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私は真っ先にスイーツコーナーに駆け寄って、シュークリームとか、エクレアとか、その他諸々のスポンジケーキや炭水化物を目もくれず跳ね飛ばして、牛乳と卵の、あの渾然一体となった見事なスイーツの神さまを、拝めるように凝視しだした。
その様子はさながら、聖地を巡礼する修行僧のように、引き締まった顔つきをして、いきり立つ厳粛な眉毛の形そのものだ。甘いものは怠らないって言ったけど、コイツは別格。もうそれは甘いとかそういう次元を一つも二つも飛び越えて、上昇する高揚感が、私の神経の一本一本に呼応していく反射的な自然現象といっても、過言ではない。
チョコレートも捨てがたいけど、なんと言ってもこのフォルムは、私の午後の表紙を飾る高解像度のブティックになる。末恐ろしい。この子はどうしたらこんなにも滑らかな身体を揺らして、凄まじい引力で、私の心を寄せつけるのだ。私は運命の人なんて信じないけど、運命の赤い糸は信じる。だって私とこの五つ星のスイーツの間には、ただならぬ気配を感じるし、この心とこのフォルムの間に何かしらの強いつながりがないっていうのは、物理的に、どう考えてもおかしい。辻褄が合わない。物理的にね。精神的にじゃないよ。プリンと私の交友関係は、科学的に証明できる一つの偉大な方程式です。
私はさっとプリンをコーナーからさらって、あとはまあ適当に、あるものないもの引っ張って、レジの前へと進んでいく。
今日は親が帰るのが遅いから、お腹が空くのも困るし、夕方に食べるものもなにか選んで買って帰ろうかな、とも思ったけど、あとでせっちゃんが焼きそば買ってくれるみたいだから、別にいいか。
「合計460円になりまーす!」
店員さんがわかりやすく合計金額を教えてくれる。私の財布から、新しい500円玉を取り出して、両手で渡してあげると、流れるように私の手元に10円が4枚帰ってきた。その上手な等価交換と取引の時間は、人と人とが触れ合う目まぐるしい因果交流の時間だ。
目と目を合わせて、私の心の内側のテンポを歌に乗せて、「これとこれください」って、お腹に力を入れて言うことは、今後の人生の大きな経験値になり、肉になり、社会的な半導体になる。精巧な歯車の噛み合わせが、回転するたびに強く結びついて空間と時間の帳じりを合わせる。人と人が触れ合う瞬間っていうのは、そういう自然的な原則の中にこだまする半透明な化学物質を拾いつつ、どこにでも出現することができる日常言語のようなもの、だとも思う。
私は私の日常にこんにちは、と言って、街の至るところにいる人達と、コンビニの店員さんと、他愛もないフラットな握手をする。そういった明るい文化圏の中心にある。その右手と右手の間隔の中には、きっと輝かしい友好関係があるのだとも思うし、でないと、パッと右手を離した瞬間に、みるみるうちに萎んで消えてしまいそうな肌の温もりを、遠い歴史の端に置いてきて、それが深い地層の中で化石になるまでずっと頭の中に残し続けるなんて不可能だ。
私はいつも、誰かと接するとき、誰かと目が合うとき、この胸に残るいいようもないこそばゆい感覚が体のどこかに残って、思わず笑い出しそうになる。自分でも、それが気色の悪い人間的な難病のようなものだと感じるときがあるのは、自覚している。でも結局どうにもならない生理的なひきつけが、息苦しく上昇してきて、その場に立ち止まりながら、ハンドルを曲げてブレーキをかけつつ、道の真ん中で何もできずに機能を停止する、瞬間。私はその瞬間の切っ先から、まだ、一歩踏み出すことができない自分がいることを自覚している。そうしてその自覚の先に、カタカタ口の中で歯と歯が震えるように擦れ合って、自分がどこから来たのか、帰り道も行き先も失って、うろたえながら命からがら地面の上に這いつくばり、最後にはカラカラの喉を差し出して、強い日差しの下にどこにも行けずにさ迷いながら、腐敗する。この街の道のどこかで置き去りにされ、身動きが取れなくなった、虚しい一人の亡霊になるんだ。日常の隅の隅に、だんだんと行き場を無くして狭くなった土地を所有する、痩せ型の地縛霊に。
嗚咽する準備はできている。この行き場のない気持ちの歪にポッと沸いて出た、どこか物寂しい感覚が、女子高生の幼い胸の中に残って胃の中で消化しきれなければ、吐くもの吐いて、お腹をさすって、トイレの中でうずくまることしか今の私にはできない。買ったばかりのブラウスの襟や裾がゲロを吐いたトイレの先で汚れても、明日は来るし、夏はまだまだ続く。決して立ち止まることがない日常の中で、私はいつだって、この胸のうちに込み上げて来るなにか、おぞましいものを、よいしょと背負って精一杯に踏ん張り通さなければ、いけないんだ。いつも、何度だって。
だけどその前に、まずはプリンを食わせろ。胃の中に充満する血液が、フル稼働して働くときに、卵と牛乳とのぴったり息の合った結合体を、そっと口の中に納める必要が、今の私にはある。私の中の必須アミノ酸と、傷ついた細胞が、体の内側のどこか広い場所で待ち合わせをしながら、すれ違うことなく合流する必要がある。約束の集合時間はもうとっくに過ぎている!
買い物袋を手に持って、コンビニの外に出ると、太陽はまだ暖かい。授業の終わりに肥大していく午後の時間が、じとっと目の前のアスファルトに落ちていったのを見て、その瞬間に、一台の自動車がエンジンを吹かして視界の外へとズレていった。一枚の大きなパズルが、いくつかのパーツを失った時の、いいようもない喪失感。それとは程遠い、何もかも均一な状態の宇宙が、私の心理的な界隈に眠る大地を傷つけることなく綺麗にさらっていった。
身体の自由が奪われる時の、あの身動きの取れない不自然な態勢の不快感。それと、心地の良い波の振動が、互いにぶつかることなく解け合いながら、一緒になって足を組み、街を一瞬動かしていく。そうしてその穏やかな風の中に反動して、ゆっくりと顔を持ち上げていくビルディングの背の高い影は、密集する多くの時代と光の奥に残存する、たくさんの古い風景や匂いと一緒に、私の影を置き去りにしていく高精彩なフィルムになる。
私はこの世界のさまざまな動きと、立ち止まった静止画の街の風景の中で、一瞬の間垂直に際立った音楽に乗って、羽を広げる鳥のように、宙に浮いている錯覚に陥った。
往来する道端の自転車の影や、ペダルの音、日の光に反射するアスファルトの窪みが、どこまでも遅く緩やかに時間と空間を戻していって、やがて私の身体の隅にうす長く伸びる鉄製のレールとなる。レールの上に走る甲高い金属音の飛躍が、日常の影に隠れるように加速していって、最後には火花を散らして破裂する。パチン、と鳴って、光子を飛ばす!
ガタンゴトン、という重く激しい音と、痺れるような振動が、私の横を通過していくのは、見ている側もそうでない側も、躍動する地上全体の歴史の突進力となって、無遠慮に、日常的なタイムリミットへと突入していく切れ鮮やかなナイフになる。
もし空間に亀裂が入るとしたら、こういったとてつもないスピードの前進力と、切れ味が、うまい具合に時間に乗り、サーファーのような身軽さで、大地を蹴っていく時なのだろう。
大地を蹴って、一つの空間の中で傅いた傷口を上手に開いて、あなたはこれからどこに行くの?と、その亀裂の間から突風のように吹いてくる風に尋ねられて立ち止まるのは、今日も私が、未来に向かって歩けているから。だから私はコンビニを出てから、青い空に線を引く一本のひこうき雲を、うず高い空の中心からがむしゃらに引っ張ってこれるように、手を伸ばした。




