常夜出でて旅の空 4
痛みも消えさり、背筋を伸ばして立ち上がる。
改めて観察してみると、不思議な屋敷だった。
先程の純和風の雰囲気から一転、ヨーロッパに移動したのか勘違いしてしまうほど、建物の作りが違う。
白い壁にはめられた窓は色ガラスであり、屋根はアーチ状になっていた。
水蜜桃が叩き壊した門にも、意匠が凝られ細かい装飾がいくつもある。絶対高いやつだ、これ。
「止まれい。ここがノスフェラトゥ様の屋敷と知っての狼藉か!」
野太い声で呼び止められた。
破壊された門の向こうに狼の被り物をした上半身裸のおっさんが立っていた。シュールな格好している。中途半端に顔だしNGな動画配信者だろうか。
水蜜桃は煩わしそうにおっさんを睨み付けると、声を張り上げた。
「なにを言うておろうか。隠世に住まう者であれば、規律と時間を守らねばならぬ。そちらが朝が来ぬように夜の帳を下ろしていることは明白。早々に闇を払うのだ」
「断る。日の光は我が主にとって毒。ここで引かぬというなればジェヴォーダンの獣がお前らを血祭りにあげる。これは警告である。一歩でもその門を跨いでみよ。我が牙がお前らの臓腑をえぐり」
話の途中なのに、水蜜桃はスタスタと門を通り抜けた。
「よっぽど人狼の爪と牙を味わいたいようだなぁ!」
狼のおっさんは跳躍し、勢いよく腕を振り上げた。
「でぇやぁ!」
水蜜桃が声をあげると、空中で爆発が起こり、狼のおっさんは遠くに吹き飛ばされた。
「……」
せめてなんかかっこいい呪文使ってやれよ。
狼は壁に叩きつけられ、悶絶している。苦しそうな唸り声をあげているので生きてはいるらしい。
「未熟よな。ふん。なにをぼさっとしておる。早よう行こうぞ」
こいつに逆らうのはやめようと心に誓った。
夜に包まれた庭を歩く。
ここにも空飛ぶ光る金魚がふよふよと飛び回っていた。金魚すくいの定番品種である和金は柔らかい赤光を、突出した目を持つ出目金は強い青色の光を放っている。どうやら種類によって明るさや色が変わってくるらしい。
金魚の光に照らされた洋館は蔦が這っていた。緑の臭いがする。よくよく見ると朝顔だった。すべてか蕾のままで房を垂らしていた。
水蜜桃はスタスタと庭を進み、ついに玄関の扉に手をかけた。重厚そうな扉を事も無げに開け放つ。内部は明るかった。
天井からはデカいシャンデリアがぶら下がり、床には赤い絨毯が敷かれていた。壁には高そうな絵画が飾られ、ずいぶんと豪華な内装だった。
「空間歪曲を使っておるな。面積がありそうで面倒くさいのう。獣の臭気に鼻が曲がりそうじゃ」
ぼそりと水蜜桃は呟いたが、俺には飾り台の花瓶から香る匂いしか感じなかった。
絶賛不法侵入中にも関わらず、あたりを一切警戒するそぶりを見せないまま、まっすぐエントランスの奥にある階段に向かって歩き始めた。
「キヌゴシ、ここスゴいよ」
水蜜桃のあとに続きながら歩いていたら、こそこそと夕凪が俺に耳打ちした。なにが、と訪ねると、彼女はより一層真剣な面持ちで続けた。
「すんごいエネルギーだよ。ここのでっかい家もそうだけど、世界全体がともかくすんごいんだよ」
「どういう意味だ?」
「大気にね、マナが満ちてるの。ひょっとしたらここは神様の国なのかもねぇ」
「神様の国……?」
「うん。水蜜桃ちゃんもさっきの魔法を詠唱なしに発動させたでしょ? あれってホントにすごいんだよ。タダ者じゃないと思ったけど、やっぱりすんごいよ。ユウナがクラクラするぐらい」
いつもより口数が少ないな、と思っていたが、どうやら体調不良らしい。
「ふぅん」
水蜜桃の華奢な背中を見る。着物の柄は紅葉だ。とてつもない力を秘めているようには見えなかった。
「さっきからぶつぶつとうるさいのう。影と会話をしておるのか?」
階段を上りきったところでピタリと足を止め、振り向かずに訊いてきた。
「ああ、まあ、そんなところだ」
「一つ忠告をしておこう。そちの影像の性質は善ではない。囚われすぎて心を惑わされぬように注意せい」
「……気を付けます」
ちらりと背後の夕凪を見る。
「ん、なぁに? ユウナの話?」
俺だって思うところはあるが、天真爛漫な笑顔見ているとどうしても疑いきれないのだ。
とぼけているようには見えなかった。




