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夏空  作者: 片岡徒之
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 私はせっちゃんとの友好的な関係性についてもっともらしく頷き、自信に満ち溢れた顔をして、ニコニコしながらせっちゃんを見つめる。そのスムーズな愛の受け渡し方は、私の遺伝子情報の中枢に伸びて、人類の歴史とその情報ネットワークの最下段にある「友情」という言語プロセスの地層に向かって、一つの共鳴する音になる。


 せっちゃんはというと、私の明け渡した愛が重すぎたのか、赤いペンに覆われた無残な教科書の姿を見るなり、急に席を飛び上がりそうになり、必死に「先生!先生!」といったような表情で、右手を高らかに上げようとする始末。まあまあ、落ち着きなさいって言ってなだめてあげても、先生に向かって、一生懸命になにかを伝えようとしている。


 静まりかえった教室の隅で、威勢のいい子が一人いるみたいに騒がしい。まるで愛や食に飢え切った子どもそのものの逞しさをもちながら、叫び散らし、席巻する社会の窓口になり、私の頭上を飛び越えて教室の前後左右全体に渡りリズムよく反復する高反発なバネになっている。元気だね。相変わらず。机とイスの間でカエルのように飛び跳ねながら、手を挙げようとするんじゃない。危ないだろ。活発なのはいいことだけど、授業中なんだから静かにしなさい、と言って私は優しく宥めてあげるけど、せっちゃんはムッとした表情でこっちを見る。ま、なんて憎たらしい。ちょっと死相が出てる感は、否めないけど。


 「そんなに嬉しいなら、もっと書いてあげる」


 私の机の上でしわくちゃに伸びた革製の筆バコのチャックを握りしめ、赤、青、緑、黄緑。その他たくさんの色のマーカーを手元に引っ張ってくる。赤だけだと、まだP11、12に深く刻まれた色調やトーンは粗雑だ。もっとどストレートに、カラフルに、勢いよく、ジャンプする必要がある。「愛」をジャンプする必要がある。


 「本当に先生呼ぶからね?それ以上したら」


 せっちゃんは照れくさく、おでこにシワを寄せながら、私の全力投球を受け止めようとしない。せっかくたくさんの色を織り交ぜて、カラフルな色彩を全身で表現してあげようとしたのに、心が狭いったら、この子は。


 「あー、私の愛しいギガントピテクスが汚れちゃったー」


 何なんだそのギガントピテクスっていうのは。猿ばかりじゃないか。教科書に載っているのは。テナガザルにフクロテナガザル…、ああ、教科書をよく見ると確かに、私の書いた赤い字に上書き保存されて、たくさんの太い線に侵略された絵やテキストが何枚かあるけど。


 えーと、なになに。「自然における人間の位置」の縮図?フッ。


 「笑い事じゃない!」


 充分笑い事です。せつこ。どうせなら、<紀元前>の中石器時代にでもタイムリープして、火の起こし方でも復習してくるがいい。木の枝と枯れ葉と、充満する二酸化炭素のすぐそばで、尻もちをついて、鼻をすすって、大きな大きなくしゃみをして。


 そうしてその時代にしばらくいてください。風邪を引いてもいいように、薬だけは持参して。私はその様子を遠くから見てる。がんばれーって声援を送って望遠鏡を覗き込む。疲れた顔をしたら、空を見上げてみてください。そうしたらそこに私はきっといるだろう。遠い遠い未来の先から、火を起こそうと頑張っているあなたの姿を見て、空の上からマッチを一本落としてあげる。マッチを拾ったら、それをどうぞ使ってみてください。寒がりなあなたにはピッタリの、代物です。私はずっと見てる。鼻水をすすりながらジャングルの中で猿達と会話しているあなたの姿を。あるいは過酷な生活の中を必死に生き延びようと奮闘しているあなたの姿を。自動車に乗りながら。あるいはコーヒーを一杯注ぎながら。遠い昔の世界から、長い長い時間を過ごしたあとに発明された、巨大に鋭い近代科学の発展に乗っかり、遠い未来の世界でいつも私はあなたのことを見下ろしている。未来という坂道を駆け足で上って、その猛スピードで上り詰めた急激な斜面の上から、いつも何度でも、黄色い声援を送ってあげよう。手を組んで、怪訝そうな顔をして、偉そうにしながら。火はもう起こせた?って聞きながらさ。中石器時代から、現代の世界が恋しくなって、地面の下からハシゴを使って登ってきても、登りきったあとには、私が待っていることを忘れずに。

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