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異世界論議 1


 休日の昼下がり。穏やかな日差しが町に降り注いでいる。気温はすっかり落ち着いて、暦の上では秋だった。


「デートだねぇ」


 のんびりと夕凪が間延びするように呟いた。結局、お盆を過ぎても少女はそこにいて、平然と俺に付きまとっていた。

 いまでは消えてほしいと思うことも少なく、いるのが当たり前の存在になっていた。


「デートじゃねぇよ」


「ぬふふー、ごまかさんでもええんやでー」


 えくぼを作って変な笑い声をあげる。

 夏を惜しむようにアブラゼミが鳴いていた。


「いいから聞かれたことに正直に答えろよ」


「もっちのロンさ!」


 駅前のデパートにやって来た。

 休日の建物内は親子連れで盛況で、誰も彼もが楽しそうな笑顔を浮かべている。

 人並みを縫うようにして、エスカレーターでひたすら上の階を目指す。

 最上階にベンチとテーブルが並ぶ休憩スペースがあるのだ。占有は禁止されているが、近くに図書館もあるので、大学生や高校生御用達のスペースになっていた。


 観葉植物が多くあり、窓から射し込む日差しを浴びて、柔らかな影をフロアに落としていた。

 一つの机の前に長い髪を垂らした少女がコーヒーを優雅に啜っていた。

 待ち合わせの相手、港さぎりだった。


「おまたせ」


 声をかけて正面の席に腰を落ち着ける。夕凪も横の椅子に腰かけた。


「……いるのね?」


「ああ」


 緊張した面持ちのまま、さぎりは椅子の下に置かれていた鞄のジッパーを引き上げた。


「今日はよろしく。……朝比奈夕凪」


「あいよー」


 さぎりには夕凪が見えていない。


 妄想世界の駅のホームだと視認可能だったらしいが、いまは無理らしい。


 さぎりは一冊のキャンパスノートをテーブルの上にポンと置いた。


「読むように言ってくれる」


「……聞こえてるから大丈夫だ。いま手に取った」


 夕凪は小さな手のひらでノートを取ると「んー」と言いながらペラペラとめくり始めた。


「ほんとに? 私にはノートはそのままに見えるけど」


「天使の存在を関知していない人間には、違和感が与えられることがないよう無意識下の催眠がおこるようになっているらしい」


「……とんでもない能力ね」


 さぎりは小さく息をついた。その短い言葉には様々な感情が織り混ぜられているように感じた。

 非現実的な要素を嫌うリアリストには我慢ならないだろうが、夕凪の存在を認めざるを得ないがゆえ、悔しくてしょうがないのだろう。

 左手にとめた腕時計の秒針がぐるりと一周するころ、夕凪は「ん!」と小さく喉をならして、ノートをポンと机に放った。


「読み終わったみたいだ」


「早いわね」


 前のめりになって、さぎりは「どう?」と訊ねた。


「漢字多くてよくわかんなかった!」


 夕凪はお馬鹿な笑顔をにっこりと浮かべた。



「ふ、ふ、ふざけないで! ちゃんと読んで!」


「俺に言われても困るよ! 夕凪!」


 机を叩いて文句を言うさぎりを宥めて、夕凪の方をちらりと見る。


「そんなこと言われてもなぁ……」


 夕凪はぼんやりとした瞳のまま後頭部をポリポリと掻いた。


「ユウナ難しいことは嫌いだし……、あんり考えすぎるとハゲるよ?」


 発言をありのまま伝えたら「ハゲないわよ!」と怒鳴られた。


「いいわ……解説してあげる」


 嘆息ぎみに呟いて、さぎりはノートを手に取った。


「順を追って話していきましょう。ことの始まりは九月初旬」


 ぺらりとノートを開く。


「越井絹はかつて死んだ友人朝比奈夕凪を視認。国道沿いのコンビニエンスストアで自動車事故に巻き込まれ、市内の病院に緊急搬送される。検査結果は無傷。大規模な事故にも関わらず奇跡と言われ、新聞記事にもなった」


 そう言って彼女はノートを開く。新聞記事がスクラップされていた。一段にも充たない記録だ。


「死期が近い人間に故人が会いに来る、俗に言う「お迎え現象」というやつね。残された遺族にアンケートを取ったところ、およそ四割が実際にあると回答したそうよ。これは一種の心理的自衛作用で死の恐怖を和らげるため、脳内麻薬物質であるエンドルフィンが分泌され、幻覚を見せてるの」


「キヌゴシはワンピースの正体ってなんだと思う?」


 ダメだ。こいつ、聞いていない。


「……夕凪がもう少し話のレベル落としてって言ってる」


「そ、そんなこと言ってないぞ! ねつぞーすんなぁー!」


 プリプリと頭から湯気を出す夕凪を落ち着かせて、さぎりに続きを促す。


「えーと、つまり、越井の経験は全部、脳内麻薬がみせる幻覚ってこと」


「俺だってその可能性は何度も考えた。現に今だって疑ってる」


「タルパ、正確にはトゥルパだけど、……聞いたことある?」


「イマジナリーフレンドってやつか?」


 夕凪が目の前に現れたとき、自身の精神を疑って調べたことがある。

 イマジナリーフレンドとは空想が作り出した架空の友人のことだ。

 幼いときに一人っ子などが寂しさを紛らすために創造するそうで、多くが社交性を身につける思春期前に消滅するらしい。大人になってから発現することもごく稀にあるらしいが、夕凪がそれに該当するかは謎だった。


「似てるけど少し違うわね。タルパはチベット密教の秘奥義で人為的に思念体を顕在化させる術とされているわ」


 俺はワンピースの正体はいままで旅してきた『仲間』だと思うな。

 はっ、いかん、眉唾な話するから思考が夕凪レベルに落ちてしまった。


「つまりどういうことだってばよ」


「……ウェブサイトとかで流布しているタルパはほとんどがイマジナリーフレンドのことだけど、チベット密教においては外部に干渉できる存在を作り出すことをそう呼ぶの」


 夕凪は頭からクエスチョンマークを飛ばしているが、俺はようやく話が理解できた。幽波紋(スタンド)ということだな。


「ユウナわかった! つまり(ブラック)賢人(ゴレイヌ)ってことでしょ!」


 まあ、間違ってはない。


 さぎりはノートを閉じて、ポケットからメモ帳を取り出した。


「実験をしましょう」


「実験?」


「あなたの作り出した朝比奈夕凪が外部に干渉できるかどうかを判断するのよ」


「どうやって?」


「簡単よ。私がこのメモ帳に絵を描くから、何が描かれているかを当てるという実験よ。朝比奈夕凪に覗せてね」


「……いいぜ」


 つまり俺が知り得ない情報を夕凪が持ってくるかどうかを判断するための実験、というわけか。


「出来た」


 メモ帳を自分の顔の横に開いたまま、不敵な笑みを浮かべた。俺からは見えないが、彼女の背後に回れば簡単には何が描かれているかわかる。さぎりは「あてられるかしら」とニタニタ笑った。


「夕凪!」


「あいさ!」


 といい返事をして、夕凪はさぎりの背後を覗きこんだ。いいね、幽波紋(スタンド)らしくなってきた。


「ん、んん? これは、えーと……」


「どうした?」


 勢いよくメモ帳を覗きこんだ夕凪は首をかしげた。


「なんだろ、これ、猫? あ、わかった! 犬だ! わんわんだよ、キヌゴシ!」


 夕凪からの解答をそのまま伝えると「ぶぶっー!」と不正解を言い渡された。


「え、違うの?」


「透視能力や千里眼(クリアボヤンス)などの超能力は結局五感が発達した人間の技術ということよ。あなたにはそんなもの備わっていないようだけど」


 と、パタンとノートを見せられる。


 下手くそな絵があった。子供の落書きかな、ってレベルで、犬とも猫とも言えない謎の生物が描かれていた。


「こんなんわかるか!」


「ふふん、結局あんたの精神的問題ってことがはっきりしたわね! 精神科の受診をおすすめするわ!」


「絵が下手すぎるだけだろ、正解はなんなんだよ!」


「見ればわかるじゃない。タヌキよ!」


「わかんないから聞いたんだよ!」


 そういえばこいつ美術的才能だけは皆無だった。

 結局やり直しで今度は文字でチャレンジすることになった。さぎりは不服そうだったが、当然である。


「じゃあ、これ」


 半眼でノートを掲げられる。俺はピンクの背表紙しか見えないが、夕凪は違う。さぎりの背後で答えを教えてくれた。


「……もれそうだ」


「は?」


「我慢しないでトイレ行けよ」


「な、なにわけのわからないこと言ってるのよ。そんなこと書いてないわよ」


「え、だって夕凪がそうやって書いてあるって……」


 ぱたんとノートを机に広げられる。

『明日も晴れそうだ』だと書かれていた。


「……夕凪、てめぇ、漢字を飛ばして読み上げやがったな!」


「だ、だって、明日(あした)明日(あす)って読むかもしれないじゃん! 敵が未知数な時は逃ゲロって教わったから!」


 こいつの学習能力に関しては小学二年生で止まっているのだ。漫画は好きなくせに。


「……いいわ。平仮名で書く。それでなんて書いてあるのかあてて」


 呆れたようなため息をつかれた。俺のせいじゃないのに、なんだか不名誉だ。

 ラストチャンスとばかりにさぎりはノートに文字を綴り、それを背後に示した。

 夕凪が「どーゆー意味だろう」と首を捻りながら答えを教えてくれた。


「つじつまあわせ」


「……正解」


 観念したようにさぎりはノートを閉じた。

 その言葉は俺に対する当て付けなのだろうか。なんにせよ、「朝比奈夕凪」という存在を彼女はようやく認めてくれた。



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