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夏空  作者: 片岡徒之
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 ひとまず、先生が今どこを熱心に伝えようとしてくれているかは置いておいて、私は書かなければならない。自分の足で歩いて、歴史についての展望を、ノートの上に詳しく切り拓いていかなきゃならない。書き加えていく最初の項目は、年代。というよりもまずは猿。1匹の猿。私のヘタクソなスケッチで、このノートに映していかなければならないのは。


 類人猿という名前通りの由来なら、人に近い猿と書いて類人、人類と書いてヒト。つまり猿は猿であって、ヒトでない猿は猿。猿が猿にねりそこねた一つの細胞の変質が、ダーウィンの進化論によれば、ヒト科という種族の末裔になる。


 人類。…類。類、類、類。

 

 類って結局のところ、なんなの。そもそも。


 この一文字の中に繋げられた野太い波長のリズムが、ヒトと猿とを永久に隔離する鎖になるなら、私はいっそのこと、この文字を赤ペンで埋め尽くして、 

 「類人猿」。そのカッコ下に、


 類 ≠ (バツ) 人猿と描いて、猿とヒトとの境界をなくしてあげようとも思う。猿がかわいそうだもの。うん。私は猿についてなんにも知らないけど。そもそも類人猿って書くあたり、類というカテゴリーがどこまで続いているのかを想像するほど、ニンゲン様の歴史の長さとやらが目に染みる。


 結局のところ、猿と人間の区別ができる熱心な専門家が、ダーウィンの功績をあやかって、この晴天日和の真ん中に、メガホンを持ち、大声で、


 「類人猿とは猿であり…うんぬん、人類とはヒト科という種族の標本であり…うんぬん」


 と叫び散らして慌てふためいている様子を、教科書の何十ページかに分けて、丁寧にリボンを結んだ挙げ句、安物の紙細工の箱の中に梱包しているだけじゃないの?送り主は×××高校の1-A。しかも「ワレモノ注意」のシールも貼って。全国送料込み込みで。


 私たちにとって猿が、どんなに立派な先祖かは知らない。そりゃあ立派な功績を残した偉大な生物かもしれないですよ。だからってちょっと持ち上げすぎなんじゃないですか。猿のやつにどこまで熱心になって、研究研究と血眼になりながら、どこぞの研究者は、私たちの歴史の地面をドリルで削っていき、地下何百メートルと掘り進めていっているのだろうか。地下水でも掘り当てるつもりなのか。いい加減にしてください。穴ぼこだらけです。私たちの地面は。まとめに歩けさえしない。なんのためにアスファルトを埋め立てているんだ。ばかばかしい。歴史の中に埋もれていったものを、わざわざ掘り起こさなくていいんだ。ドリルが地面の深いところに眠っていた猿の骸骨を砕いてしまったら、誰が弁償するんだ。どうせ見て見ぬフリをするんだろう?お前らは。やっちゃったって顔してさ。


 それだけじゃないんだ。私が言いたいのは。どこの印刷会社かは知らないけど、やめてほしい。なにをって、歴史の教科書を開いたら、もうそこは深い緑に溢れているから。無造作に生える草の密集、猿たちが自由に動き回るジャングルの、アフリカ大陸の奥地が、きめ細やかに彩られ、美しく丁寧に鮮やかに、どーんと大容量で詳しくその様子を書き込んでいる。森が広がる、とはこのことだ。マイナスイオンが飛び交う。一冊の教科書の中に。


 その教科書の中に描かれた、遠い昔のジャングルやアフリカ大陸のどこどこに向けて、インクというピンポイントの黒と黒の欄列が、夜空にきらめく星星のように、文字や図形や数式を次々に紡いでいく。そのぎゅうぎゅうに混み合っている情報が1ページの中に箱詰になりながらギシギシ音を立てているばかりじゃなく、なんと猿が優雅に寝そべることができる大草原が、次のページも次のページも果てることなく砂漠のように続いているのだ。どのページも猿が飛んだり跳ねたりとやかましくなるほど、血気盛んに満ちた情報量の応酬が、次から次へと沸いてきて、終わりがない。しまいには猿がその環境の良さに味を占め、大行列になって整列し、教科書の至るところに手を振って挨拶してくる。ハイハイわかりましたと言って、その度に私は教科書を閉じてやるけど。


 教科書の中で草原を歩き回る猿が、印刷会社の人に呼び出され、白い紙の下地に被われた文字の上で、狭い部屋を用意される。猿たちがその部屋の隅に誘導され、「はい次の方」、っていうふうに、レントゲンで一匹一匹の骨格図まで撮ってもらっているという、至れり尽くせりのご様子は、さながら歴史についての国境を越えて、猿と人とそのプライベートの日常を、カメラの先であどけなく写しているようじゃないか。ポージングして、姿勢を整えて、はいポーズって言ったら、教科書の中の一匹の猿は、こっちに向かってピースしている奴もいる。中には、足を組んでサングラスをかけながら、古いコテージの中でココナッツミルクを飲んでいるやつも。


 フルサービスだ。どこの印刷会社が、私たちの歴史について調べた挙句、2000万年前の猿たちと握手し、ここまでフルプランで彼らの詳しいことを記載したのか。ご丁寧に目次まで付けてくださって、おかげさまで、何ページのどこどこに、猿がジャングルの中で木の枝を伝っているのかがわかる。スマートに木をよじ登っている様子が手に取るようにわかる。ジャングルの地形がわかる。教科書の内側に、歴史について取材を受けた猿の研究者の一人が、ニヤニヤとはにかみながら奴らについて興奮気味に語ってもいるし。その様子は、現地の臨場感を伝えて、カラフルに列島を飛び越えて、私のところまでやって来る。賑やかに、パチパチっと指の先に静電気を走らせるみたいに。教科書の外側にまで、その興奮した様子ははみ出てしまって、はしたなく溢れ出ているのはやはり猿の声だ。でかでかと、遠く離れていても聞こえるように。


 「類人猿」を教科書の表紙に、カッコよく打ち出すのはかまわない。類だかヒト科だか、美しい日本語の横並びに、ニンゲンという社会的なセーブポイントをつけるのも、許してあげる。でもその、ご親切な専門家のつまらない口弁のせいで、私は猿と ✕ と赤ペンと、多彩な筆記用具を手に持ちながら、1匹の猿についてを観賞しつつ、目をまんまるにしてしまっているのは、いかがなものか。


 猿について考えたって、猿は猿。空に浮かぶ月は月。それが事実に変わりはないわけで。人類で一番はじめに月面に降り立ったニール・アームストロングも、きっとこう言うだろう。


 「人類にとっての大きな一歩は、類人猿にとって小さな一歩である。」


 ってね。


 猿とヒトが隣に座ってバナナを食べても、猿が人間について語れるわけじゃない。人間だって、猿がどんなにバナナを愛しているかを、正確に語れるわけじゃない。どれだけバナナを食べても、バナナはバナナ。この一つの食べ物と、二つの種族の間には溝があり、そうして私と人間と猿の間にも溝があり…


 だから私は、ノートに書き殴るようにペンを走らせる。授業もへったくれもない、私の色に、「類人猿」を美しく染め上げてあげよう。

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