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時間がどれだけ速く進んでも、私は通り過ぎる日常のスピードに追いつけず、一気に萎んで空気が抜けて、どんどん縮んでいく風船みたいに、か弱くうずくまる。そういう手に負えない感覚から、ついに抜け出せなくなって、ドギマギしながら、思うように足が上がらなくなったら?
私の身体の内側にある、小さな神経の一本と連動して、この目の前にそびえる日常の風景と、信号の青色のランプの点滅が、私の明るい未来を誘う道標になるなら、おとなしく足を踏み出して歩いて行こうと思う。その先になにがあったとしたも、きっと後悔はない。けれどももう少しだけ、あと少しだけでいいから、過ぎ去る時間と、その夢の中にいたいという願望が、いつもと変わらない景色の中で、時折顔を覗かせながら…
そうやって私はどこにでもいるありふれたフォトフレームのつながりで、毎日、スタートした高校生活と、新しい校舎の門出に向かって凛々しく立ち、キュッと制服のボタンを一つ一つ、つなげていく。そのスタンダード形式のフラットな草原から、明るい太陽の日差しが一段と高く登ったら、私も少しだけ高く、この世界を見つめることができるかな。少しだけ遠くへ行くことができるかな。私とワタシと心のくすみと、川の流れと。それらみんなが手を繋いで歩いていけたら、明日はもっと"輝くだろうか"?グラウンドの隅に積もっていく小さな粒の砂の隣に、風が走る。人が走るーーー。
そうしてまた今年も、暑い季節がやって来る。青い空の下に、一人の女子高生が街の中をかけ走るんだ。
学校。朝。目覚まし時計。午前8時とラジオ体操。
私はこの足で、この場所に、この"日常"と"現実"の行き交う、賑やかな駅のホームと明るい日差しの下に来て、たくさんの人と制服と、騒がしい足音を横目にしながら、世界とすれ違う時間を知る。
時間?ーーーいいや、それは皮膚と皮膚がこすれ合う音、形。健やかな歌だ。
人と人、時間、その境界に位置する強烈な日照りが、何度も何度も顔をうずめて、うず高く飛び重なっていく汽車の走る音になる。私はそれを追い越そうとして、何度も転げそうになるくらい、足がもつれて、息が上がって、最後にはうつ向き加減に、胸を押さえて縮こまってしまう、線路脇の小さなカエルだ。息が苦しくて、めまいがする。そういう心境の中に、日がな日中襲われているわけじゃないけど、この瞳の中に映る景色の数々は、それはそれはとても力強くて。
アッと通り過ぎる時間も、通り抜けていく風も、すごくすごく強く、あらゆる被写体をぐーんと曲げて、なにもかも引き伸ばされた空気と峰と、山の斜面は、ピントが合わない写真みたいに、空から降って来る日の光の雨と粒の交差を駆け足でジャンプしながら、ーーー全力で、地面の続く向こうへと向かって、電車の走る線路を伸ばし続けている。その中にある小さなフレームと写真の上に吹いた横風が、私の後ろ髪をぐいと引っ張って、キュッと顎の筋肉を引き締め、なんだかすごくいじらしく、微笑んでいるような気がするのは、きっと偶然なんかじゃない。
思い切りがあって、しかもそれがすごくいい意味で、世界の美しい朝が、この夏と空の一番高いところに連れていってくれる。足と腰に力を入れて、イッセーノーデという掛け声とともに、私を高いところに持ち上げようとしてくれている。もし、それが事実なら、もう少し力を抜いて、リラックスして、優しく優しく私のことを持ち上げてほしいという気持ちが、なんだかしょっぱく、訪れる時がある。そういうほんの少し刺激が強い甘酸っぱさというか、やるせない背筋の奥の倦怠感が、一日のうちに何度もあって、そんなときには、静かな日常の隅で、肩から膝にかけて、少しだけ大きく息をついて、今よりもほんの少し地面に近いところの、うつ伏せになった景色や色を、こっそり内密に、映し出してくれてもいいと、心のどこかで教えて欲しいと感じるときがあるんだ。ほら、実はあなたの家の裏庭には、こんなに小さくて可愛い花が咲いていたんだよ、と言うみたいにさ。
高すぎるんだ。どうにも、この世界の光が、太陽が降ってくるこの一直線上の日常の影が、もの凄く濃く、くっきりとしすぎていて、私の二本足じゃあとても、追い切れそうにない。私の頭の中の情報伝達が、一際あぶない痙攣を起こして、音にもならない声を上げている。苦しい。
なにがそんなに大変なのか、考えれば考えるほど、心狭くなって、いてもたってもいられなくなるけど、仕方がない。前を向いて、心に踏ん切りをして、スタートダッシュを切ろう。前足は前。後ろ足は後ろ、その行儀のよさで、じっと見据える青い空の彼方には、私がまだ見たことがない世界が、広がっているはずだから。




