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「猿・人間・類人猿=✕
類人猿 ≠ 中新世類人猿
ヒトと猿との繋がりは、バナナに非ず」
…などなど。
思うけど、ノートっていうのは、社会的なフリースペースで、時と場合によっては憩いの場にもなるんだ。でも我ながら類人猿について多くを語れるほど、畏まった技量も才能も、恐縮ですが、持ち合わせていないわけであり。
かといってむざむざ類人猿を胸の中に押し込んで、頭のネジを引き締めるのは、何事も勉強不足の私には、少々難易度が高すぎる。
だからノートの切れ端に、「バナナは文化の交流に非ず、猿と人間のセンチメンタルな距離の日常である。」と、おもしろおかしく遊んでやるのが私の中の精一杯で、猿がどうやって人間になれたのか、その歴史についてのジオラマを、これ以上キレイに磨いて差し上げても、ダーウィンはきっと、私に対して厳しい視線を向けることになるだろう。
そのあかつきには、私は教科書いっぱいに顔をうずめて、類人猿たちがいた新世代沖積世へタイムリープし、腕組みをしながら熱い視線を送ってあげます。ついでに二足歩行は辛いから、どうせ人間に進化するなら、どうか四足歩行になってくださいというアドバイスを伝えるのも、忘れずに。
二本の足で背すじをピンと張って歩かなくても、世界は広いんだって言うことを、少なくとも私は、ガラス越しの授業の下で机に向かって奔走しながら、狭苦しい教室の床を上履きの底で蹴り上げている。そういう日常の界隈にいます。
ーーー社会的な窓口。学校。その授業の時間の横に鳴るチャイムと、鳴り止まない電話機の音の横で、忙しい日常に対応するコールセンターの美女。ヒトと夏と空の上空一万5000メートル。その真下に転がり落ちていく、巨大に重たい地球の自転。
それがこの教室の、窓際の、カーテンコールの古めかしい風景画の一枚だとは、思いたくはない。




