ほかに選択肢がないのです 2
人混みの喧騒が切り取られたように遠くの音になる。涼しげな風が吹き抜け、少女の艶やかな金髪を巻き上げた。
レイナ・ネイ。
かつて俺を助けてくれた少女だ。
「生きていたんですね」
彼女は成長しており、出会ったときの子供ではなくなっていた。特に胸の成長が著しい。目算にして十五、六歳になっていたが、純粋無垢な瞳は未だに濁っていなかった。
「ああ、なんて、なんて良い日なのでしょうか! またキヌに会えるなんて」
彼女は天に感謝するように胸の前で手を組んだ。
「卒業試験のとき、あなたがいなかったら私やベルは死んでいました。ずっと、お礼が言いたかったんです。……生きていたなら連絡をくれればよかったのに……どれだけ私たちが心配したか……」
ボロボロと泣かれてしまうので、戸惑ってしまう。
「どこに行っていたんですか?」
「ちょっと、えっと異世界に……」
あまりの急展開に誤魔化すことも忘れて正直に返事をしてしまったが、少女は「やはり」と得心が言ったように頷いた。
「そうではないかと考えていました。あの時、十五名でダンジョン攻略に臨むはずだったのに、あなたは自然に私たちに溶け込んでいました。憧れだった騎士になってからも、あなたほど異質な能力値の者には未だ出会っていません」
レイナは急所のみ金板がついた簡易的な鎧を纏っていた。腰には 剣がぶら下げられている。……それにしてもスリム体型なのに胸がデカイな。
「キヌ……?」
「あ、いや、えっと、異質な能力値ってどういうこと?」
「私のスキル、心眼は対象の詳細な能力値を把握することができます。にもかかわらずキヌのデータだけ、まるっきし、なにも見えないんです。成長した今ならば、と思いましたが、……やはり見えません……。……あの、ステータスは確認できませんが、キヌのいまの状態は見れるんですよ」
「ん、どゆこと?」
頬を仄かに上気させて彼女はポツリと呟くみたいに言った。
「状態、煩悩と出ています」
「……」
胸ばっか見すぎた。
深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
「あ、状態、普通に戻りました」
なんてそら恐ろしい能力だろうか。
「そ、それで、キヌ。最後に会ってからもう十年です。なぜ今さらになってこちらの世界にやってきたのですか?」
誤魔化すようにレイナは聞いてきた。空々しいが、彼女なりの優しさだろう。
「それがいまいちわからないんだよな。クローゼットくぐったらこっちの世界についてたし……」
「目的とかはないんですか? 出来る範囲でお手伝いしますよ!」
俺の望みはただ一つだ。
「間違って異世界にやって来てしまったわけで……どうすれば戻れるか知らない?」
「……帰りたいんですか?」
寂しそうに少女は俺を見つめた。
「ああ、えっと、まあね」
あんまり休むと期末ヤバいし。
「そうですか、それならば止めません。協力致します。念のため確認ですがキヌゴシは異世界人なんですね」
首肯する。
「なるほど、それなら任せてください。ここは人種の坩堝ルワジマ、異世界との交流が盛んな町で、誤ってこの世界に来てしまった方むけの施設がたくさんあるんです」
そう言って彼女は花咲ような笑顔を俺に向けた。
「いきましょう!」
案外押しの強い少女だ。
まあいい。夕凪とはぐれてしまったが、あいつといると何でもかんでもゲームみたいにされるから、今回は早々に帰ることにしよう。そうと決めたら頼れるのはレイナみたいなこっちの世界の住人だ。
町並みはどこも特殊で、見ていて興味深いものばかりだった。
すれ違う人たちは古代ギリシャの哲学者のようなダボダボとした布地を羽織っており、日本ではないことを再認識させられた。
橋を多く渡った。運河が広がり、ゴンドラに似た船がいくつも通っている。太陽光を浴びてキラキラと輝く水面が美しかった。
広場にはデカい時計塔があり、近くに四角い建物があった。レイナは入り口で立ち止まると俺の方を向いて微笑んだ。
「ここは異世界から間違って来てしまった人が訪れるべきところ、らしいです」
「現地邦人の手助けしてくれる大使館みたいな場所ってこと?」
「さあ、私は異世界に行ったことないので分かりかねますが、きっとそういう場所なんでしょうね」
「ありがとう、レイナ。それじゃあ行ってくる」
「はい、気をつけて」
柔らかく微笑まれる。なんて健気でいい子だろうか。こんな子が友達だったら本当に幸せなのに。
「キヌ」
「ん? なに?」
通りすぎようとした俺の手を優しく掴み、
「施設での確認が終わったら、少し時間作れませんか?」
と照れたように言われた。
「もっとお話したいです」
「あ、ああ。わかった」
浮かれながら施設に入る。それにしても胸がとてもデカかった。
中は明るく、清潔感が漂う空間だった。
カウンターには職員が等間隔に座り、対面に座る人に何かしらの説明をしている。空いている席が一つあったので、そこに腰を落ち着けたら、受付のおねぇさんに「こちらの用紙に記入してから、番号札をとってお待ち下さい」とめんどくさそうに案内された。
受け取った紙をテーブルの上で広げて確認してみる。英語で書かれていたので、内容よくわからなかったが、英検準二の力を発動し、必死で記入項目を読み解く。備え付けのペンで住所や名前を必死で埋めていき、なんとか表が関係なくしたところで番号札を取ったら、タイミングよく窓口に呼ばれた。
「今日はどうされました」
窓口の女性が作り笑いを浮かべて俺に微笑みかけてきた。
出来立てホヤホヤの用紙をさしだし、
「日本から来ました」
と告げる。
「ニホンですか。あまり聞いたことのない土地ですね。職歴はございますか?」
「職歴? 高校生です」
「ん。失礼ですが、今の職業は『無職』となってますが」
「ああ、そういえば、そんな選択しましたね」
「嘘つかないでくださいね。えーと、無職で経験つまれて、何になりたいとかってありますか?」
「……」
なんかおかしいぞ。
ちらりと横を見ると受付が対面に座る相談者を「この空白期間、なにしてたんだ?」と高圧的に煽っていた。
「ハローワークじゃねぇか!」
思わず立ち上がって叫んでしまった。
「いいえ、ここは天職神殿です」
受付のおねえさんはギロリと俺を睨み付けた。
「コシイさんの転職をサポートする神殿です」
「くそぅ、夕凪め。結局あいつの手の平で転がされているというわけか……」
バン! と机を叩かれた。ギョッとして目をやると受付のおねえさんが不機嫌そうに眉間にシワを寄せていた。
「コシイさん、冷やかしなら帰って貰えますか? たくさんのかたがお待ちなんですよ」
「あ、いえ、ちゃんとやります」
居住まいを正して、真剣な表情を作る。怒らせると怖いタイプのおねえさんらしい。
「えーと、とりあえずクリエイティブな仕事がしたいです」
「資格がないと難しいですね」
「英検準二持ってます。漢検も五級」
「あなたの経歴でなれそうな職業はこれぐらいです」
ファイルをガソゴソといじり、おねえさんは机の上に一枚の紙を置いた。
年間休日、百二十は譲れないよな、と思いながら紙を持ち上げる。
ご丁寧に、漢字で『盗賊』と書かれていた。
「それは職業ではなくて、犯罪者では……」
「それでは、盗賊に応募しますね」
「えっ、ちょっと待って……」
制止を聞かずおねえさんは盗賊と書かれた紙を掲げた。
ボウ、と青い火が端から出る。あんぐりと口をあけて見ていたら、「お待たせいたしました」と事務的な笑顔をむけられた。
「承認されました。コシイさんは今日から盗賊です」
「え?」
お父さん、お母さん、息子は異世界で犯罪者になりました。




