異世界論議 2
休日のデパートは若い親子連れが多く、はしゃぐ子供の声が溢れていた。
レストランフロアからいい匂いが漂ってくる。お昼は食べたのにお腹が減ってしょうがない。
「超常現象も物理法則から外れることはない」
さぎりはそう言って、ノートを捲り、じっと俺を見た。
「あなたの妄想という説は諦めるけど、順を追って考えていきましょう」
さぎりはゆっくりとコーヒーを啜ってから続けた。
「壁と自動車とに挟まれた越井は臨死体験をする。ついた先は辺獄と呼ばれる生と死の狭間。辺獄はキリスト教における洗礼を受けていない魂が行き着く場所と考えられている。越井はそこでスキルポイントの振り分けを強要された」
開かれたノートにはいつか見た文字が並んでいた。
生命力。魔力。知能。攻撃力。耐性。運。見た目。
彼女から勉強を教えてもらった時、休憩時間に一度だけした雑談を覚えていたらしい。驚異の記憶力だ。
「1000億人目の死者だから、1000億のポイントが付与されたという。
ちなみに人類が誕生し、いままでの総死亡者数はおよそ1076億人。もっとも、どこからどこまでを人類と見るのかで、数字は増減するので1000億人という数値はまあ、間違いじゃないのかもしれない」
そう考えるとそれだけで運がいいような気がしてきた。
「あなたは運にポイントを全振り分けを行い、転生を決意する」
じっと見つめられる。
「転生」
余韻を作るように呟いた四文字が、空気を震わせダイレクトに耳に届く。
「仏教で言うところの輪廻転生。あの世に還った霊魂がこの世に生まれ変わること。仏教の最終目的である解脱は輪廻の輪から抜け出すこと。学校で習ったでしょ?」
「俺は生まれ変わってないぞ」
「……仏教において、魂は現世での行いで、六種類の世界に輪廻転生するといわれる。六道輪廻というやつよ。閻魔様の判断でね」
そう言って彼女はノートを突きつけた。ノートには六種類の区分が書かれていた。
天道。
「六道の最上位。ここに住む人たちを天人といい、空を飛ぶなどの神通力を使うことができる。長生きで享楽のうちに生涯を過ごすことができる」
人間界。
「いま私たちが生きている世界。苦しみもあるが喜びもある」
修羅道。
「争いが絶えず阿修羅が住まうという」
畜生道。
「牛馬などの畜生、動物の世界。ほとんどな本能のまま生きており、使役されるがままの救いの少ない世界」
餓鬼道。
「餓鬼が住まう世界。食べ物を口にしようとすると火になってしまい、餓えや渇きに苦しまされる」
地獄道。
「罪を償うための世界」
「……」
「どうしたの?」
「いや」
休みの日に元カノに呼び出されたと思ったら倫理の授業を受けさせられたのだ。気分がいいものではない。
昨日、話が終わったあとどーしよかなー、やっぱ映画かなー、コナンとポケモンどっちがいいかなぁー、とか悩んでた俺の純情を返してほしい。
「結局なにが言いたいんだ?」
真実はいつも一つだぞ。
「仮説をたてたの。臨死体験が夢や妄想じゃないとしたら、考えるべきは脳科学や心理学ではなく、宗教学よ。万人が共通で信じてきた概念にはある程度の信憑性がある」
宗教も心理学みたいなもんだと思うけどな。
「あくまでこれは思考実験。様々なアプローチで問題解決を図ることで見えてくることがある。例えばあなたはコンビニと壁に挟まれて一度死んだ。そしてそのあと病院で目が覚めた。死んでも甦る、『死者の復活』という考えはキリスト教によるもの」
「まあ、本人も天使とか言ってるしな」
「だけど、ここで問題が起こる。生まれ変わりという考えはキリスト教には存在しない。輪廻転生は仏教によるものよ。だけど朝比奈夕凪はよく『転生』を強要するそうね」
「……そうだな」
「朝比奈夕凪の存在を仏教で置き換えて見ましょう。まず『天使』は菩薩や明王に使える『童子』に相当する。スキルポイントは『徳』に」
「徳?」
「ざっくばらんに言ってしまえば生前の善い行い。アレテーよ」
いままでの人生に善い行いと言えるものはなかった。
「そして、最初の事故。いえ、人間道から人間道へ転生したのだとしたら、世界は変動していない」
「いや仏教はよくわかんないけど、実際俺は死んでないんだって」
「死が不明瞭な限り、どうとでも言える。いい? 人間の細胞は常に生まれ変わっているの。連続記憶がなければ、自己を自己とたらしめるものがなんなのか、答えることはできるの?」
「それこそ禅問答だろ」
いま俺うまいこと言った。
「そしてこの前の、誰もいない電車の世界。改札から出ると砂に変わった」
普通にスルーされた。
「食物が火に変わる、出口があるのに出られない袋小路の絶望感、仏教でいうところの餓鬼道に似ていると思わない?」
「深読みしすぎだろ」
「そして最期に……双子でもないのに私とあなたは孤児院で育つ夢を見た。そこは人と魔物が争うまさに修羅道のような世界」
六道輪廻。冗談を言っているような雰囲気では無かった。
「夢は脳が睡眠中に記憶の整理を行うことによって生じるビジョンよ。だから同じ脳を持つ個体でない限り、夢が同じになることはあり得ない。でも世界中に同じ夢を恋人友人兄弟で見たとする証言がある。仮になんらかの共有空間に私たちの意思ごと移動していたと考えるとスムーズに思考は推移する」
すこしだけ前のめりになって、さぎりは続けた。
「あの世界は実在する、そう仮定する」
「それで?」
「私はベルに生まれ変わった。あなたは絹ごし豆腐に。そうすると一つの疑問が生まれる」
豆腐にはならないだろ。無機物だぜ。
「死んでいない私たちの魂がなぜ別の世界に行くのか」
「夢の世界だからじゃないの。そんな深く考えても答えはでないぞ」
「時間軸が違うのよ。仮にあれが私が死んだあとの世界、未来の話だとしたら、意識あるあなたがそれに干渉できるのは不自然よ」
「よくわからないんだけど」
「ベルには私の意識がなかった。でもあなたは明確な意思をもって行動することができた。もしかしたらこれが解脱している状態なのかもしれない」
「無駄な考察だと思うけどな」
「なんでよ」
ちらりと横を見る。
夕凪はテーブルに突っ伏して寝ていた。
「そんな深い事情、なさそうだもん」
「むにゃむにゃ、もう食べられないよぉ……」
夕凪の寝言は「賞味期限が三年も前じゃ食べられないよぉ」と続いた。不憫な。
「……じゃあ、あの駅での出来事。あれも白昼夢というには現実味が溢れすぎている」
さぎりはぺらりノートをめくった。
「キリスト教で考えてみましょう。あの空間は清算するためのものだと朝比奈夕凪は言っていた。辺獄は洗礼を受けていない魂が行き着くところなのは前述の通りよ。つまり、あの駅のホームであなたの魂は洗い流され、罪が清算されたことで、解脱に成功し、レイナたちの世界に行けたと考えられない?」
「宗教観がバラバラすぎて意味わかんねぇよ」
「臨死共有体験というものがある。死期の近いものに引っ張られてその周囲で看護をしている者などが死に行く者の臨死体験を共有すること。私は単にあなたの経験に巻き込まれだけなのかもしれない」
「それをいうなら俺だって夕凪に巻き込まれただけだぞ」
「……」
夕凪と俺は口を引き結んでお互いにじっと見つめあった。そこにロマンスなんか無く、ただお互いに主張しあっただけだった。
「……まって」
さぎりははたと思い付いた顔をしてノートを開いた。
「忘れていた!」
「なにを?」
「朝比奈夕凪は私と会ったとき自己紹介をしていた」
目を見開いて、彼女は胸ポケットからペンを取りだし、ノートには突き立て
た。
「あの時あの娘はこう言った。第三神使所属、だと」
「そういえば言ってたな」
あんまり覚えてないけど、とりあえず同調しとこう。
「あたしって、ほんとバカ……」
「なにが?」
「神使は神道の考え方だわ。神仏習合とはいえ、日本で最もメジャーな宗教である神道を失念するなんて……もう一回一から神道で考え直してみましょう!」
「もういいよ!」
どうもありがとうございました。




