ほかに選択肢がないのです 1
紅葉に木々が色づき始め、通っている高校でも衣替えが行われた。
防虫剤の香りが残るブレザーを羽織り、少し重くなった体を引きずりながら帰宅すると、
夕凪がパソコンで一昔前のフラッシュを見て、ゲラゲラと笑っていた。
「ち、ちびまる子ちゃんが始まると思っていたのに! ぶ、ブロリー!」
なにがそんなに面白いのか、「ヒィヒィ」と引き付けに似た笑い声をあげている。
お墓参りをしたら、死んだ幼馴染みの霊に取りつかれてしまった。
現状を端的に表すならば、こうだ。
血色の良い少女の肌は仄かに赤く染まり、とてもじゃないが霊的存在には見えなかった。
高天原の成長した夕凪は錯覚だったのかもしれない。
今の彼女は神とか天使とかそういう高尚な存在には思えなかった。せいぜい背後霊が関の山だ。
「あのさ、夕凪。結局、なにしに来たの?」
鞄を机に引っかけながら感じた疑問を素直にぶつけると少女はこてんと首をかしげた。
「なにって、キヌゴシはユウナがいないとダメだからさー」
にしし、と歯を見せて笑う。腹はたたなかったが舐められている気がした。
「悪いけど一人で生きていけるから」
「そーゆーことじゃなくてぇ、例えば、神様からの贈り物とか、キヌゴシじゃ神聖足りなくてわからないでしょ?」
「贈り物?」
「そそ。ユウナは啓蒙者なんだよぉ。だからわかりやすーく啓示を与えるの」
突然難しいことを宣い始めた。
使用する品詞の難易度が極端に上がり、高低さにギャップを感じる。
「……意味不明なんだが」
「ん。えっとね。日本には職業選択の自由ってのがあってね。キヌゴシはいま無職だから、ジョブを選べるんだよ」
彼女は机の上のノートパソコンをパタンと閉じ、俺の方を向き直るとニタリと笑った。
「転職のプレゼント」
「無職じゃねぇわ。ダブりそうだったけど、いまはわりと真面目に高校生してるぞ」
勉強を教えてくれるさぎりのおかげでなんとか授業についていけるようになってきたのだ。
「違う違う。天職の話。キヌゴシはジョブセレクトで『無職』選んだから職業によるスキル獲得が出来なかったんだけど、トロールやアラクネとか倒してレベル上がったから、ジョブチェンジのチャンスなんだよ。頑張ってスキル獲得しようぜ!」
夕凪と再会したあの夏の日、辺獄でスキルポイントを振り分けした際にそんな話をしたような気がするが、……ともかくとして、首を横に振る。
「しません」
飯の種にもならない仕事をするくらいなら無職でいい。
そう決意した俺の肩にポンと手をやって幼げな瞳を細めて夕凪は言った。
「キヌゴシ。生きていくためには働かないと」
なんでニートみたいな扱い受けてるんだろ、俺。
「転職重ねると履歴書に傷がつくだろ。だから俺は今の仕事を辞めるわけにはいかんのだ。最低でも三年はな」
「無職だから、キヌゴシはまだマイナスだよ。ゼロに向かって行かないと」
一理どころか百理あった。ぐうの音も出ない。
「……わかったよ。仕事変えればいいんだろ。なにがあったっけ」
「おおー、わかってくれたかー。それじゃ早速行こうか」
「どこに?」
「ハローワークだよ」
「誰が行くか」
あくまで俺のステータスは高校生で休職中というわけではない。
「いいからいいからほら、ついてきて!」
夕凪は言うやいなや部屋の壁に備え付けられいるクローゼットを開け、俺の手を引いた。
「なにがしたい」
思わず尋ねたら、物凄い力で中に引きずり込まれた。ほとんどホラー映画だ。
「うおっ!?」
固い布地の感触が顔面に覆い被さる。
「あれ」
とぼけたような夕凪の呟きが耳に残る。
「なにすんだよ、急に!」
叫びに似た訴えに反論は起こらなかった。
掴まれていたはずなのに、少女の柔らかな右手はいつの間にか消えていた。
手でハンガーにかけられたコートやスーツをどける。
「……ん?」
クローゼット内部に光を感じた。疑問符を払うように、冬物コートをかき分けて視界を晴らすと、外に出た。
外。
そんな馬鹿な、と混乱が巡り来る。
忍者屋敷じゃあるまいし、クローゼットを抜けたさきが外部だなんてあり得ない。しかも広がる景色は明らかに日本ではない
ふわりと柔らかい風が頬を撫でた。
たくさんの奇異な視線が向けられているのを感じた。髪の色が黒だけでなく、彫りの深い欧米人のような人種が多くいる。
ざわめきが潮騒のように響き始める。
「急に人が現れた」
と、子供が俺を指差して言うので、自らの置かれた状況を早々に理解し、慌てて隅に移動した。
「……やってくれたな」
建物はオレンジや黄色の暖色に染められている。整備された町並みが広がるが、看板や案内板の文字は見たことのない言語に変わっていた。
白い雲と青空だけは日本と同じだった。
「またこのパターンかよ……」
先ほど立っていた位置まで戻り、地面に目を落とすが、コートはすべて消えていて、代わりになぜかタンスにごんごん防虫クローゼット用が落ちていた。これで俺にどうしろと。とりあえず拾ってポケットに入れる。
異世界なんてくそくらえだ。
悲しむべくは突飛なパターンに慣れ始めていること。どうにかしないといけない。
それにしてもクローゼットから転移とはセオリーというか古典的というか……。最近は逆に珍しいかもしれない、と嘆いたところで、
「キヌ!?」
と声をかけられた。
「なんだよ」
夕凪かと思っていたのに振り替えると、立っていたのは稲穂のような金色の髪を秋風に靡かせて水色の瞳を大きく見開いた少女だった。
「やっぱり、あなた、キヌゴシ・ドーフですね!」
「あ……」
見覚えのある相貌。忘れもしない澄んだ青い瞳。
幼い頃の面影を残して、レイナは泣きながら笑った。




