常夜出でて旅の空 2
ようやく地面に降り立つことが出来た。重力万歳。俺は手首についた縄のあとをさすりながらため息をついた。
「ひょっとして夕凪が見えるのか?」
「……見えぬよ。揺蕩う闇がそちの魂に連れ添っておるのはわかるが」
この人はひょっとして詩人かな。
「それにしてもオヌシ、その歳で式鬼を使役できるとは、ただ者ではあるまいな」
ドアの前で振り替えると、白い髪の少女はにたりと笑った。風が唸りをあげる。
「これも縁か」
「は?」
「袖すり合うも多生の縁。これから朝を取り返そうと思うのだけど」
「……」
「手を貸してくれぬか?」
考えるよりも先に言葉が出ていた。
「イヤです。そもそも朝を取り戻すってどういう意味です?」
「言葉通りの意味やぞ。朝が盗まれたんよ」
「朝が盗めるわけないだろ。物質じゃないんだから」
「仙道以外の時間を止める秘術を使うておるらしい。おそらくは闇の帳。社の宝物殿より紛失したと聞いておったが、かような目的に使うとはのう」
「なにそのスーパーアイテム。絶対取り
戻さなきゃじゃん」
「さよう」
深々と頷き、
「禁足地である『藪知らず』に西洋建築の建物があるらしくてのう。そこがどうにもキナ臭い」
「証拠は?」
「勘」
「そんな不確かな要素で行くのは良くない」
「なにもしなければなにも変わらぬよ。朝が迎えるためには己が動かなくてはな。灯りを灯す油代もバカにならんし」
静かに息をついて少女はトングをパチリと閉じると着物の帯に差してしまった。
「まあ、乗り気でないなら仕方あるまい。役にたたないのなら邪魔なので、何処となりに行きなさいな。お達しゃで」
扉をがらりと開けて彼女は出ていった。外はまだ夜だった。室内に設置されていた蝋燭が吹き込んできた夜風に消され、パラフィンの匂いが漂った。
「あ、ちょっと! とりあえず今晩安全に寝れる場所を教えてほしいんだけど」
慌てて呼び止める。少しでも情報が欲しかった。
「先まで寝てたのにまだ眠いか?」
「眠気はないけどまだ夜みたいだから」
「呆れたことをいうやつよ。今は正午じゃぞ」
「はい?」
「朝が盗まれた、と言うておろうが」
「こんなに暗いのに? 極夜というやつか?」
一日中太陽が昇らない地域があり、その現象を極夜という。逆の現象は白夜だ。
朝泥棒とかわけのわからない非科学よりはよっぽどわかりやすい科学的現象である。
「そちが何言ってるかわからぬが、混乱を沈める必要があってのう。暇人の異世界漂流者にかまけている暇はないのじゃ。協力する気がないなら、とくと失せよ」
「そうだな。行こうぜ夕凪」
「う、うん」
すれ違って、外に出る。空気はひんやりとしていてどう考えても普通の夜だった。
数歩歩いて、ここはどこだろうかと、くらくらする視界のまま辺りを見渡す。
地球かどうかさえ疑わしい。空を見上げると、空は真っ暗な雲に覆われていた。昼だと先程の少女は言ったが、信じられないくらいに暗く、そして寒かった。
「夕凪、ここがどこかわかったか? 」
「んー、隠世って」
「……」
「さっきの人、言ってたねー」
どうやら夕凪も知らないらしい。
振り向いて今いた建物を眺めてみる。
神社のお社のようなところだったが、ところどころ俺が知っているソレとは異なり、まず鳥居が白かった。
両サイドに狛犬らしき石像があるが、どう見てもカエルだった。
極めつけは本殿だ。とてつもなくぼろかった。ボロいだけならまだ許せるが、屋根から『財多命殆』と謎の四字熟語の横断幕がぶら下がっていた。いろいろと意味不明だ。
神社(?)から外に出て、石段を下る。
光る金魚が夜道を照らしてくれるので、階段を踏み外すこともなかった。
金魚の鱗は宝石のように輝いていて、鑑賞魚としてはかなり優秀な存在だった。
階段を下りきり、道を暫く行くと、金魚の光が提灯の灯りに混じり始めた。
両脇の道にたくさんの出店が出ている。
どうやら夜市らしい。
人が少ないのは不気味だったが、テントの下に暇そうにしている熊のキグルミがいたので、とりあえず情報収集することにした。
「すみません、ここはどこですか?」
「黄泉比良阪。現世と他界の境界線だよ」
しゃべれる設定らしい。
熊のキグルミが教えてくれた地名は聞きなれぬものだった。面食らいながら質問を続ける。
「あの、……日本ですか?」
俺の疑問符を笑ってうけると、熊は声に笑いを滲ませながら続けた。
「どうやらお前さん、客人のようだね」
「まれびと?」
「お前さんは運がいいよ。アタシャ遊行者だから、ここの住人じゃないんだ。忠告してやろう。奴らに異界から流れ着いた客人だってバレてみな。食われちまうよ」
「食人族の村ってことですか?」
さっさと文明開化してほしい。
「いや、ちょっとちがうな。ここは神が住まう場所。それゆえ肉体を持ったまま足を踏み入れちゃいけないんだ」
「なんて恐ろしい場所だ」
心底そう思う。
「ここを離れるなら急いだ方がいい。長居すれば魂魄が分離するからねぇ」
「ど、どうすれば元の世界に帰れるかご存知ですか?」
「そうさね。水蜜桃なら知ってるかもしれないね」
「すいみつとう?」
「迷い家に住まう桃の化身さ。隠世のご意見番みたいな女さ」
「桃の化身、これまたファンシーな」
桃太郎のことかな。
「気難しい性格をしてるから気に入られるように頑張るんだな」
「ご親切にどうもありがとう」
礼を告げてその場を後にしようとしたら「ちょいとお待ちよ」と呼び止められた。
「アタシゃの貴重な時間を奪ったんだから代価をよこしな」
「代価? お金もってないっすよ」
「そりゃしかたないね。そんなら爪を寄越しな」
「爪?」
「人差し指でいいよ。剥ぐから」
「いやちょっとまじ勘弁」
「規律を守らんやつはダメだよ。爪がだめならアンタさなにを寄越すんだい?」
「そうだなぁ」
困ってポケットを漁ったら、なぜか落ち葉が入っていたので、それを差し出す。
「……おちょくってんの?」
「この葉っぱ、異世界の葉っぱですよ。植物学者が見たら垂涎ものですよ」
「なるほど、たしかに。いいだろう。いただこう」
「それじゃあ」
軽く手を上げて別れる。頭が弱い熊で助かった。
「くまさん親切でよかったねぇ」
夕凪はのんびりとそう言ったが、いまいち信用しきれない熊だった。
緩い坂を上ると古い日本家屋があった。あまりでかくはないが貫禄がある。茅葺き屋根とか地元の郷土資料館でしか見たことないので無駄にテンション上がった。




