常夜出でて旅の空 6
空間歪曲と水蜜桃は言った。
外観からは想定できないぐらい長い廊下が続いていた。消失点は霞んで見えない。
柔らかい絨毯が敷かれた廊下が延び、寄り道を禁止するかの如く延々と続いていた。錯覚を引き起こすことが目的のようだ。
水蜜桃はいっさい周りを気にすることなくどんどんと先に進んでいく。
さすがに不安になって「道わかっているのか?」と尋ねたら「妖気が濃い方に進んでいる」と返事を受けた。
廊下はやがて十字路にぶち当たった。屋内のはずなのに、道が三つに別れている。
こんな経験はじめてだ。ホワイトハウスの緊急脱出通路と言われたら信じてしまいそうだ。
「四辻とは、また厄介な」
水蜜桃が三つの道を見渡してため息をついた。
「さて、何処に行こうか」
「妖怪アンテナはどうした?」
「辻は淀みが溜まるからわかりづらくての。せっかくじゃ、そちが選べい」
「そう言われてもな……」
ちらりと夕凪を見る。
「ユウナはねー! 右の道がいいと思うなぁ」
「その根拠は?」
「なんとなくぅー」
「うぅむ」
腕を組んで考える。
俺はなんもなく真っ直ぐ進んでみたかった。
「ちなみに水蜜桃は?」
「私は左が吉やと思う」
「根拠は?」
「勘」
三者三様だった。
「よっし! 右に行こうか」
「おー、ユウナ案採用ですなぁー!」
考えるのが億劫になっただけだ。
右に折れてしばらく進む、なんの変化もないが、進むに連れて灯りが少なくなってきた。空気は冷えていき、少しだけ肌寒くなってきた。廊下はどんどん薄暗くなっていく。暗い海に潜っていくようだった。
「水蜜桃? 夕凪?」
やがて息づかいが自分のそれだけになっていることに気がついた。
「おい?」
辺りを見渡すが、暗すぎて誰が近くにいるのかわからなかった。気配は一切ない。
一人きりになっている可能性が高かった。じゃなきゃ返事がないなんておかしすぎる。
背筋が凍る思いがした。こんなところで一人ぼっちは嫌すぎる。
俺はいつのまにか孤独を恐れるようになっていた。
一人がなによりも好きだったのに。
これが強くなったというのか、弱くなったというのか、よくわからなかったが、動機が激しくなっているので、少なくとも良いものでは無さそうだ。
発狂して叫びそうになった時だ。バッと廊下が一気に明るくなった。落ちたブレーカーを上げた時のようだ。視界が晴れる。
壁を背にして、夕凪がうずくまっていた。
少女の姿を見つけて一安心する。小さく膝を抱える彼女を見下ろす。
「大丈夫か?」
「……だいじょばないよ」
軽口に苦笑して、震える彼女の肩を優しく叩く。
「触らないで」
いつになく辛辣な口調で夕凪が言うので、気圧されてしまった。
「お、おう、ごめん」
素直に謝っててを引っ込める。
「ユウナを殺したくせに」
違う。
一瞬で判断する。
見た目も口調も朝比奈夕凪そのものだが、俺の知っている彼女はこんなこと言わない。
「自分に都合のいい解釈をして、救われてるのは自分だけ」
ピシャリと言われた。
アブラゼミの鳴き声が聞こえた気がした。
幻聴だってわかってる。セミは死に絶え、木々は赤く染まっている。
こっちの世界だって、外は真っ暗だし、彼岸花が咲いていたんだ。セミだって、もう、とっくにいなくなったに決まっている。
あの夏はもう、終わった夏だ。
なのに、
「まだ死にたくなかった。いっぱい、いっぱい遊びたかったのに、キヌゴシが下手くそなボールを投げるから。ねぇ、あの暴投はさ……」
なのに、どうして、俺は、
「わざとだったの?」
忘れたいことを思い出しているのだろう。
耳鳴りのような蝉時雨が脳内に起きる。
夕凪とのキャッチボールは、俺のほうが明らかに下手だった。
彼女の父親は元高校球児で娘とも頻繁にキャッチボールをするので、土台が違ったのだ。
つまらないことで腹をたてた。
少女がノーバンで投げれる距離も俺は必ずと言っていいほどワンバウンドした。
夕凪はその事を茶化して「下手くそ」と小馬鹿にした。それに対して「カーブの練習しようと思ってさ」と見栄をはったって、当然見透かされていた。
だから、少し、こらしめてやろうと思った。
だから、少し、走らせてやろうと、ボールを投げた。
高く飛んだボールは公園を出て、道路まで行き、それを追った夕凪は、さぎりの父親の運転する車にはねられて、死んだ。
四肢が砕けて身切れた夕凪の死体は電子の海でグロ注意というふざけた忠告文とともにさらされて、少女の母親は発狂した。
殺人者になったさぎりの父親は前方不注意というレッテルが与えられ、執行猶予がついたものの、勤めていた会社は解雇になり、遠くに隠れるように妻と娘を連れて引っ越した。
さぎりは転校先の学校で殺人者の娘とあだ名がつけられ、筆舌にしがたいイジメを受けた。
俺だけだ。
たくさんの人を不幸にした元凶の俺だけが、不幸にならずのうのうと生き続けた。
「……っう」
喉が熱くなった。耳鳴りがして、込み上げてきた不快感を放出するかのごとく、俺はその場に前屈みになって、吐いた。
「げぇえええ!」
手をついた壁は氷のように冷たく、震えが止まらなかった。
「ふざけんなっ!」
いつもの明るい調子の声じゃない。低くこの世のすべてを呪うようなそんな声で夕凪の小さな手のひらが俺の肩を強く掴んだ。
「ユウナはただ生きていたいだけなのに……!」
土器色に染まった肌は所々爛れて黒ずみができ、ウジ虫がはっていた。ゾンビ映画の特殊メイクのようだ。かつての愛らしい姿はどこにもない。ほっぺに空いた穴から黄ばんだ歯が見えた。
「あっ、あ……」
腰が抜けた。
立っていられなくなって、その場にへたりこんでしまった。夕凪の伸ばした手にはだらりと皮がぶら下がっていた。骨になった指が俺の首もとに延びる。
「あ、あ、……夕凪……」
かすれて、ボロボロと情けなく泣きながら、俺は
「ごめん……」
夕凪に謝った。
「いいよん」
「え」
ガツンとゾンビみたいな夕凪の頭蓋骨に黒い穴が空き、その穴がみるみると広がっていくと、あっという間に、いなくなった。
代わりに現れたのは、ぷにぷにとした柔らかい頬を持つ、ちゃんとした夕凪と、白い髪を垂らして俺を見下す水蜜桃だった。水蜜桃の手にはなぜか貝殻が握られている。
「こんなとこでゲロるなよぁ」
たしかに目の前にいるのは夕凪だ。俺の幼馴染みで天使となって現れた少女。
「お前……」
胃酸で焼けた喉ではうまく声が出せなかった。
「泣き虫だなぁ、キヌゴシは」
ニタニタと俺を茶化して夕凪は自分の着ている服の袖を引っ張って、無理やり俺の頬をごしごしとぬぐってくれた。
「いたいの、いたいの、とんでけぇ」
拭われた頬のほうが痛かった。
「いまのは……」
幻だったのだろうか。それとも目の前にいる夕凪こそが幻なのだろうか。
「蜃気楼やよ」
「は?」
水蜜桃はめんどくさそうに手のひらの貝殻を俺に見せた。大きな二枚貝で、蛤のようだった。
「こいつは蜃いうて、気をはいて、幻を見せる貝。燭台の上に置かれておった。どうやらそちは術中に上手くはまってしまったようやね」
「いまのが幻……?」
それにしてはリアリティのある。爛れた夕凪の手の感触が忘れられない。
「まあ、あまり気にせんことよ。それより道がはっきりしたんで、少し戻るよ」
ほんとうに夕凪は俺を恨んでいないのだろうか。
「……」
答えは怖くて聞けなかった。




