「気を付けてください。知能は低いですが、凶暴な魔物です」


「ああ、かの有名な」


 刀身がピタリとオークに向けられる。木漏れ日を浴びて刃が白く光った。


 大丈夫かな、と心配しつつも俺は一歩後ろに下がった。

 女騎士対オークという熱い戦いが始まろうとしていた。


「ふっん!」


 一閃。まばたきの隙を与えないほどの一瞬で、オークの首は飛び、レイナは剣の血糊を拭うと鞘に戻していた。体育館に転がるバスケットボールみたいに生首が地面に転がる。

 苔むした木の幹に鮮血がぶちまけられた。


「あ、おめでとうございます。キヌ、レベルアップしましたよ」


「え、なんで?」


「最初にオークと相対したからですかね」


 涼しい顔でモンスターを惨殺した少女はにこやかに言った。こちらの世界の倫理観がいまいちわからなかったし、レベルアップがなにを指しているのか不明瞭だったが、生きるために殺すという過程を拝見し、少しは成長したのかもしれない。どう考えても過剰防衛だか。


 その後も、けして雑魚とは思えないモンスターが多く出現したが、事も無げにレイナは切り捨てていった。どうやら血腥(ちなまぐさ)い戦いに慣れているらしい。

 リカントやゴブリン、熊や猿に、はてには虎なんかも出たが、レイナの敵ではなく、珍しい生物に高揚するよりも、モンスターを涼しい顔でを惨殺する少女に恐怖を覚えた。少女は殺しに精通しているらしく、かつての純粋さは見る影もない。

 野性動物を含むモンスターを退治する度に彼女は俺の方を向いて「キヌ、またレベルアップです」と微笑んだ。どうやら初期はみるみるレベル上がるようにできているらしい。ゲームとおんなじだ。


 森を抜けると霧が立ち込める湖畔についた。霧が深く全景は分からなかったが、ずいぶんとデカい湖のようだ。

 岸から伸びる木製の桟橋に一人の少女が立っていた。


「レイちゃん、おそいよー!」


 霧の中でとんがり帽子がぴょこぴょこと揺れているのがわかった。黒いローブを羽織った少女が大きく手を振っている。

「え……」


 質の悪いコスプレのような格好に身を包んだ少女のあどけない瞳が揺らぐ。


「うそ、でしょ。キヌゴシ……?」


「……」


 間違いない。ベルだ。

 だいぶ大人になっているが、かつて一緒にダンジョンに潜った仲間の一人で、

 どちらが先かはわからないが、クラスメートの港さぎりの生まれ変わり。


「キヌゴシ、だよね?」


「ええ、キヌゴシです」


 熟考する俺の代わりにレイナが返事をしてくれた。


「うわあああん!」


 突如として大声で泣かれた。野鳥の群れが大空へ飛び立つ。


「キヌだ! よかった、生きてたんだねぇ!」


 アヒルのように足をばたつかせて彼女は俺に駆け寄ると、そのままに抱きついてきた。

「うわっ!」勢いに負けて後ろに倒れてしまう。


「会いたかった! 会いたかったよぉ! ずっとずっとずっと! 大好きだったんだよぉ! キヌゴシ! 生きてたんだ! よかったぁ!」


 押し倒される。馬乗りになったベルはボロボロと泣きながら俺の顔面に涙の粒を垂らし始めた。なんの嫌がらせだ。


「なんで連絡くれなかったの? 待ってたのに!」


「お、落ち着けよ。頼むから……」


 ヒートアップする少女の感情をレイナが宥めてくれ、事情を聞き届けたベルは浅く息をついて「そうだったんだね」と納得してくれた。


 ローブの裾のホコリを払いながら咳払いをし、ベルは俺の方を向き直すと、「改めて宜しくね、キヌゴシ!」と微笑んだ。

 なにをどうよろしくすればいいのか疑問だったが、「こちらこそ」と社交辞令的に応じる。


 俺のことを豚の親戚かなにかと思っているさぎりの生まれ変わりとは思えないくらいベルは良いやつだ。本当に彼女とさぎりの魂は同一のものだろうか。


「よーし、それじゃあ、行こっか!」


 機嫌良くベルは微笑んだ。霧により景色が霞んでいる。静かに揺れる水面を指差し、少女は「ちんからほい」と唱えた。

 俺が知る限り、それは物体浮遊呪文のはずなのに、湖の上にボャンと間抜けな音共にスワンボートが現れた。


「さあ、乗って!」


 ぴょん、ボートに臆することなく乗り込むベルとレイナ。

 観光地の湖によくある足こぎ型のスワンボートだ。

 まさかの展開に二の足を踏む俺を「早く乗ってください」とレイナが急かした。

 気恥ずかしさを感じている場合ではないらしい。後部座席に腰かける。


「じゃあ、行きますよ!」


 ハンドルに手をかけたレイナの声と共に三人で足漕ぎを始める。キコキコキコとペダルが音をたてる度、バシャバシャとボートは前に進んだ。間抜けとしか言い様のない光景だった。


「ところでどこに向かってるんだ?」


 重いペダルを漕ぎながら尋ねる。

 ベルは帽子のつばをつまんで答えた。


「もちろん神の御座だよ! レイちゃんから話を聞いてるよね?」


「こんなボートで行けるのかよ」


「浮島にある洋館にソレがあるらしいんだよ!」


 ベルの返事を受けて、目を凝らして見たが、霧が濃すぎてなにも見えなかった。視界不良で不安しかない。遭難数分前の状況が延々と続いているようだった。


「こんな霧が深いのに湖に出るのは危なくないか?」


 と言ったら、ポカンとされた。


「あっ、そっか、キヌには心眼(アナライズ)のスキルが無いんだね」


「なにそれ」


「見えざるものが見えるスキルのことだよ」


 幽霊系の怖いものが苦手なので、そんなスキルは無くていい。心療内科のお世話にはなりたくない。


 手を伸ばしたら指先が霞むほどの霧が続いている。ボートの中でさえ、視界はぼやけている。不安になるな、という方が無理だろう。

 ペダルを漕ぐという単調作業を繰り返していると、どうしても嫌な考えが頭を過るが、隠世で変な二枚貝が幻覚を見せたことを思い出し、あんまり思い悩むのはやめようと心に決める。

 もっと思考をシンプルにするのだ。

 例えばさぎりは俺のことをどう思っているのか、とか。


 ベルの後頭部がさぎりのものと重なって見えた。

 ベルは少なからず俺のことを憎からず思ってくれているが、彼女と同じ魂を持つさぎりはそうとは限らない。

 そもそもにして、こいつにさぎりの意志はあるのだろうか。ふと気になった。


「テスト」


「……」


 小さく蚊の鳴くような声で囁く。学生向けのワードで反応したら、さぎりの意志が宿っている可能性は高いだろう。


「学活」


「……」


「ロングホームルーム」


「……」


 反応はない。どうやら思い過ごしらしい。ベルにさぎりの意識はない。


「バナナ」


「ん? なに、さっきから」


「いや、なんでもない」


「もぉう、なんなのー?」


 にへらと笑いながら正面を向き直す。

 ふむ、バナナには反応あり、と。


「ブラスバンド」


「……」


「ジャングル」


「ん?」


「……」


「……?」


「魔法使い」


「……」


「港さぎり」


「……」


「ドラミング」


「さっきからなに?」


「いや、なんでもない」


「……もういみわかんない」


「悪い悪い」


「もう……」


「……」


「ウホ?」


「キヌゴシ、頭、大丈夫?」


 こいつの前世ゴリラだわ。



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