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私はふと、今がいつの時代で、時計は何時を指しているのかを確認しようとして、ポケットにあるスマートフォンの画面を開き、時間を見る。
午後5時15分、夏。
そうだ、夏だ。今は夏なんだ。と、記憶が曖昧になるくらい、ないまぜになった急激な時間の誤差とブレーキが、平たく地面の上に力無く転がる。
えーと、今は夏で、7月で、えー…7月…10日。
早い。早すぎる。7月ももうすぐ中旬だけど、今年の一年は去年に比べてさらに早かったな。あっという間だった。私がこの半年で何かしたかと言えば、とくに何も無いのが辛い。何もしていないってほどでもないのだけれど。女子高生というレポートの中に書き込まれた、膨大な資料の縦や横の文字列が、事もなげに言ってくる。心の中は空っぽです。って。そういうやぶれかぶれのバケーションが、空高く舞う1枚の余白の多いページとなって、真っ白に染まる。
振り返り振り返り、自分が歩んできた道が、少しずつ立ち止まりそうな勢いで、転がり落ちていく細いカーブになると、どうしようって、ドギマギするときがあるけど、そういう時は、ため息をする前に、まず、気持ちの中に一番キラキラしているものを、取り出そうとします。私の場合は、私の心の中にあるはずの、やさしい気持ち、明るい表情。そういうどこかありふれていて、それでもかけがえのない一つの形を、手を突っ込んで引っ張り出そうとする。手を突っ込みすぎて、思わず色々吐き出してしまいそうになるけど、私の中で、一際輝かしい色をした細胞の一つが、私の意識の真ん中にあり、それを必死に丁寧に掬おうとする自分の心が、スーッと色とりどりの波長を揃えていく。
私の頼りない背中には背骨があり、目の下には小さな窪みがあるように、私を支えているものがきっとあるはずで、それを頼りに、私の意識の節々は私の神経の中枢へと向かっていく。
でもどんなに手を伸ばしても、なにも出てこない時があったり、思うようにくっきりとした肌触りを、心の中に捉えられなくて、ひたすらジタバタするやるせない時が、たまにある。日常の隅に転がって、地面に寝そべりながら、仰向けになったり、うつ向けになったりしても、胸の中の心臓が、上を向いているのか下を向いているのかわからないような、ある意味清潔な屈託のなさが、意味もなく素通りしていく時間になる。腹が立って、イライラして、私はその領域の隅に落ちる無愛想な枯れ木になり、ポキっと枝が折れて、心がへし折れる。
今年は何もなく過ぎ、そのスピードのまま秋に乗って、冬を越して、順調に順調に、新しい春を迎えてしまいそうな予感がするけど、きっといつかは、この暑く、この明るい夏の日の日差しの下で、余裕を持って人生を振り返れる日が来るのだと信じたい。私の才能を信じたい。
そもそもそんな悠長なことを言ってるうちは、世界が24時間、48時間と進んでいく中で、あっという間に過ぎていく未来の足音に必死になって追いつこうとする心を、うまい具合に手放して、捨て切ることなんて出来ないんじゃないかな?不安になる。将来のことを考えると色々不安になる。雲行きだけが怪しくなっていき、チカチカと点滅する黄色信号のようだ。どっちにすすんでいいかわからない、あの曖昧な感じが、陸続きに私の心を支配していって、涙ぐましくなる。
どうすることもできないわけは、ない。でも、この一年になにがあった?とくに中学を卒業して、6ヶ月が経って、私はどこにいて、何をしていた?何を食べて、何を見ていた?その一つ一つの情景を思い出すたび、また、15歳の眩しい季節を振り返るたび、気の抜けた炭酸水みたく、喉の奥に残る物足りなさが、スカッとしない爽やかさが、1秒遅れて、2秒遅れて、訪れている。
まあ、いいや、とにかく!さっさと家に帰って、シャワーを浴びて、くすみきった天井裏のヨゴレを、きれいに落とそう。もしかしたら、今日の花火で、夏の夜に咲くたくさんの光が、私の心の内側のパレットを、穏やかに、涼やかに、包んでくれるかもしれない。




