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常夜出でて旅の空 3


 古びた日本家屋のポロい玄関を壊さないように丁寧にノックをし、「ごめんください」と声をかける。


「はい」


 返事は横からあった。


 視線をやると小さな庭と花壇があった。彼岸花が植えられ、黒揚羽が飛んでいる。

 白い髪の女性が柄杓と桶を持って立っていた。


「あ」


 神社で俺を天井からぶら下げた女だった。俺が熊と話し込んでいる間に抜かれたらしい。


「なんじゃまたそちか?」


 訝しむような目線を俺に送る。

 髪も眉も睫毛までもが白く、着物姿とのアンバランスが映えた。


「一つ質問だけど水蜜桃ってキミ?」


「何処で名を知ったか知らぬが、呼び捨ては不愉快じゃ」


 変な名前と茶化す勇気はなかった。ともかく今はおべっかを使って、元の世界に返してもらうことだけを考えよう。


「いや、なかなか美人だなぁ、って思ってさ」


「はあ?」


「ナンパだナンパだ! ジゴロだジゴロだ!」


 夕凪がやんややんやと囃し立てるがとりあえず無視だ。


「と、突然なに呆けたことを」


 口では斜に構えているが、照れているのが丸わかりだ。存外単純な性格をしているらしい。


「ところで一つお願いがあるんだけど」


 首をコテンと小さくかしげられる。


「俺を元の世界に返してくれない?」


「元の世界?」


「地球。もっと言えば日本で、欲を言えば東京の、可能なら足立区がいいな」


「何処?」


「……日本でいいです」


「……日出ル国のことかや、そんなら、何回か迷い人を送り届けたことがあるのう」


「おおっ、じゃあお願いするわ」


「報酬は?」


「は?」


「人にお願いをするときはなにをその人に差し出せるかはっきりさせるのが礼儀というもの。なにもないなら、なにかをしてあげる義理はないさな」


「熊と同じ事を言いやがって」

 ちっ、と思わず舌打ちをしてしまった。

 ちらりと夕凪の方を見る。


「ユウナはセミの脱け殻しか持ってないよ」


「今すぐ捨てなさい」


 無言でポケットを漁る。


「熊には何か渡したんか?」


 水蜜桃がぼそりと訊いてきた。


「いや爪を要求されたけど断ったよ」


「ほほう。夜に爪を切るのは『世をツメる』のと同義。魂を取られるところじゃったな」


「なに意味わかんないこと言ってんの。あ」


 まさぐったポケットから洗濯されてグシャグシャに丸まったレシートが出てきたので差し出す。


「怒りを買いたいのなら素直にそう申せ」


「あげられるもんなんて何もないぞ。おっ、日高屋の大盛り無料券出てきた。期限切れてるけど」


「そちに対して私がしてあげることは何もなさそうやね。忙しいから、さようなら」


 吐き捨てるよう言うと、少女は柄杓とと桶を下ろすと、壁に立て掛けてあった箒の柄を握った。


 仕方がない


 出来れば避けたかったが、長居をすると死んでしまうらしいので、背に腹は変えられないのだ。


「さっきの朝泥棒とかいうの捕まえるの手伝うよ」


 渡せるものがなかったら仕事をして報酬をもらうしかない。科捜研のドラマなら好きだし、案外なんとかなるかもしれない。

 泥棒退治がなにするのかいまいちわからないが、見張りくらいなら、出来るだろう。


「……左様か。どのみち転移は太陽の光がないと実施できんし、ちょうど良いかもしれぬのう。帰りたいのなら手伝えい」


 箒を片手で持って、横向きにする。右手を腰にあて、少女はじっと俺を見た。


「そうと決まったら善は急げじゃ。はよう乗れい」


「……何に?」


 びしっ、と箒の穂先を突きつけられる。

「箒に」


「箒は乗り物ではなく、掃除道具です」


「後ろに乗れい」


 少女はそう言うと着物の裾を払い、横向きになって、箒の柄におしりをつけた。なにをとっち狂ったことをしているのだろうと思ったら、ふわりと浮き始めたから驚きだ。

 イリュージョン。


「ふぅおーー! かっくいぃ! ハリーポッターだぁ!」


 夕凪が瞳を輝かせている。


「……箒は乗り物ではありませんよ」


「そうさね」


 せめてもの抵抗で超常現象に常識で勝負するも、通じないようだった。言われた通りに箒の柄にまたがる。

 あ、しまった、これじゃ股間がきついと思った瞬間、ふわりと箒が浮き始めた。


「ちょ、ちょっ、まっ」


「ユウナもいくー」


 がっしりと夕凪は俺の背中におぶさった。


「ちょ、おま、あぶっ」


 夕凪の体重が俺の股間を圧迫する。拷問だ。


「行くでの。振り落とされんように気を付けい」


 上半身の過重が股間に集まる。

 血の気が引くとはこのことか。

「がああああ!」


「ふふっ、空の旅は初めてかや? はじめはみんなビクビクするもんでの。まあ、じきに慣れる」


 それどころではない。

 このままでは痔になってしまう。

 軽く意識が飛びそうになる。

 眼下を見れば、隠世(かくりよ)が一望できた。小さな集落の集まりらしい。大きな湖が見える。湖畔の集落だろうか。俺と水蜜桃が出会った神社も見えたが、直ぐに森深い景色に変わった。夜なので薄暗く灯りがなければ延々と闇が広がるだけだ。まあ、明るくても正直景色を楽しむ余裕は俺には無かった。


「空を飛ぶのは気持ちいいと思わぬか。風を感じられて」


 水蜜桃は意外とお喋りらしいが、正直それどころではなかった。

 なけなしのプライドをかなぐり捨てて声をかける。

「あの、ごめん。股が……」


「なに、風の音がスゴくて聞こえぬ」


「股が痛いです」


「なに?」


「だから、股が」


「……そ、そうさのう。私もそう思うぞ」


「ああ、すまない。ちょっと一回下ろして」


「……そ、そうやね」


「……?」


 風の音が響く。箒は空を飛び続けた。

「す、水蜜桃? 下ろして……」


「……」

 無視される。

 こ、こいつさては何回か聞き返すと気まずくなって相手がなに言ってんのか聞き取れてなくてもとりあえず返事をするやつをやってるな!

 この状態のヤツにはなにを話しかけても無駄だ。


 ホウキに乗った俺たちがついたのはデカい洋館の門の前だった。

「結界が張られておって上からは通れぬようやのう」

 白い鉄柵に細い指を這わせ水蜜桃は浅くため息をついた。


「ともあれ間違いなさそうやね。妖気が漏れ出ておる」


 どうやら朝泥棒さんの家にたどり着いたらしいが、股間が痛い俺はそれどころでは無かった。地面にのたうち回り、痛みを紛らわせている。ファール取るために頑張るサッカー選手みたいだ。


「でやぁ!」


 水蜜桃が両手を振り下ろすと、破壊音が響いて門で爆発が起こった。呪文とかはないらしい。

 鉄の破片が地面に散らばる。


「すげぇ! 花火だ! かっくいー!」


 パチパチと夕凪が拍手したが、水蜜桃には聞こえていないらしい。


「ゆくぞ。キヌ」


「ちょっとタンマ。いま動くとやばいから」


 このまま酷使したら女の子になってしまう。


「乗り物酔いとは情けない男児よのう」


 水蜜桃は呆れたようにため息をついた。



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