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夏空  作者: 片岡徒之
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 高校生活を満喫している私は、今日も教室の奥深くにいる。ひっそりと、誰にも見つからないようにおとなしく窓際に座っている私は、ちゃんと真面目に、歴史の授業の先生の言葉を聞いている。手で耳をおさえながら、なになに、と聞き耳を立て、次から次へと入ってくる歴史についてのセールストークを、机いっぱいに広げて手放しに見つめながら、ふむふむと、アゴの下に伸びる筋肉をキュッと引き締めている。まるで新聞紙と一緒にポストに放り込まれたスーパーのチラシを、朝から丁寧に広げて、今日は大根がやすい!と言っている軽快なタッチそのものだ。


 勉強、勉強。その時間を決して無駄にはしないけど、ちょっと先生待ってください、今私が見るべき教科書のページは、9ページ目で合っていますか?展開が早すぎる。まるで慌ただしい日常の足取りが、取扱説明書もなくメーターを振り切って、深呼吸する暇もなくぞろぞろとうごめき始めたかと思えば、先生はもう左端に書かれた文字を消し始めている。なんてことだ。いやいや、私はちゃんと顔を前に出して聞いていたし、なんなら鞄の中には双眼鏡だって持ってる。先生の話に遅れることなんてない。想定外もいいところだ。私はスタートダッシュは、学年の中でも得意な方なのに…。


 絶対フライングスタートしてるでしょ。私見た。よーいどん!で授業がスタートする。その合図のピストルが鳴る前に、絶対に先生の指が先に動いたよね。私はルールに厳しいから、一段とシビアになろうと思う。先生、今動きましたよね?ピストルが鳴る前に。絶対。絶対絶対!そうだよ!


 まるで空中を彷徨うホコリの渦が、甲高いピストル音に紛れて、コンマ数秒もの間に何枚ものコマ数となり、画面いっぱいに泳ぎ出す。おびただしく細かくスピーディーに、日常の風景の中へ中へと、加速的にその場面が途切れることなく、割り当てられているかのようだ。繊細なタッチのパラパラ漫画が、何万通りもの細かい動きを乗せて、鋭く目の前に描写されていく様子をまじまじと見つめている。その先生の指の動き、機敏さに、目が追いつかない。あまりのスピードについていけず、巻き戻しを余儀なくされる私の低スペックなカメラワークは、視界の奥にある神経をドッと緊張させる。


 私の頭の中に備え付けられた、華奢なSDカード。授業の片隅で、黒板の上で踊る先生の指のタッチとスピードについていけないまま、私の中のプログラミングは、あっという間にデータ通信量を越えてしまって、強制的に再起動を余儀なくされる始末。その一瞬の間、電波が途切れる。教室の中で真っ暗になってしまった私の視界は、電気の途絶えた停電地域となってしまって、真っ暗闇の地上のアナログに化してしまう。その何も見えない画面上の切れ端から、一足遅れてタイムアウトメッセージが届く。世界とのデータ交信から、タイムアウトしましたって、急に言われても困る。私は授業の傍ら、先生の声、黒板、それらの急勾配になった空間の隅っこに、転がり転がり、堕落し、ブレーキをかける時間も、その余裕も持てないまま、ついに配線がちぎれて独立した一本の電信柱になり、孤立する。青黒い教室の天井の上から、蛍光灯の光がいつまで経ってもスイッチをオンにしないまま、私は行き場を失った音符になる。ザ・アイソリューション。かっこいい文字のわりには、その中身はものすごく素朴だ。ちっとも、そのイントネーションに見合うだけの爽やかさはない。


 つまるところ、置いてけぼりを食らってしまっている。どうにかして追いつかないと、あっという間に射程圏外だ。黒板は見るからに遠い場所で、ガタガタと不安定な音を立てながら、今にもこぼれ落ちそうな薄いチョークの文字を乗せ、壁から剥がれ落ちそうになっている。私はまじまじと前方を見る。その教室の、午後の時計の針の真ん中で、一人の女子高生は悪戦苦闘する。直射日光が差し込む夏の季節の、炎天下の日差しの下、地中から這い上がった一匹の幼虫が、成虫に劇的に姿を変えるまでのメカニズムを、小さな殻の内側で、ドロドロに組織を溶解させているサナギになる。青い青い空、その内側で。

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