スーパーノヴァ 6
カビ臭く湿った室内の不快指数は高く、動いていなくてもじっとりと汗をかいた。
部屋の四隅の天井にはクモの巣が張り巡らされ、清潔な空間とは程遠かった。
「金持ちに買われることを祈ろうぜ」
フリットが浅くため息をついた。
「買うって人身売買ってことか?」
平和な日本じゃまず考えられないが、彼の発言はそれを裏付けしていた。
そんなまさかだろ。二十一世紀にあるまじき前時代的要素だ。
「勇者に成り損なった子供は売られる。労働力か風俗目的として」
総毛立った。信じられなかった。言葉を紡げず、戸惑う俺を見て、フリットは苛立たげに吐き捨てた。
「野垂れ死ぬより百倍ましだろうが」
「……児童相談所に行くぞ」
「はあ、なんだよそら。聞いたことねぇよ。おめぇもいい加減に諦めろ」
「無いなら逃げるしかないだろ!」
俺が怒鳴り声を挙げた瞬間、バケツをひっくり返したような雨が天井から降ってきた。冷たい空気が全身を包み込む。
「え?」
建物内だ。雨が降るなんてことは、吹き抜けでも無い限りありえない、
「きゃあ、文字が!」
ベルが地面に書いていた光る魔方陣が消えていた。水溶性らしい。
天井から流れ落ちる水は見る間に量を増していき、もはや雨というレベルを越えていた。滝だ。水しぶきが轟音とともにあがる。天井から膨大な量の水が降り注いでいた。
「ま、まさか、トラップか」
直接水を浴びないように部屋の隅に移動し、現況を呆然と眺める。
足元が水没していた。広くない空間だ。水が満ちるのは時間の問題だろう。
天井は目算にして十メートルほどの高さにある。どれぐらいの水が落ちてくるのかわからないが。サマーランドの巨大バケツがひっくり返ったみたいな水の量だ。
フリットが涙目で叫んだ。
「俺は泳げないんだ」
ならばここでお別れだ。
と、ちらりと少年を見るとレイナとベルも「私も」と小さく呟いた。水泳の授業は無かったらしい。
水位は上がり、いまは腰くらいまである。
「どうしよう! こんなに水があったら魔方陣かけないし!」
ベルがパニックになっている。仕方ない。
リュックから支給された皮袋を取り出し、中に空気をいれ、口を靴紐できつく縛った。
「な、なにしてるんだ……」
「浮き輪作ったんだよ。この皮、水密性能ありそうだから」
ポンと水面に放ると予想通りプカプカと浮いた。大量の武器を入れていただけのことはあり、けっこう大きい。子ども三人くらいなら掴まっても沈むことはないだろう。
「それに捕まってろ」
「キヌゴシ……、おまえ、良いやつだったんだな」
訳のわからない称賛を送るフリットを無視して、着ていた服を脱ぐ。胸ぐらいまで上ってきた水位に焦りを感じる。時間はない。
「な、なんで裸になるんですか?」
「服が水吸って重いだろ」
装備はパンツだけになった。
俺だって泳ぎは得意じゃないのだ。でも皮袋に四人を支える浮力があるかと言えば微妙。仕方ないのだ。
流れ落ちる水流は留まることなく、やがて部屋は水に満たされた。
皮袋に掴まって、プカプカと浮く彼らの横で俺は必死に立ち泳ぎし続けた。遭難したときは力を抜いて、水に浮けばいいと聞いたことあるが、流れがあって油断していると、どこに行くかわからない。水位はみるみるあがり、ついには最初いた部屋まで水が満ちた。
「おい、入り口閉まってるぞ!」
フリットが水音よりも大きな声を挙げた。彼が指差した先に入ってきた入り口があるはずなのに、ドアは固く閉ざされていた。おかしい、開けっ放しにしておいたはずなのに。
「このままじゃ溺れ死ぬ!」
まじか。
絶望が頭を過る。
酸欠による死亡は苦しいだろう。入水自殺するやつの気が知れない。溺死は想定する死亡理由で出来れば避けたいものの一つだった。
「あのスイッチ!」
レイナが声を挙げた。幽霊がいたボタンが上がっている。
「もう一度押せば止まるんじゃないですか?」
「やってみるね!」
レイナの提案にベルは「風」と唱えた。壁に直撃する魔法。着弾すると同時に石壁は崩れ、スイッチは跡形もなく消え去った。魔法が強力だったらしい。
「あああ! みんなぁ、ごめん」
ベルは涙を流しながら謝罪を叫んだ。
「いや、その魔法であの扉をこわ……」
俺がナイスな提案をしたとき、降り注いでいた水が止まった。
「助かった……のか?」
溺死は避けられたかもしれないが、中途半端な高さで止まってしまったので、脱出が困難だ。さてどうしようかと、頭を捻らせていたところ、ズゴゴゴゴと地響きみたいな音がし始め、みるみると水位が下がり始めた。
「……なんだ?」
原因はすぐにわかった。
さらに底が抜けたのだ。
人生と同じでどん底だと思ってもさらに底があるらしい。このダンジョン、思ったよりも深いな、とどうでもいいことを考えていたら、中心に起こった渦に巻き込まれ、水洗トイレのように一気に流れされた。
気を失っていたらしい。目を覚ますとレイナが俺の体を揺すっていた。
「ここは?」
「あ、良かったです」
もう少し寝てたら人工呼吸をしてもらったところだろう。微妙に惜しいことをした。
「さらに地下に潜ってしまったようです」
レイナが立ち上がり辺りを見渡した。鍾乳洞のようなところに俺たちはいた。水音がする。横をみるとチョロチョロと小川のように水が流れていた。
ベルの魔法に照らされた洞窟内部はテカテカと光って美しかった。石筍がいくつも床から延びている。薄茶色の世界だ。
「ともかくこれ以上先に進むのは危険です。ベルに脱出魔法を……」
「お、おい、ベル! 大丈夫か!?」
フリットが叫んだ。相変わらずやかましい野郎だ。
視線をそちらにやると、小さく背中を丸めてしゃがみこむベルがいた。
「おい、どうした」
近づいて尋ねる。
「わかんねぇ! ベルが急に苦しそうに……」
ベルを見る。短距離走をしたあとのように体を小刻みに震わせていた。
「おい、どうした?」
「い、いきが、こひゅー、こひゅー……」
苦しそうに唸っている。ベルは眉間に深いシワを刻みながら喉に手をあて必死に呼吸を整えようとしていた。
「な、なんだこれ。呪いか!?」
フリットが心配そうに声を挙げた。
「いや、たぶん過呼吸だ」
ベルの呼吸は浅く、小刻みで苦しそうだ。息を吸いすぎだし、吐きすぎで、リズムも早い。度重なるトラブルで緊張感が爆発し、パニックになっているのだろう。
「落ち着け。そんなに焦るな。呼吸を浅くしろ」
優しく語りかけて背中をさする。ふと、床に転がる皮袋に目が止まった。
そういえば過呼吸になったとき袋を口に当てればいいってテレビで見たことある。なんでも呼吸量が制限され、整えることができるらしい。
俺は転がっていた袋をとり、両手で大きさを調整してベルの口につけた。
はじめはぎょっとした感じで俺を見たベルだったが、
「焦らず呼吸を整えろ。普段できてることができなくなるわけないからな」
と、優しく諭してあげると、数秒後には落ち着いて呼吸をし始めた。
「ありがとう。キヌゴシ」
落ち着いたらしい。ベルからお礼を言われた。
「ごめん、ダメなところ見せて……。すぐに空間転移の準備するね」
杖の先が再びぼんやりと光り出す。
そうだ。いまの俺たちの目的は何より生き残ること。早々に危険地帯は脱出するに限る。
洞窟内部は薄暗かった。ただでさえ不安が募る石の世界だ。長居をする必要はない。
「こんなところに天然洞窟があるなんてな」
フリットがぼそりと呟いた。少しの物音でも、狭い洞窟内はよく響く。彼の声が反響した。
「うきょおお!」
「変な声出すなよ」
「違う俺じゃない。あれだ!」
奇声の先に珍妙な生物が立っていた。
毛がないネズミのような生き物だ。けっこう大きい。ヌートリアほどはある。洞窟の生物なのだろう、目は潰れ全身が白かった。
「おい、あれガスネズミじゃねぇか!」
「なんだそれ」
「毒ガスを吐きながら近づいてくるネズミだ」
なんだよその危険生物。
ネズミは口大きくあげると紫色の煙をはいた。
「き、気を付けろ! 煙の毒は致死性で一吸いであの世行きだ!」
俺たち四人は慌てて奥に避難する。ネズミは尚も奇声を挙げながら俺たちに近づいてきていた。このままでは行き止まりに追い詰められてしまう。
かといってネズミを退治しようにも毒ガスの中を突っ切るのは不可能だ。たとえ切り伏せられたとしても、呼吸が持たないだろう。
「私がやります」
カットラスを手に持って、レイナが眼光鋭く毒ガスにまみれるガスネズミを睨み付けた。
「む、無茶だよ! ネズミ倒せても、レイナが残った毒ガスで死んじゃう!」
「かといってこのまま奥に追い詰められるのも危険です。誰かがやるしかないのです」
「そ、そうだ。私が風間法で毒ガスをちらすよ!」
「風魔法では洞窟が崩れる可能性があります。コンパクトな攻撃で倒すしかないんです」
レイナは覚悟を決めた目をしていた。毒ガスがどれ程の威力か知らないが、こんなところで彼女に死なれるのは困る。
俺はばさりと皮袋をふるって中に新鮮な空気をいれ、レイナに差し出した。
「え?」
「敵を倒したら、この袋の中の酸素を吸いながら、戻ってこい」
「な、なるほど」
何だかんだで、袋が支給されていてよかった。
この袋のお陰でかなりのシーン助けられている気がする。
まさかこれも幸福のパラメーターのお陰だろうか。
ガスネズミは一瞬のうちでレイナに退治された。
彼女もガスを吸わずにすんだようだ。
ネズミを退治することもできたので、ようやく人心地をつくことができた。早々にこの場を立ち去るためベルに空間転移魔法の発動をお願いする。ベルは「任せて!」と細い腕に力瘤をつくって、魔方陣を描き始めた。
「ふぅ」
なんとか脱出することができそうだ。はじめはどうなることかと思ったが、レイナや他の仲間たちが死なずに済んでよかった。
俺は特になにもしていないが、今後の彼らの人生に幸が多いことを祈ろう。




