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夏空  作者: 片岡徒之
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 私はシャワーを浴びて、髪を乾かして、買ってきて間もないプリンを食べた。んー!これこれ!と言いながら、冷蔵庫の前でハイタッチする。化粧を落としたばかりの肌は、ツヤがあって美しい。スプーンを手に取り、鼻歌を交えながら、キッチンのテーブルの上で、洗ったばかりの体を踊らせ、私は何度もプリンを口に運ぶ。


 私の幸福なリズムは、ここに凝縮されている。後ろめたい気持ちなど一つもない、軽やかなステップが、誰よりも高く宙に浮いて、鼻たかだかになる。嬉しいという気持ち、はしゃぎたいといったような気持ちがごちゃ混ぜになって、頭の中へと駆け込んでいく。


 支度をするにはまだ早いから、私は自分の部屋に戻って、荷物をまとめて、今日の一日に必要だった教科書や辞書や、筆記用具などをかばんの中から放り出して、机の上にバラつかせる。社会に国語に英語に数学、ついでに理科。机の上に無造作に広がった多彩な科目の色彩たちは、文房具店などでまとめ売りされているカラーペンのように、どこまでもカラフルだ。スケッチブックがあるんであれば、1枚や2枚じゃ収まりきらないの範囲の広さが、目前にどんどん広がって、果てしない道のりが続く。


 人間にこれだけの知識の集積があるなんて、考えただけでも嫌になる。たった一つの教科書で、赤いペンとボールペンの二人三脚で、一つのゴールへと向かっていくという絶妙な単純さだけが、私の人生や、身の回りに転がってくれたら、そんなにしょっちゅう腰を曲げなくても、せっせと一日の中に進んでいくことができるのに。


 類人猿がなんだ!って、今日はホントに思ったな。どこまで歴史を遡るんだって、おいおいと言いながら先生を見上げていたけど、ぶっちゃけ、私が思うに、2000万年前のジャングルなんて、なんの役にも立たない。テナガザルがそっと手招きしながら、森の奥へと誘おうとするけど、世の中、自動ドアだし。世界の入り口が、2000万年前の亜熱帯の緑の内側にあるなんて、ちょっと壮大すぎる。もちろん、自然科学とか、社会の秩序とかを考えていくと、類人猿がどういうふうに育ってどういうふうに生きてきたかっていうのを、目で追って理解していないといけないっていうのは、すごくわかる。どの学問にも共通する基礎的な知識に対する純粋さがそこにあるっていうのを、類人猿の骨格の中に見つけることができる。


 自然、その言葉のなかに隠れている巨大な山脈の峰々が、私たちの時間と日常の中に溶け込むのは、それがどれだけ大きな背を持ち上げているかによらず、一つの風景の中にぴったりと収まるような、角の滑らかさにあるからで、世界はその形や輪郭のカーブの中に、息を合わせながら垂直に動いていく針になる。


 だけど、私たちが必死になって類人猿を見つめてあげなくても、世界は変わらないのだし、雨は上がるし、天気は晴れだし、杖や靴や冒険キットは、ホームセンターに売っているし。幸いにも、私の家の近くにはホームセンターが2箇所もあるし。なんていう立地の良さなんだろうか。我ながら運は良いほうだと、本当に思う!


 2000万年前の勉強は、2000万年先の諸君へとつなげる架け橋にはなると思います。って、誰かが言った。私だって、もう高校生なんだから、与えられた教科書や試験範囲が、将来の役に立つことなんて、目をつむっていたってわかる。でも誰かが勉強するたびに、誰かが机に向かって一生懸命になるたびに、一つの遺伝子情報が未来へと急激に傾いて、24時間一日にある時間を、23時間にしてしまわないか、あるいは100メートル走が、99メートルになってしまわないか、不安にならないと言えば、嘘になる。頑張って頑張って勉強するのもいいけど、それによって失われた季節や時間や日常の流れが、明日を戻さないのではないかと感じて、いてもたってもいられなくなる。


 私の机の上が、きちんと清潔に畳まれておらず、ちょっと汚く、ちょっとズレて、散らかっているのは、私が一日の中で、どれだけ曲がりくねって、迷うことができたかっていう、時間とその冒険との戦いのつばぜり合いの、激しい痕跡に他ならない。


 私の両親は、時間を無駄にしている暇があったら、その分文字を書きなさいとか、テレビを見る時間を少なくしなさいとか、うるさく言ってはくるのだけれども、私だって、別に遊んでいるわけじゃないっていうことくらい、自覚は出来ているし、自分の能力を過信してはいないし、肩ひじをついて、明日について無関心なわけは、なおさらない。むしろ逆なんだ。坂道を下っていくスピードが早すぎるから、思わずブレーキをかけてしまいそうになるくらい、つま先から未来への強烈な風を感じて、通路の滑らかさを感じて、ガガガッて、カカトを踏んづけそうになる。


 私には何もできないって?ええそうですとも。私にはなにもできません。未来に対して杖を付いて、巨大な山脈を歩んでいくことは、まだまだ力不足で、思うように歩けない。


 でも、だからこそ、私は一日の中でもがき苦しんで、過呼吸になり、ときに食欲をなくしながら、一人さみしく机の上に寝転んだりしている。息を潜めて、机の上に散らばった鉛筆やノートなどをじっくり観察することができないくらい、頭の奥に貼り付いている日常のざわめきは、私を休ませてはくれない。焦点が合わない、というような視力の低下が、日に日に強まっていき、コンパスすらもまともに持てず、ノートの上に、キレイな円が描けない。

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